四章 その六
翌日、朝。
体はボロボロのはずだが、目覚めは爽やかだった。思考はすっきりとクリアで、気分もいい。昨日の朝とはえらい違いだった。
日曜日の今日も、学校は休みだ。と言っても、教師陣は今日も臨時で職員会議をやっているらしい。そうアンジュが教えてくれた。朝っぱらからご苦労な話だ。
俺はというと、軽く朝食を摂ったあと、部屋に戻って、アンジュと一緒に一連の事件を整理し、振り返ることにした。
「さて、それでは改めて考えてみよう」ディスプレイに映る彼女も機嫌良さそうに翼を動かしていた。俺は静かに首を縦に振って同意する。
「まず、十年前の事件だ」アンジュはぴっ、と指を一本立ててみせた。
「被害者は牧谷遊奈、当時高校二年生。同級生の男子、神作、須田、宮地の三名から暴行を受け、金銭を要求されていた。そして、それを苦に投身自殺」
俺の説明を聞いて、アンジュはこくん、と頷いた。「そしてその牧谷遊奈は、なぜだか私にそっくりだ、と」
「……正直、因果関係があるのかはわからない。だけどやっぱり、関係あると考えたほうが自然だと思う」
「私も同意見だ」きっぱりとアンジュは答えた。「きっと私が求めてやまない『出生の秘密』も、そこに隠されているんだろうな。じゃなければ、外見が似ている説明がつかない」
「いずれにしても、情報が足りない。……話を続けよう」
「うむ」アンジュは顎を撫でた。「次に、学校裏サイト事件」
「過去に犯罪を犯した美鶴ヶ丘高校の生徒が、実名や顔写真つきで暴露される。それにより、地域やクラスメイトから白い目で見られ、迫害される。中にはそれを苦に自殺をする生徒も出てしまった」
「コミュニティから迫害されるのは精神的にしんどいからな。特に小規模で閉鎖的なコミュニティほどその傾向は強い」
「学校のクラスとか?」
「田舎の狭い地域なんかもな」アンジュはそう付け加えた。「脱線したな。話を戻そう」
俺は頷いてみせた。「――このサイト運営者は、高いハッキング技術と、膨大な時間を持った人間である」
「それなんだがな、初」アンジュは申しわけなさそうに言った。「私のその推論、間違っていたかもしれない」
「え? 別に間違っているようには思えないけれど……」
「間違っていたというより、別の可能性を考えていなかった。つまり私たちは、このサイトを作ったのが一人の人間だと無意識に思い込んでいたんだ」
「複数の人間が協力して作ったってこと?」アンジュに聞き返す。「でもそれって、なんか腑に落ちない……」
「いや、運営者が複数いるということはないだろう。秘密を知る者が多ければ、それだけ秘匿が難しくなる。平たく言えば、バレるリスクが高くなる。というか、必ずどこかでボロが出る。これだけの匿名性を維持しているということは、犯人は単数のはずだ」
「じゃあ、どういうことだよ」
「つまり」
真っ直ぐにこちらを見て、アンジュは言った。
「犯人は、私のような人工知能だという可能性だ」
俺は息を飲んだ。
「……。ありえるのか?」
「ありえない、なんてことはないだろう。別に私のような奴がもう一体いたって、別に不思議ではない」
「そりゃ、そうかもしれないけれど……」
「もし、犯人がネットの中を自由に往来できる存在なのだとすれば、色々なことに説明がつく。今言ったハッキングなんて朝飯前だろうし、時間の制約も無に等しい。……だから初も、私のことを疑ったんだろう?」
そう言われて、胸がチクリと痛んだ。彼女を傷つけたという事実を思い出すと、苦い気持ちが蘇ってくる。
「まぁ、それはいいとして」そんな気持ちを察してくれたのか、アンジュはさっと話を戻してくれた。「それに、そうだとすれば次の事件についても説明がつく」
「次の事件?」俺は彼女に聞き返した。まだ事件なんてあっただろうか?
「昨日のことだよ。『三田村初集団暴行事件』だ」
「あぁ……」
あれか。事件と言われるとピンとこないが、確かに一連の事件と関連があると考えたほうが無難だろう。なにせ十年前の事件の加害者が、裏サイトを調べていた俺を制裁にやってきたのだから。
「初は、差出人不明のメールをもらってあの場に行ったのだろう? 私もそのメールの送り主を探ってみたのだが、巧妙に偽装工作されていて、結局突き止めることはできなかった。私に調べられないということは、私並みの知識とスキルを有しているということだ」
「でも、それだけじゃ決定打にはならない」
「まだあるぞ」アンジュは言葉を続けた。「神作たちは言ったんだろう? 自分たちの携帯電話に牧谷遊奈が現れた、と」
「……確かに、言っていた」
連中からあの話を聞いたときは、幻でも見たんじゃないかと思っていたが――。
「もし、仮にだ。私のように、牧谷遊奈そっくりの人工知能がいたんだとするなら、そいつらの携帯電話に現れるのも可能ではないか?」
「それは」
それは、そうかもしれない。
牧谷遊奈そっくりの、アンジュとは別の、人工知能。
そいつが十年前の事件を調べている俺を邪魔に思い、神作たちを使って、襲わせた。確かに一応、筋は通っている。
「でも、やっぱり断言はできないよ」
「イエス。情報を自由に操れる相手なんだ。足取りもすぐに改ざんされる。そいつを直接とっ捕まえるか、物的な証拠を挙げない限りは確定なんてできないさ」
そう言ってアンジュは大げさな身振りで『お手上げ』のポーズをしてみせた。
人工知能を捕まえるか、物的な証拠、か。
「人工知能を捕まえるなんて、できるのか?」
俺が聞くとアンジュはしばらく考える素振りを見せたが、やがて「無理だな」とかぶりを振った。
「自分で言っておいてなんだが、多分できないな。ほんの少しの時間だけ足止めするなら可能かもしれないが、長時間拘留するとなると難しいだろう。少なくとも私なら、どんな罠だろうと一分もあれば抜け出せる」
「……アンジュの力で、逃げたそいつをなんとか探し出すのは?」
「それも無理だ。私だったら、痕跡を一切残さず隠れてみせる。絶対に見つけられないよ」
「じゃあ、絶望的じゃないか……」
ウェブ上のデータだけの存在だから、物的証拠を見つけるのも難しいだろう。
俺たちは揃って頭を抱えた。
「どうしたもんかな」と、俺。
「方向性は間違ってないと思うんだがなぁー」アンジュも悔しそうに唸る。
しばらく二人で考えてみたが、結局大した案は思いつかなかった。
「また行き詰まったな」
自嘲気味に呟くと、アンジュは「いやいや! 今のはいい線いっていたと思うぞ! 間違いなく真実に近づいている。……そうだ初、行き詰まったなら視点を変えて考えてみよう!」と元気に言って背中の羽をはためかせた。
「視点を変える?」
「イエス。同じことばかり考えているから袋小路に入るんだ。だから別の切り口から考えると、思わぬ解答にたどり着くことだって少なくないぞ」
「別の切り口って……例えば?」
「例えば」アンジュは再び顎をさすった。「なぜ犯人は、一連の、こんな事件を起こしたのか、とか」
「ふむ」
事件の動機、ということか。
「たしかアンジュ、前は『犯人がいじめを受けているかも』とか言ってなかったか?」
「それはあの時点での推論だ。だが、今なら別の推測も立つ」
「別の推測、というと……」
「もちろん、牧谷遊奈の復讐だ」きっぱりとアンジュは断言した。「牧谷遊奈は非業の死を迎えた。それを哀れんだ何者かが、彼女の復讐のために一連の事件を起こした、というのはどうだ?」
「そうだとすると、犯人は牧谷遊奈に近しい人物だったということになるな」
「うむ。当時の友人や親兄弟をあたってみることで、犯人が浮かんでくるかもしれない」
なるほど。どのみち牧谷遊奈の周辺情報は調べておいて損はないだろう。なにせ、犯人が復讐相手を手駒に使ってまで調査を止めたかったものだ。だとしたら、現状、優先して調べるべきは彼女の――。
あれ?
ちょっと待てよ。
俺は口を開こうとして、自分の思考に引っかかりを感じて動きを止めた。
おかしい。
だってあのとき、あれは……。
そうだとするなら、犯人はあの人しかいない。
いや、でも。そんな馬鹿な。
冷静になれと自分に言い聞かて何度も考えるが、どれだけ思考しても、結局は同じ結論への道筋をたどった。
牧谷遊奈。
その調査。
人工知能。
そして神作たち。
ちょっとした違和感から連鎖して、次々にひらめきが溢れてくる。様々なものが、めまぐるしい勢いで脳内を駆け巡る。
唐突に浮かんだアイディアは情報のかけらを次々と繋げて、一つの形へと姿を変えていった。
真実という、俺たちが追い求めていたモノの姿へと。
「初?」
名前を呼ばれて意識を戻すと、アンジュは怪訝な顔でこちらを見ていた。
「どうしたんだ? また考え事か? まったく、初は考え出すと急に黙る癖があるな。こっちは心配――」
「アンジュ」俺は彼女の言葉を遮った。「ひとつ、確認したいことがある。俺の携帯電話を盗聴、もしくはお前以外の人工知能が入り込んできていたら、すぐに気付けるか?」
「はぁ? 初、何を言って――」
「大事なことなんだ。頼む」
俺のただならぬ雰囲気に気圧されたのか、アンジュは若干気後れした様子で「……。少なくともこの一週間、私は初の携帯電話に入り浸っていたからな。そういった異常があれば、すぐにわかると思う」と小さな声で言った。
「そうか」俺は短く答える。
「なんだ、初。何かに気付いたのか?」
「ああ」俺は勢いよく立ち上がった。「アンジュ。俺のアドレスで、海法と神達、それと岸川先生にメールを出しておいてくれないか。それと、少し調べ物も頼む。わりと急ぎで。……ちょっと、出かけなきゃならなくなったから」
「それは構わないが……。何をしに出かけるんだ?」
戸惑うように瞳を揺らすアンジュに、俺は静かに言った。
「もちろん、犯人との対峙さ」




