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第07話 隊長室の弓

完結保障、全21話。

毎日投稿予定。

 夏休みも終わり、稲田はいつもと変わらぬキャンパスライフを謳歌していた。授業の空き時間や学校が終わった後、稲田は毎日のようにサークル「大学の明るい未来について語る会」(語る会)の部室に通った。行くといつも部室に北岡雅美がいた。大学の前期には一度も見かけたことがなかったのだが、女性解放連盟の仕事が忙しかったようだ。窓際に長テーブルが置いてあり、北岡はそこでいつも何か書き物をしている。「語る会」の機関紙『革命志士』の原稿を書いているとのことだ。原稿は北岡をはじめ3名の部員だけで作成していた。


サークルの部員は20名ほどいるのだが、部室に入り浸っているのはいつも5名くらいだ。サークルの表の活動は学生を啓発する機関紙作りなのだが、部員は実のところ左思想の活動家としての実行部隊であり、表の団体「語る会」がちょうどいい隠れ蓑になっている。稲田は部室に来ても別段何をやるわけでもない。隊長も昼寝しているか本を読んでいるかだ。北岡はいつも静かに部室の隅で原稿を書いている。窓から差し込む日差しが北岡の栗色の髪に降り注ぐ。稲田はその景色を見るのが日課となっていた。


ある日、稲田は北岡に声をかけてみた。


「北岡さん、毎日書いてて大変じゃないですか?」

「大変よ。人手が足りないもの。気になるなら、そのうち手伝ってもらうわ」

「あ、はい。その時は、ぜひ」


部室にはもう三人、顔なじみが集まっていた。田中恒一は読みかけの新聞を片手に「この記事を見ろ、これもまた国家の……」と言いかけたが、山本浩介に「はいはい、また始まった」とあっさり流された。山本は相変わらず北岡の方をちらちらと窺っている。佐藤由美は部室の隅で友人と電話で話し込んでいたが、それが終わると稲田の隣にどすんと腰を下ろした。


「稲田、そこ座るでありますか? じゃあ、あたしも隣でいい?」

「あ、はい、どうぞ」


特に他意はなさそうな距離感なのだが、稲田は妙にそわそわしてしまう。ちょうどそのとき、ソファーで転寝していた隊長が寝返りを打った。佐藤の目の色が変わる。


「隊長! お目覚めでありますか!」


先ほどまでの気安さはどこへやら、佐藤は勢いよく立ち上がり隊長のもとへ駆け寄っていった。稲田はその変わり身の早さに、毎度のことながら呆気に取られた。


気づけば佐藤は鞄から取り出したメロンパンを頬張っていた。稲田がふと視線をやると、パンの袋はすでに二つ空になっている。


「佐藤、それ二個目じゃないか?」

「お腹が空いてるんだから仕方ないであります」


悪びれもせず、今度はあんぱんの袋に手を伸ばす佐藤に、稲田は苦笑いするしかなかった。


それからしばらくして、稲田は隊長に誘われて、隊長の寝泊まりしている寮に遊びにいくことになった。どういうわけか隊長は稲田のことが気に入っているようなのだ。当の稲田はノンポリである。左翼思想とは程遠い、というか全く興味がない。活動家の隊長にとっては、そんな稲田がちょうどいい息抜きの相手なのだろう。


寮は大学キャンパスの北側にある雑木林の小道を抜けた先、一番奥にあった。古びた木造二階建ての寮だ。木の壁には所々亀裂が入り、雨が降ったら雨漏りが大変そうだ。稲田は寮に着くと、隊長の部屋へと向かった。確か二階の一番端っこの部屋だと言っていた。廊下を歩くとギイギイと軋む音が寮全体に響く。床に穴が開くのではないかと心配になるほど古くなっている。稲田は慎重に歩きながら廊下を進み、寮の中央付近にある階段を上り、二階の一番奥の部屋の前に着いた。部屋のドアの上に『隊長室』と書かれてあった。


(思わず吹き出してしまった)


稲田は気を取り直して軽くノックした。


(コンコン)


「失礼しま-す。稲田です」

「おう」


部屋の奥から隊長の声が聞こえた。床がきしむ音のあとガチャリとドアが開き、隊長が顔を出した。


「おう、よく来たな。散らかってるけど気にするな」


稲田が部屋に入ると、隊長はとても喜んで「お前に見せたいものがある」と言うので部屋の中をついていった。寮の部屋はかなり広く、6畳二間になっており、部屋の仕切りの代わりに細長い棚が真ん中に置いてあった。本来は二人部屋なのだが、今は隊長一人で使っているとのことだ。隊長が手招きするので部屋の奥へ行くと、隊長は押入れの前に立ち止まった。それから押入れの襖を開け、中にある布団をよっこいしょと言いながら持ち上げて部屋の中へ出した。


「稲田、見てみろ。前に住んでいたやつが書いた詩だ」


稲田が見てみると、押し入れの奥の壁に太いマジックで書かれた文字があった。


***************

燃えている 燃えている

闘志に沸き立つ若き血よ

流れる星は消え去りながら

漆黒の夜空に軌跡を描く

その目に映る真実を

眼瞼に焼き付け 儚き勇者よ


風にたなびく刹那の木

夢見る光は今いずこ

あるとも知れぬ心の声を

ただひたすらに追い求む

忘れ去られた暗黒の地

心閉ざすな 悲しき勇者よ


喜んで 死に行くキミの微笑み

つたう涙は美しく

ただ一つ 残れし夢に包まれた

あなたの心に届く灯よ

***************


稲田は首をかしげながら隊長に聞いた。


「この詩はどういう意味ですか?」

「行間にすべての意味がちりばめられている素晴らしい詩じゃないか。革命家の覚悟を感じる。絶望に身をやつしながらも、信じる道を進みゆく若き戦士の心情を謳った詩だ。自らが志す夢に邁進するあくなき挑戦と儚さが見事に凝集されている。表面的な言葉の意味は分かるやつにだけわかればいい。しかしそれでいいんだ。この詩を読み、心に感じいった魂が大切なのだ。この部屋はな、そのむかし学生闘争時代に活躍していた伝説の活動家が使っていたそうだ。多分この詩はその人が書いたのだろう」


隊長はふんふんと勝手に納得したように目を閉じて頷いている。稲田は、そういうものかと思いながら押し入れを出た。


この寮には、語る会をはじめ左寄りの活動家が大勢住んでいるそうだ。寮には誰も使ってない部屋が一つあった。どうやらみんなで共有しているようだ。寮生たちが日ごろ使っていない荷物をその部屋に置いているのだが、ほとんどデモ活動の時などに使用する備品置き場となっていた。部屋の鍵の管理は隊長がやっている。


隊長が今度は稲田を別の部屋へ連れて行こうとした。二階の隊長の部屋のすぐ隣だ。隊長は空き部屋の鍵を開け中に入った。隊長が稲田を手招きする。見せたいというのはこれだと隊長が指をさしたその先を見ると、細長いケースが一つ、部屋の隅に立てかけてあった。


(楽器のケースなのだろうか)


と思っていると隊長がそのケースを横にして蓋を開けた。中には細長い矢が、スポンジの板に並べる形で収められていた。先端は鋭く尖っている。1ダースくらいはあるだろうか。その下には、分解された弓本体も一緒に収められている。隊長はそれを取り出すと、稲田の目の前に掲げた。


「これは弓だ。某大学から拝借してきたものでアーチェリーというものらしい。狩猟にも使える飛び道具の一種だそうだ。色々調べたのだが、どうやらこの弓で矢を放つと90m先の的に当てることができるらしい。しかし、いかんせん当大学にはアーチェリー部というものがなく、弓に詳しい者がいないのだ」


「ちょっと待ってください。某大学から拝借してきたというのは一体どういうことですか?」

「ああ、某大学のアーチェリー部の部室から持ってきたんだ。いやいや決して盗んだわけではない。借りただけだ。われわれの活動が終わったらもちろん返すつもりだ」


(それは盗んだってことじゃないか)


稲田は思わずそう思ったが、隊長は気にする様子もなく話を続けた。


隊長はため息まじりに続ける。


「そこで弓の使い方について資料はないかと図書館に行ったり本屋に行ったりしたのだが、これもなかなか見つからない。弓を販売している専門の店はないかと調べてみたら、あった。店の住所を調べて相談しに行き、アーチェリーの説明書か書籍はないかと尋ねたらこの本を勧めてくれた」


隊長は『アーチェリー教本』と書かれた本を取り出した。


「これだ。弓の構造や使い方について詳しく書いてある」


隊長は得意げに本を掲げた。


「これを読めば、弓のことはだいたい分かる。ところがな……」


そこで隊長は少し困ったような顔になった。


「肝心のところで止まってしまった」

「肝心のところ?」

「弦だ」


隊長は弓を指差した。


「弦を張ろうとしたんだが、どうにも上手くいかん」


稲田は弓を見る。


「弦を張れないんですか?」

「そうなんだ。説明書を読んでも、いまひとつ要領が分からん」


隊長は弦を手に取って、弓の両端を眺めた。


「ここに引っかけるんだろうとは思うんだが……」


しばらく弓と弦を交互に見比べる。


「どうにも力がいるようだな」

「そうみたいですね」


稲田は曖昧に答えた。隊長は腕を組んで考え込んだ。


「弓そのものは某大学から借りてきた。矢もある。教本もある。だが、弦が張れない」


「……」


稲田はもう一度、弓を見た。隊長はため息をつく。


「アーチェリーというのは、なかなか奥が深いものだな」

「そうですね……」


稲田はそれ以上、何も言わなかった。隊長は気を取り直したように弓を持ち上げた。


「まあ、いい。誰か弓に詳しい人間が見つかれば、そのうち何とかなるだろう」


そう言ってから、隊長は急に顔を輝かせた。


「しかし、これが使えるようになれば話は別だぞ。何しろ九十メートル先の的に当てることができるらしいからな」

「九十メートル……」

「そうだ。九十メートルだぞ。これなら国家権力の連中が相手でも……」


隊長は弓を握ったまま、得意げに笑った。


「九十メートル先の敵を一網打尽にできる」


稲田は黙って隊長の顔を見た。


(どうしてそういう話になるんだ……)


「面白かった!」

「続きが気になる!」

「今後どうなるの?」

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