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15/21

第15話 十年という長さ

完結保障、全21話。

毎日投稿予定。

 冬になった。雪がちらつきだしている。簡単なプレハブ作りの寮はこの寒さが堪える。だがスキーのインストラクターができるという当初の目的があったので、みんなはとてもこの冬を待ち遠しく感じていたのだ。降りすさむ雪の量も日ごと多くなり、待ちに待ったスキーシーズンになった。


観光客が押し寄せると同時にスキーのインストラクターの仕事も引く手あまただ。匠興業はインストラクター派遣を仲介する形でスキー場の管理事務所と契約している。木工所の職員5名は当然木工場の仕事を兼務しているので、2~3人ずつローテーションを組んでインストラクターの仕事に出た。インストラクターの日当は3000円なのだが、やはり指導するのは楽しい。


(心境からすると、水を得た魚。いや、雪山を颯爽と飛び跳ねる雪ウサギといったところだろう)


5人は毎日インストラクターの仕事で忙しい日々を送っていた。指導の空き時間は少ないのだが、スキーのお手本がてらウェーデルン、シュテムターン、パラレル、プルークなどを披露する。指導をしつつ自分でスキーを滑る楽しさを味わうことができるのだ。


指導する相手は小学校1年生から60歳くらいの年配の方まで幅が広い。時には若い女性だけのグループも参加するので、インストラクターの若者5人にとってはとても楽しい時間であった。


スキーシーズン中は木工所の仕事は夜にやることになっている。スキーの指導に行く者が3人の日は、木工所で作業するのは2人だけとなる。師匠にあたる社長もむかしスキーをやっていたそうで、スキーインストラクターの気持ちが分かるのか、インストラクターの仕事に支障がないように、この時期の木工作業は少なめにしてもらっている。そもそも5人とも大した技術を持っていないので作品と言えるような木工品を作るにはまだまだ及ばない。簡単なイスや簡易なテーブルを作るので一生懸命だ。


日中のインストラクターの仕事は夕方には終わる。この時期は日没が早いので最後のクラスが終了するのは大体4時くらいだ。スキー指導に行った者はすぐに木工所に戻って5時から仕事を始める。木工所作業組は通常の5時に作業を終えて先に寮に帰る。スキー指導組はその日の作業は少なめで、大体8時までだ。


(稲田はスキー指導が楽しくて仕方ない。木工細工も段々慣れてきた)


それはそれでいいのだが、問題は収入だ。スキーのインストラクターが日当3000円。木工所の収入は月に14万円といったところだ。将来賃上げがあるようにも思えない。そもそもそのような契約自体がなされていない。


そんなことをおぼろげに考えていた稲田は、ある日作業室にいた社長にふと尋ねてみた。


「あのー、社長。この作業をやっていて一人前になるのってどれくらいかかるんですか?」


すると社長は気難しそうな顔しながら答えた。


「おう、そうだな、ノコギリの扱いに3年。鉋をかけるのに3年。のみの使い方が一番難しくて、4年ってところだな。木の素材の目付けにも感性ってーのが必要だ。木材というものは日がたつにつれて状態が変わっていく。季節や温度・湿度を計算に入れながら加工しないといけない。細かな指先の感覚で木の性質を感じられるようにする。それらを覚えて一人前の仕事ができるようになるまでは、まあ、ざっと10年ってところだな」


稲田は思わず息をのんだ。大学を卒業してまだ幾月もたっていない自分にとって、10年はあまりに長い道のりに感じる。


稲田は腕組みをし、片手で顎を支えて考えた。


(そもそも木工所で仕事をするためにここに来たのではない。スキーのインストラクターをやるために来たのだ)


いつまでもこんな丁稚奉公のような仕事をやっていては生活が安定しない。かといってインストラクターの仕事だけでは食べていけないのも確かだ。社長には感謝しているし、仕事も少しずつ面白くなってきている。だが、この仕事に十年をかける覚悟が自分にあるかと問われれば、素直に頷くことはできなかった。自分の今後の生活に不安を感じるのは確かだった。


季節が進むにつれて、北岡からのメールの内容は少しずつ変わっていった。サークルの活動報告や隊長の噂話は次第に影をひそめ、代わりに「富山の雪はどう?」「ちゃんと飯食べてるの?」といった、稲田自身の暮らしぶりを尋ねる一文が増えていった。


それに、心のどこかでずっと引っかかっていることがある。富山に来てからというもの、月に一度届く北岡からのメールを読むたびに、東京に置いてきたものが心に引っかかっていた。


(北岡さんは元気にしているだろうか。隊長は今、どこで何をしているのだろうか)


ちょうどその頃届いたメールに、いつもの檄文に混じって、こんな一文があった。「革命家は拠点を定めないのが本望らしいけど、あんたはいつまで根無し草でいるつもりなの? そろそろ自分の帰る場所くらい、自分で決めなさいよ」


北岡らしい、唐突で乱暴な物言いだった。だが、なぜかその一言が、もやもやとしていた稲田の胸にすとんと落ちてきた。


稲田は考えた末、東京へと戻る決心をした。冬も終わりに近づいて、森の木々の梢に小さい芽がちらほらと付きだしている。稲田が富山に来て1年が経とうとしていた頃だった。


この一年、稲田は幾度となく立山連峰を目にしてきた。移り住んだばかりの頃は、寮の戸を開けるたびに雪をかぶった山並みが朝日に浮かんでいるのに息をのんだものだった。東京では、山がこんなふうに生活のすぐ向こうにあることなどなかった。それが半年もすると見慣れたものになり、気に留めることさえ少なくなっていた。木の香りと木工所の音に包まれた日々は、いつの間にか稲田にとってかけがえのないものになっていた。


「おう稲田、いつでも戻ってこいよ。木工ファイブの椅子はいつでも空けておくからな」


社長がそう言って稲田の肩を叩いた。田島も涙目で駆け寄ってくる。


「稲田、お前が抜けたら『木工フォー』になっちまうじゃねえか。頼むから戻ってこいよな!」


(明日からは本当に『木工フォー』になってしまうんだな)


稲田は副社長兼奥さんにもらった弁当をリュックにしまい、木工所を後にした。


駐車場を出たところで、稲田はふと足を止めて振り返った。冬の終わりの薄い雲の切れ間から、立山連峰が久しぶりにくっきりと姿を見せている。


(毎日あんな山を見ていたんだな)


今さらのようにそう思う。稲田はしばらくその山並みを眺めてから、駅へと向かって歩き出した。来た時はトラックの助手席だったが、帰りは自分の足で歩いていく。


お昼ごろ富山駅を出発し、夕方には実家がある最寄りの駅に着いた。一年前に東京から富山に行った時はずいぶん遠くまで来たものだと感じていたのだが、時間にすると電車で3時間とちょっとの小旅行だ。


(一年ぶりの東京。何も変わっちゃいない。自分自身も何も変わらない。ただ遠回りしただけだ)


それでも、この一年をやり直したいとは思わなかった。遠回りも、自分で選んだ道には違いないのだから。


この一年、月々の稼ぎは寮費や食費、スキー道具の買い替えにほとんど消えていった。貯金という発想自体、稲田にはまるでなかった。おまけに、世話になった社長や田島たちへの餞別代わりに最後の給料でひと通り奢ってしまったせいで、財布の中身は出発の時点でもう心もとなかった。


などと想いにふけっていた稲田だったのだが、改札を過ぎたところでポケットに手を入れてみると、ポケットの中には300円しか残っていなかった。


(よくもまぁこんな状態でここまでたどり着けたものだ)


我ながら感心する。と同時に情けない気持ちになってしまった。


稲田が自宅に戻ると両親は何事もなかったかのようにただ「お帰り」と返事するだけであった。息子の富山移住については関心がないのか、完全に自主性に任せているのか、とにかく普通に帰宅しただけの対応に拍子抜けだ。稲田が恵まれていたことは、実家の両親がまだ健在で、住む家に困らないことであった。


(しかしもう自分は学生ではないのだ。親に頼るなどというのは絶対にしたくない)


これ以上恥の上塗りをするわけにはいかない。親子であっても、自分はいっぱしの成人だ。


(ここはしっかりと家賃と食費は家に収めよう)


などと思ってはいるのだが、肝心の収入がない。すぐに就職先が見つかるほど世の中は甘くない。なので稲田はアルバイトを探すことにした。早速アルバイト情報誌を買ってペラペラめくると『勤務地:魚市場』という文字が目に入った。仕事内容を見ると、どうやら魚の仕入れ販売卸などの仕事のようだ。つい先日まで山の奥で過ごしていた稲田だ。海の近くでの仕事に興味を惹かれた。


(なんとなく面白そうだな)


そう思い早速連絡した。すると、すぐに来て手伝ってほしいとの返事をもらった。

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