本当の気持ち
「なんとか、なったあ……」
紗夜がほっと息を吐く。
結局、紗夜は……襲い来るゼノサイトを全て爆散させた。
信じられない光景だった。ヒトのゼノサイトは、決して脆弱ではない。通常では考えられない肉体の強度を持っていた、はずだ。
それを、いとも容易く蹂躙した。ふざけた名前の魔法──もとい、ビームで。
紗夜のレベル2。
それは、私やクロエのものと比べても、圧倒的に……戦争向きの力に見えた。
いや、もう戦争のことを考える必要も無い、か。国ごと崩壊した以上、ケレスに協力してやる義理などどこにもないのだ。
とにかくこれで、少しの間は安全だろう。
家の壁は儚くも爆散していた。野晒しだ。
あれだけ豪奢だった内装は見る影も無い。タペストリーは千切れ、シャンデリアは破散、絨毯も床と融合して分離不可能。
そして……何故か、月が昇っていた。
そこまで時間が経った感覚は無かったが、時間も運命もぐちゃぐちゃにした戦闘を経ている。
変な空間に飛ばされもしたし、どこかで時間感覚がズレていてもおかしくはない。
紗夜は、変身したまま……神秘的な装束に身を包んだまま、月明かりに照らされていた。
この世界は────月の光が強い。
紗夜は、月を背にして幻想的に映っている。その闇色の髪と瞳は、月の光の中でこれ以上ないくらいに私を惹きつけた。
頭が、ぐらぐらする。
浮遊感もある。壁が波打つように感じる。私には、わかる。何が起きているのか。もう何度も経験している。
これは『灝素酔い』だ。
ゼノサイトの死体。クロエは、殺した者が灝素を吸収するとは言っていた。だが恐らく、それが全てではない。
一度に吸収されなかった灝素が、空気中に散乱している。
強い月の光。それが照らす世界。
この光景には、きっとアルファの発する光が多分に混じっている。
灝素が────飽和している。
頭が、回らない。
先程より、クロエに逃げられた直後より、更に酷い。
体が熱い。
視界の端が変にチカチカして、異常に瞬きの数が増えている。
思えば、この世界に来て、半分くらいはこんな状態で過ごしている気がする。
……よく生きてるな、マジで。
だが、私は、成長した。
答えを得た。信念を得た。
ブレない、と言いつつ、初志からは曲がってしまったが……今抱えている意志はより強固なものになっている。
つまり。脳が十全に機能していなかろうが……するべきことを、分かっている。
「なあ……紗夜…………」
「なに?」
私の呼びかけに対し、紗夜が視線をこちらに向ける。
余りにも、魅力的で、ずっと、私の心を離さなかった、美しい闇の瞳。
揺れる月の光の中で深淵のように佇む霊妙なその瞳を、肩ごとこちらに引き寄せた。
紗夜は少し困惑しているようだったが、私の体調の悪さ故と考えたのか、抵抗する様子を見せない。
むしろ、あやすように背中に手を回してきた。
そして、私は、そのまま────唇を重ねた。
触れて、少し、かさついているのがわかる。
当然だ。これだけ滅茶苦茶な事態の直後に潤っているはずがない。
だが、私には────それが、乾燥した唇が、潤いに欠ける状態だからこそ生々しい、その血色の良い唇こそが──蠱惑的に感じられた。
「んむ────ッ!?」
そして、その中の果実を求めて舌を入れる。
紗夜には動揺が走り、顎を閉じてそれ以上受け入れなかったが……代わりに、歯をなぞることにした。
不思議な感覚だった。歯の形や大きさの一つ一つが舌先を通して詳細に伝わってきて、本来その器官にそんな意味は無いはずなのに、非常に性的に感じられた。
紗夜の顔が、茹で上がったみたいに真っ赤に染まっていって、それも堪らなく愛おしかった。紗夜の内面を知っているからこそ、だ。
この子は、明るく、無垢で、慈愛の精神を持っていて、しかし……弱かった。少なくとも今は、きっと単なる弱さとは違うが。
この世界に来る前の環境から紗夜が受けていた抑圧、ストレス。それらによって紗夜が確実に苦しみ、蝕まれていたことを私はもう知っている。
だからこそ、今、キスをされて顔を真っ赤にして、身を捩って逃げ出そうとして……それが、私の事だけを考えてくれているようで、嬉しいし、愛おしい。
忘れて欲しい。そんな柵なんて、全部捨て去って、この世界で────ずっと私と一緒にいてほしい。
募る想いを粘膜接触という形でぶつけた私の肩を掴み、正気を取り戻したらしい紗夜が唇を離した。
「────は、は、はあっ!? なに、なんなの!?」
「いや……えっと…………」
なんなの、と言われても、すぐに言葉が出てこなかった。
「…………な、なに言い淀んでるのよ……いつもみたいに、くどくど理屈っぽく喋ったらどうなの? こういう理由があって、キスした、みたいな!」
「…………改めて、キスとか言われると……………………恥ずかしい」
「は────はあぁぁあ!? もーっ! なんなの!? ほんとに意味わかんない!! なに!? なんで!?」
「嫌、だった?」
「い、嫌とかじゃ……ないけど! ず、ずるいのよ、あなた! 聞き方が!」
前にも聞いたような台詞だ。
嫌じゃ、ないらしい。……よかった。
私だって、別に……無理やり、いきなりしたつもりは……無かったけど、冷静に考えると……そんな感じだったかも……。
────とにかく私は、今までの積み重ねがあって踏み込んだつもりだった。
そして……もう一歩。
「紗夜」
「な、なに? 今度はなに?」
「好きだ」
ずっと、伝えるべきだった言葉。
たったそれだけ。
最初の魔法みたいに短い言葉。
それを口にした。
私は紗夜から、大事なことを教わっていた。
失敗を、挑戦を────他人と関わりを持つことを、恐れないこと。
他ならない、この子が……教えてくれた。
命の危機に瀕したのと同じくらい────心臓が跳ねている。
鼓動が反響して大きくなって、視界が波打つみたいに思えた。内側から体が壊れそうだった。
なあなあにしておくことも、できた、けど……嫌だった。
ずっと、一緒にいたい。恋人として。
恋人としてしか出来ないようなことを全部したいし、ずっと恋人として話したいし、何より────全部、特別な時間にしたい。
紗夜は……可愛くないくらい、大口を開けて驚いていた。
いや、それでも可愛いんだけど。
「………………は、はぁーっ!? あなた、私のこと、そういう意味で好きではないとか、言ってたじゃない! っていうか、逆でしょ、順番! キスが後でしょ、普通!!」
好きじゃないとか、そんな嘘────気付け!!
せめて、キスされた時点で、気付け!!
「……どっちが先かは……雰囲気によると思う。前に言ったのは……恋人になりたいと思ってないとか、そんなのは………嘘だ。好きだ。全然嘘だし、全然好き」
葛藤か、あるいは感情を処理しきれていないのか。
紗夜は、両の手で顔を押さえながら、少しの間、水族館のチンアナゴみたいにぐねぐね体を捩って……少しして落ち着いて、こちらを向き直して口を開いた。
「は、はっ、ん、んんんん……まあ…………女の子同士で、そういう意味で好きとか言いにくいのは、分かるわ。経験があるとかじゃないけど……理解できる。そこは
、許してあげる。そんな気は、ちょっと、してたし……」
紗夜は頬を染めつつ、尻すぼみにそう言った。
ちょっと、か。
言葉通りなら、どうやら……十分、気持ちを抑えられてはいたらしい。
紗夜が少し近付いてきて、どこかばつが悪そうに口を開いた。
「ねえ……も、もう一回、しない?」
言いながら、斜め下にその整った顔を背けている。
────あまりに、本当に、あまりに愛おしかった。
情緒で心臓が壊されるかと思った。
私に、その提案を拒む理由は無かった。
私から近付き、ゆっくりと背中に手を回す。
軽く背中を撫でて、抱き合って、今度はお互いの舌を絡めた。
私が舌を動かす度、紗夜の舌も艶かしく畝った。
味なんてしないのに、性的な器官でもなんでもないはずなのに、舌を絡めていることがただ気持ち良くて……紗夜を強く抱き寄せて、より奥へ舌を入れようとしていた。
紗夜も恍惚とした、溶け出しそうな表情でそれに合わせていた。私もそれを見て改めて興奮を覚える。水音は更に激しくなっている。
既にぼんやり分かっていたことだが、紗夜は実はかなりそういうことに興味があるようだ。
拒否されるより余程良いが。
その点はかえって『優等生』のイメージ通りだと言えた。
「芽愛…………」
一度口を離し、紗夜に上目遣いでそう呼びかけられた時、凄まじい血流を感じると共に、もう一度強い眩暈がした。
「────あ、限界…………」
もうキスをしていないのに、押し寄せる濁流のような水音が聞こえる気がする。……勘違いであって欲しい。駄目だ。もう、思考力以前に……意識が持たない。
「は!? ちょ、ちょっと! 待って! あなた、やりたい放題やっておいてっ、まだ、私の答えも聞いてないのにっ────き、気絶してる……」
私が最後に見たのは、口の端に唾液の付いた締まらない顔で私を揺り動かす紗夜と…………その背後から迫る、津波のような水の壁だった。




