デート
気が付けば、紗夜とのデートの日だった。
ここ数日、特に現実感が無かった。
もともと現実かどうかも怪しい世界だったが、輪をかけて、日々を過ごした感覚が無い。
ふと思い立って、直前だが、例の手記を確認する。
これもしばらく見てはいなかった。忙殺され忘れていていたのだ。
……忙殺というほど忙しくもなかった気はするが、とにかく他のことに意識を持っていかれていた。
しかし、ページは増えていなかった。何か条件か、必要なリソースがあるのだろうか。
……余裕がない時に限ってどうでもいい事をしたくなるのは何故なのだろう。大掃除のタイミングで出てきた漫画を読み耽っていていた冬を思い出した。
手記の確認もそこそこに、今日着る服を選ぶ。
デートに備えてクロエに新調させておいたものがいくつかある。そのうちの一つ、黒いワンピースに袖を通した。
手首まである袖口がフリルで彩られている。露出の少ないドレスと言った方が印象が近いかもしれない。
何も私を縛るものが無いのならば────流行りも同調もバランスも気にしなくて良いのならば────私はこういった、落ち着いた……彩度も明度も低いカラーの方が好きだった。
いくつか小物を見繕う。
大して数もないが、無いよりは嬉しかった。
ピアスやイヤリング等、この世界に来たタイミングで持ち込めたものと、クロエに買わせておいたリング等。そして……例のブローチ。
シックでシンプルな格好を好む私の精神的な本質と、着飾らないと不安になる精神的な脆さが同居した、あまり素敵じゃないファッション。
もう少し考えたかったが、紗夜を待たせることになるため泣く泣く切り上げる。どうせ選択肢も少なかった。
部屋を出ると、紗夜が既にリビングにいて、クロエからなにか飲み物を貰っていた。
今日の紗夜は、高校生とは思えないくらいに綺麗だった。
白いシャツに、同色の、丈の長いフレアスカート。
それだけだったが、紗夜のルックスと闇夜の様に黒い髪が異常に映えていた。
心を奪われた。
内面に反して鋭利なその視線が、私を射殺すようだった。
少し不機嫌そうな表情を崩さないまま、その瑞々しい唇を動かした。
「遅い。もう5分遅かったら部屋に突入してたわよ」
「……入ってくる分には別にいいけど……」
「なんか芽愛の格好、畏まってない? ドレスコードあるようなところ、行くつもりなかったけど」
「選択肢が少ないからな。汚れちゃってもいいよ、クロエに洗うなり買い直すなりさせるから」
「……なんか、クロエさんの扱いが雑。何かあったの?」
「ええ、それはそれは────」
「こいつはカスなんだ。紗夜が見てないところで、ろくでもないことばかりしてる。被害に遭わないうちにさっさと家を出よう」
クロエに余計なことを言わせないように言葉を重ねて、そのままクロエから離れるために、紗夜に先立って家を出た。
クロエはその本質を何も感じ取らせないような笑顔を作って、食い下がる様子を見せずに私達に手を振って見送った。
差し込んでくる朝日に、思わず片手で目を覆った。二つある分だろうか、地球より光が強いような気がする。
吹き付ける風は心地よさを感じさせるものだった。
この世界の空気は澄んでいる。温度に対して湿度が低いからそう感じるのだろうか。コロニーの気候は日本よりアメリカに近い気がする……二回しか行ったことないけど。
「今日、どこ行くんだっけ?」
「決めてない。クロエさんから貰ったメモがあるから、この中から色々行ってみようと思って」
「見てもいい?」
「元々そのつもりよ。私、文字も住所もわからないし」
「日本語と対応してるのに……と、思ったけど、そもそもまだ来て数日だし、そんなものか」
そう、あまりにも体験として濃密ではあったが……この世界に飛んできてから、まだものの十日も経っていない。
紗夜が文字をすらすら読めないのも住所の読み方を把握していないのも無理からぬことと言えた。
私の言葉を聞いてちょっとむくれてしまった紗夜から四つ折りにされたメモを受け取る。
そういえば……紙は普通に流通しているし、使えるらしい。不自由しなくなったのは世界史……もとい、地球史ではどのくらいの年代だったか……。
受け取ったメモを開く。
几帳面な字で書いてあったのは、いくつかの施設の名前と住所、簡易的な説明だった。
どれひとつとして既知のものはなかった。まあ、そもそもとして、知っていることなど限られている。
「クロエさん、ご飯食べられるところも書いてくれたみたいだから、朝もお昼もその中から食べましょう。まず軽いパンかなにか食べたいわね」
「あー……うん、近場にあるらしい。パンとか、軽食を売ってるとこ。そこに行くか」
この家の近くにそんなものがあったことに……今まで、全く気付かなかった。
少し愕然としつつ、紗夜の手を引いてその店の方へ歩き出す。
「えっ」
「あっ」
紗夜の声を聞いて、自分が無意識に紗夜の手を握ってしまったと気づいた。
失態だった。
これは、私が勝手にデートだと思っているだけで……紗夜は一言もそんなふうに言ってはいないし、私もそれをわかっていて、そんなことを口に出してはいない。
はっきりとわきまえていた、つもりだった。
ブレたつもりはない。
だが……夢現、というか。ストレスや、処理できない量の物質的な情報で……思考が散漫だった。
「ごめん。ぼーっとしてて……ほら、弟を連れて歩くみたいな……癖が出た」
しどろもどろながら取り繕って、紗夜の手を離そうとしたが────紗夜の方から、少し強く握り返された。
不意に加えられた力に、心臓が跳ねた。
「……いいんじゃないかしら、別に。変じゃないでしょ、仲が良かったら。手、繋いでいきましょう」
紗夜は少し照れくさそうにしてそう言っていた。
予想外。
完全に予想外で、既にギチギチの私の脳みそでは全く処理できなかった。
紗夜の意図も、正しい行動も、私の感情でさえ今の私には全く把握できなかった。
とりあえず、反射的に紗夜の手を握って、使い物にならない頭を必死に回そうとしながら足を動かした。




