ないしょのちから
クレースに案内された先は、想像以上の環境だった。
腐敗したゴミと屍肉。壁や床を汚物や血液がデコレーションしていて、据えた匂いが一面に充満している。
ところどころに死体が倒れていて……あるいは、生きた人間が浅く呼吸をしていた。
この臭気がスラム全体に漏れ出ていないのが不思議なくらいだった。
「ひどいものでしょ? 多分、このコロニーでこんなに不潔な場所は……ここだけ。それだけでも特異」
「……まずいんじゃないのか?」
「そりゃもう、まずいなんてもんじゃないよ。ゼノサイトがポコポコ発生してきてるし……今まで私が見たことないようなのも出てきてる」
「どんな?」
「────ヒトのゼノサイト」
クレースの言葉を反芻する。
ヒトの、ゼノサイト。
つまりそれは……人間が、アルファ────『根源寄生体』とやらに侵されたということだ。
悍ましい想像。
今まで見てきた色々な映画が脳裏に浮かんできた。パニック物に…………ゾンビ物。病原体やらの出現で、世界が一変する作品たち。
あるいは……現実的には、日本住血吸虫がもたらした、機序が解らず得体の知れなかった被害。
それらに比べれば、『宇宙よりの寄生体』が原因だと分かっているだけマシな可能性はあるが……。
『倫理的に許されない研究』というのがこれのことなら、現在十分な知識は蓄積されていないだろう。禁忌だとも言っていたし。
つまり……感染を、止められない可能性がある。
「────アウトブレイク……いや、パンデミック? 呼び方はどうでも良いが…………コロニーが終わりうる……?」
「んー……おねーさん、ちょっと的外れかも」
「……的外れ?」
「半分の半分で、四分の一くらいの点数しかあげられないよ」
クレースの言葉。
警戒すべきはその感染ではない、ということか?
「根源寄生体に……大した感染力は無いの。……気をつけるのは────宿主のほう。宿主の方にわざわざ『ゼノサイト』なんて呼称がつくくらいだから」
そんなことを言うクレースの後ろで、ぼこり、という、あぶくの弾けるような音がして、汚物溜まりが隆起した。
腐肉から出てきたガスが原因にも思えたが────違う。
悍ましい光景だった。
ぐつぐつと、煮えたぎるような表面の様相。
その隆起が大きくなる。犬猫くらいのサイズでは止まらなかった。
私に生理的な嫌悪感を抱かせながら、それはみるみるうちに大きくなり────気がつけば、人型になっていた。
「おい、クレース……」
「うーん、ちょうどいい」
「何がだよ……」
クレースにそんな事を尋ねる私の顔は、きっと引き攣っている。
人型に隆起した汚物は、しかしその表面が剥がれ……中から現れたのは、全身にうねるような凹凸がある、まるで蝿の幼虫が寄り集まってできたかのような……白い人型だった。
その凹凸はそれぞれが独立した生命体かのように、蠕動するように動いており、その点でも私に生理的な、集合体に対するような嫌悪を抱かせた。
空気が重くなったのを感じた。
腹の奥に底冷えする感覚があった。
そして……目が合った。
ありえない感覚だ。
これに目と言える器官は見えたらなかった。
しかし、明らかにその顔のような部位はこちらを見据えてきているようだった。
ただ、未知との邂逅のようなその状況は一瞬だった。
その人型が、何かを理解したかのように姿勢を低くした。
異世界で生死に触れてきた経験上、私にはすぐに分かった。それは────捕食者の構えだった。
「クレエェーーースッ!! まずいぞ、絶対にまずい! 何がちょうど良いのかさっさと教えるか、それができないなら逃げるぞ!」
思わず叫んだ。
私にももうそれなりに戦闘力はある。
具体的には、何の障りもなく十人弱の人間を殺して、戦力的に重要な相手の内臓を破壊して撤退を選ばせるくらいに。
だが、その私をして、この何かは戦うことを選ばせなかった。
「まあ、見てなよ」
この光景を前にしても、クレースの余裕は消えなかった。
わからなかった。それが根拠のある余裕なのか、無知によるものなのか。
地面が爆発した。
いや、違う。
正確には……ゼノサイトの異常な脚力による踏み込みで、爆散したのだ。
今の私の、伸縮する刀身による居合の先端さえ捉えるこの眼で以って見えない速度。
────ものが、違う。
肉体の構成か、吸った灝素の量か……とにかく、何かが決定的に違うと思わせる出力だった。
それがわかった瞬間、ナイフで急所を守るように構えた。
どのくらい効果があるのかわからないし、読み外せば死が待っていると思わせるほどの光景だったが……何もせず、私まで爆散するのをただ待つよりはマシだった。
しかし────そのアイスピックのように尖った腕部の先は私に届かず、眼前で静止していた。
私は、狙いを読み外していた。そのまま進んでくれば確実に脳を貫いている軌道。
……いや、違う。今考えるべきはそこじゃない。
止まっている理由。
伝統派空手よろしくこのゼノサイトが寸止めをしたわけではない。
そんな知性も文化も持ち合わせてるわけがない。
必死に観察して、事実を探る。
そして、状況を理解した。
クレースが、その細腕で止めていた。
全身が筋肉のように畝る、ゼノサイトのその凶器のような恐ろしい腕部を。
正確には、クレースのその腕は枝のように細いままではなく────まるで宝石のような────エメラルドのような、硬質で透明な何かに覆われていた。
結果を見ても、理解が、追いついていない。
何が起きたのか。
クレースがこちらを振り向く。
「おねーさん、びっくりした? これが、いいもの。私の武力。────ないしょの、ちから」
そう言うクレースの表情は、今目の前で起きている状況に反し……天使のように無邪気なものだった。




