アイドクレースという少女
途中寄った桃源夜亭で肉串をいくつか貰い、アイドクレースとあった場所へと歩く。
紗夜の対応は……塩だった。
初めこそ、『あ、起きられたんだ!』と笑顔を見せてくれたが、仕事に忙しいのか短期間に二度目の来訪をしてきた私に呆れているのか、クロエに私の相手を押し付けてさっさと仕事に戻ってしまった。
クロエはその端正な顔に似合わない、僅かに唇の端を歪めた嘲るような笑みで私を見据えてきて、こちらについては私が相手をしたくないのでさっさと要件を突きつけてクレースへの土産を用意させた。
特に不満を垂れる様子もなく、笑顔のまま手際よく準備をしてくれる姿に感じ入る所は無いでもなかったが……おくびにもださず、用意された土産をふんだくるとさっさと店を出た。
これ以上あいつに弱みを見せるわけにはいかない。
「さて、そうしてやって来たわけだが……」
相変わらず、入るのに少し勇気の要るタイプの路地だった。昼間だというのに先がやけに暗く、入り組んでいてすぐ先の見通しも立たない。
こんなところに進んで入る子女など存在しないだろう。
だが、ここに踏み入らなければクレースに会うこと能わない。
意を決して一歩踏み入れる。
一歩歩くたびにローファーが石畳を踏む硬い音が反響した。
前回はブローチの熱以外をあまり気にしておらず、周囲をろくに観察していなかったが……ここには、見るからに怪しいものが点在している。
立て看板からして営業こそしているようだが、それ以外に何もわからない店のドア。
各所に貼られた札のようなもの、浮浪者と思しき通行人。
……衛生状態は大丈夫なのか?
他はまあ見た目には綺麗に見えるが、浮浪者については……悪臭を漂わせて、清潔感の欠片も持ち合わせていなかった。
確か、この世界では特に、衛生状態の悪化が致命的な結果を招くと聞いたが……。
そんなことを考えるうち、前回『先生』を殺した場所まで辿り着くが、クレースの姿は見えない。
まあ家を訪ねているわけでもなく、当然である。
かなりノープランで出て来たので特に会う方法も考えていなかった。
とりあえず呼びかけてみるか?
足を肩幅ほどに開いて、息を大きく吸う。
「クレース! アイドクレース! 私だ、芽愛だ! 会いに来たぞ! おいしいものを持って来た!」
おいしいもの……というのは、クレースの語彙だ。
返事は無い。
周辺を歩きながら声を出し続けることにする。
居ればどこかで反応するだろうし……居なくとも、クレースの知り合いが出てくる可能性がある。
「アイドクレース! 会いに来たぞ!」
声を張り上げつつ、入り組んだ路地を歩く。
知り合いと会う方法としてあまりにも前時代的な行為だが、どこかそんな不便を楽しんでいる私がいた。
いや、いるにはいる、楽しんではいる、が……正直、スマホが使えるならそれでいい。だんだん疲れてきた。
五分ほど同じことを繰り返し、手応えがなく帰ろうとした時だった。
「メアおねーさん……」
後ろから、声をかけられた。
鈴の音のような声から発せられる私の名前。振り返らずとも声の主はわかった。
「クレース! 会いたかったぞ!」
「────めちゃめちゃ、恥ずかしい……人の名前、大声で叫んで回らないで。……こんな人だったっけ?」
クレースの顔は真っ赤になっていた。
雪のように白い肌に薄緑の髪と瞳をしているため、その紅潮が余計に目立つ。相変わらず、スラムの孤児とは思えない美しい容姿だった。
「それは悪かったな! はははははは」
「え、怖……どうしたの?」
「なんでもない」
「なんで急に真顔になるの!? 怖いって!」
クレースに露骨に嫌な顔をされて、少し正気に戻った。
嫌なことから目を逸らして、誤魔化すようにはしゃいでいた。私は普段冷静な方だと自負していているが……同時に本来感情的な人間でもある。一度感情の制御が効かなくなると諸々のブレーキがぶっ壊れる悪癖がある。それは自覚していても治るものではなく、今回は早めに治まって内心ほっとしている。
反面……その悪癖は感情を消化するための手段であり、早めに切り上げてしまえばその分自分の中に蟠りが残ったままになる。
具体的には……殺人も、クロエとのキスも……まだ、全く、私の中で消化し切れていないのだった。
「はぁ…………」
「じょ、情緒…………すごすぎ? ほんとになに? 大丈夫?」
「大丈夫ではないが……肉を持ってきたぞ」
クロエからせしめてきた包みを掲げてみせる。
中から香ばしい肉の香りとタレの匂いが染み出しており、玉手箱のように私達を期待させる代物だった。
「おー、開けてもないのに美味しそう。私の言ったこと、覚えててくれたんだ」
クレースが小動物のように周りを嗅ぎ回る。
前回、異常に達観した様を見せられていたが……こうしていると、年相応の少女のようだった。
「もちろんだ。私はこれでも……クレースに、とても感謝している」
「だったらもう少し穏便に探して欲しいけど……。まあいいや。折角だから、うちに案内するよ。ついてきて」
くるりと翻って、先の見えない路地を軽やかに歩いていくクレース。
うち、か。『先生』の家でも乗っ取って暮らしているのだろうか。
肉串の包みにだけ気を使いながら、ここが庭かのように迷いなく歩くクレースの後を追った。




