うるさい
唐突なクロエの言葉に、思わず声を大きくして反応してしまった。
女性が好きだ、などと。
「今思って、適当に言ったわけではないですよ。今までの行動や表情、行動選択や振る舞いからして……という話で、つまりプロファイリングの結果です。ああ、誰にも……サヤ様にも伝えませんから、そのあたりはご安心ください」
プロファイリングね。
刑事ドラマでしか聞かないような言葉だ。
どう答えるべきか。
女性が好きだなんて……そもそも……私の中で完全に整理がついている話でもない。
「…………一応言っておくが……別に、女性だけが好きとか……女性を常に性的に見てるとか、そういうことじゃない」
「ええ、わかりますよ。ご婦人が秘密の趣味としているケースもあります」
「……だから、そういうことじゃなくてだな……」
やなり、価値観にどうしてもズレはあるか。
そもそも、現代でも手放しで受け入れてもらえるような話ではない。
移民の女子高生に敵国工作員の暗殺を強いるような、倫理観終わってる奴らに理解してもらえるわけはなかった。
「なんですか、その沈黙。失礼なことを考えてませんか?」
「いや……」
こいつ……中々鋭いな。
「とにかく……急にお前を襲うとかはないから……お前も、変なこと言ってはしゃぐなよ」
「はしゃぐ……『きゃー襲われる』、というような騒ぎ方でしょうか? 心配いただかなくとも大丈夫ですよ、私は粛々と受け入れましょう」
「そういうことじゃなくてだな……」
「そういうことですよ。自分でも整理がついていらっしゃらないのでしょうか。私にはわかりますよ。体を拭かれた貴方の考えていることも、私の……女性的な魅力を悪しからず思っていることも。『運命の魔女』ですから」
「………………」
『運命の魔女』。
私はまずもってこいつの、その……通り名? を、かなり胡散臭いものだと思っていた。
実際に、襤褸の男を停止させた瞬間を目の当たりにしてはいるが……あれにも、違和感があった。
ましてや、『運命を読める』とか『相手の考えていることがわかる』などという部分はかなり眉唾に思える。
だって────考えを読める相手のプロファイリングなんて不要だろう。
やはり、レベル2に関する情報が必要だ。
何ができて、何ができないのか。どこまでの超常を現実のものとできるのか。
クロエに体を拭かれて、心がざわついたのは事実だ。
クロエのことをある程度魅力的に思っているのも事実。
月の夜は特に危なかった。
だが、それを踏まえても……『運命の魔女』としての能力を過大評価するのはよくない、気がする。
その呼称が似つかわしいと、少し思ってしまってはいるが……。
クロエが私の体を拭く手が一度止まり、洗面器でタオルを洗う。
そして、改めてその手が私の胸の辺りにきた。
特別な意味は無いはずだ。変な声だけは絶対に上げないように意識する。
「お体に触りますよ……」
「………………お前…………なんでこんな時に、急にそんな面白いこと言うんだ」
不意打ちのユーモアだ。
日本語表現が巧みで、ここが別の世界だということを忘れそうになる。
「んっ」
は?
────は?
…………。
思わず黙り込み、お互いに静止した。
居た堪れない静寂が場を包む。
やってしまった。タオルが先端に触れた、その刺激に反応して思わず声が出た。
気が緩んだ。クロエの変なユーモアで意識を逸らされた。
そもそも……体を拭かれること自体強く断るべきだったんだ。
「…………」
「いいんですよ……」
「………………よくない」
クロエの声が少し甘くなったような気がする。
距離も近い。
調子に乗っているか……そういう雰囲気にしようとしている。
まずい。これ以上は絶対にまずい。
もう何がとも言わないが、まずい。
「あーもう! やめだ。もういい、後は自分でやるから」
声を荒げて、無理矢理体を拭くのをやめさせる。
意外にもクロエはすんなりと身を引いた。
「そうですか。では、今日はここまでにしましょう。顔は真っ赤になりましたが、本当に思ったより元気みたいですし……」
「うるさい……まじでうるさい…………」
顎に手を当てて、くすくすと揶揄ってくるクロエ。
こんな状況を許してしまった自分の甘さに恥入りつつ、ネグリジェを着直す。
腕を通すときのクロエの視線が気になる。自意識過剰だろうか。
とにかくどうにか服を着て、そのまま奪い取ったタオルで体を拭く。
クロエは少し離れた位置に座り直すと、頬杖をついて私を観察していた。
「器用ですねえ」
「前にも言われた気がする…………まあ、紗夜はあれだけど、クロエは別にできなくてもいいことか……」
思い返すと紗夜ができないのはやっぱりおかしいと思う。
服を着たまま体を拭くとか、タオルを纏ったまま着替えるとかは、異性の目のある空間で生活していたらどうしたって身につくスキルだ。
小学校のプールの授業とか、まともに更衣室が分かれていた記憶がないし……それ自体どうなんだという気はするけど。
一通り体を拭き終えたので、タオルが要らなくなった。放り投げてもいいが、折角なのでクロエに回収させることにする。
「おい、取りに来い」
「なんだか一層図々しくなりましたね……むしろ、しおらしくなってもよいと思うのですが」
「生憎そういうふうにはできてない」
クロエはやれやれといった風に仰々しく立ち上がり、焦らすように一歩一歩こちらに近づいてきた。
クロエが歩く度、二人だけの静かな空間に、衣擦れと床の軋む音が響いた。
そして、私のところまで来たのでタオルを手渡そうとすると……そのままタオル越しに私の手を掴んできた。
「おい……」
力が強い。変容し増加した私の筋力で以って強いと感じるだけの力。きっと計算して適切なだけの出力を保っている。
そして、クロエはそのまま力を強めた。
何が起きるかというと……ギリギリのところで耐えていた私がベッドの上に座る姿勢を維持できず、そのまま優しく押し倒される格好になる。
「おい────」
私の抗議を止めるかのように────唇を封じられた。
柔らかく、どこかくすぐったい感触。
桃の匂いが鼻腔に入り込んできて、一瞬で私の感情を乱高下させ、血流を乱した。
ピンクの長髪で周囲の視界を遮られて、クロエの瞳しか目に入らなかった。
脳味噌を揺り動かされたかのように平衡感覚が失われた。
────何が起こったのかわからなかった。
視界が明滅した。
ぎゅっと目を閉じてそれに抵抗し、そうすると少し遅れて、何が起きていたのかを完全に理解できた。
謎の光線を撃たれた時より、理解が百倍は遅かった。
理解して、絶叫する。
「────────ッ!? 〜〜〜っ! !!??」
否。声も出なかった。
心拍が異常な速度にまで高まっていた。多分、生まれて初めてとか、そのレベルまで。
全身が急に敏感になって、自分でないみたいだった。
落ち着く。落ち着かせる。自分を。
大丈夫、考えろ。
私は痴漢にも冷静に対処できるタイプの人間だ。実際にされたことはないが……。
紗夜はしょっちゅう痴漢されてそうだな……という今考えるべきでない雑念を捨て置き、まずすべきこととしてクロエを思い切り突き飛ばして押し退けた。
こいつは多分全力で相手してもいい。
あまりうまく力を入れられた気はしないが、少なくともクロエは退いてくれた。
「────ふっざっ、けるなっ、お前!! 死ねッ!!」
なりふり構わず叫んでみせる。
クロエはまだ余裕ぶって顎に手を当てていたが、頬が少し紅潮しているのが見て取れた。
「……メア様は、正直……もっと擦れてて、キスぐらいでは動揺してくれないものと思っていたのですが……嬉しい誤算です。普通、胸で感じさせられるほうが反応大きいですよ?」
「どっちやってくるのもおかしいよバカ!! あーもう、ケレスに報告してやる! もう知らん、看過できん! 恋人共にもキスはさせたことなかったのに! 返せ!!」
唇は、本当に……許したことがなかった。よりにもよって……こっちに、こいつにっ!
最悪だった。もう。
ここまで取り乱すのは自分でも意外だった。
初めてだったのに、なんて乙女チックなことを、ましてやキスで! 私が言うことになろうとは。
だが、感情は感情だ。自分に嘘はつけない。
…………返してほしい。
「おや、初めてですか? それは僥倖です。嬉しい誤算、とでも言うべきでしょうか。結構乙女なんですね……ますます惹かれてしまいます。返すことはできませんが、責任なら取れますよ」
返せない。それはそうだ。
私は、そんな因縁めいた言いがかりはつけない。……普段なら。
「責任取れとか、望んでない! バカ! 返せないなら消えろ!」
「返せませんが……まあ、せめて本日はお暇しましょう。折角なのでファーストキスの味を反芻しておいてください。……ああ、一応。ケレス様に報告するのは構いませんが、恐らく介入はしませんよ。私達は魔女同士で、なんなら私の方が国にとって有益な人材です。せめてサヤ様も巻き込むくらいでないと……天秤は傾かない。まして生死に関係する話でもございませんし……」
ケレスについては、クロエの言葉通りだった。
そんなこと、普段の私ならわかるはずだった。
ひとしきり言い切ると、クロエは長いスカートをこれ見よがしにはためかせてゆっくりと部屋を出て行った。
私以外誰もいなくなったはずの部屋から、甘い声と、衣擦れの音がずっと聞こえている気がした。
「うるさい………………」
そう呟いて掻き消そうとしても、部屋の中には確かに桃の香りの余韻と、消えてくれない唇の熱が残っていた。




