優先順位
「し、し、し、死ぬかと、思った……」
「よかったよ、そのくらいの危機感はあって……。お尻大丈夫か? 服に穴空いてない? 肌切れてない?」
「穴は、空いてなさそうだし、多分怪我もない、けど……泥だらけになった……」
紗夜がスカートを捲って、泥だらけになった下着と脚を見せつけてくる。
少し驚いて、表情を隠すように指先で口元を覆ってしまった。
「……まあ、仕方ないな。替えはないし、どこかで洗えるといいんだけど……」
滑り切った先で蹲っていた紗夜だったが、怪我は無さそうだった。不幸中の幸いだろうか。
こんな状況になるとまともに脚を守ってくれないスカートさえ忌々しかった。
「それならほら、あれ」
紗夜が指差した先。
そこには探し求めていた水場があった。怪我の功名と言うべきか?
ただ……『止まった』水だ。使うには危険すぎるように思う。
「早めに見つかって良かった……。流入経路を調べよう」
自然界の池であれば、流入経路が無いケースは珍しい。……多分。
探す価値はあるし、池の水を直接使うより遥かにマシだ。それでも、危険ではあるが……。
「直接池の水使っちゃダメなの?」
「ダメだ。……と、思う。ここが……どういう場所かわからないけど、私達の常識で言うなら動きの無い水は危険だ。細菌や寄生虫が繁殖しやすい環境になってる……はず。アメーバに脳を食い荒らされたくなかったら触らない方がいい」
人工的な部分のある、完全に止まった水溜りでなければそこまで危険でもないとは思うが……そんなリスクを取る必要はない。流水があればそちらを使えばいいのだ。
「そんなことになるの……? 芽愛、随分と詳しいのね。何かやってたの? ボーイスカウト、とか?」
「何もやってなかったよ。やっておけばよかったとは、今少し思ってるけど……」
ボーイスカウトがどういうものかあまり把握していないが、この状況を打破できるだけの知恵を手に入れられるものなのだろうか?
だとするなら、ピアノを習わせるよりは……今この状況においては価値のある経験になっていただろう。
「あった。小川だ。上流に行こう」
「ねえ、あれ」
「え?」
私の言葉を遮り、また紗夜が指差した先。
そこにあったのは、小屋だった。
随分と古い……木造の、山小屋のような建物。
「何で……? 人がいるのか?」
小屋の中に人がいないとしても、明らかな人工物。
随分と年季が入っているが……それは少なくとも、私達の飛ばされてきたこの場所が、未開の地ではないという証拠だった。
────そう。
私達は飛ばされてきたのだ。
学校帰り、たまたま一緒になっただけの私達が……一瞬で、こんな辺境へ。
ありえなかった。
超常現象。生まれて初めてそんなものに遭遇した。
ここがどんな場所なのかは、まだ一切分かっていない。この小屋が大きな手掛かりだ。
だが……水の優先順位も非常に高い。
「……先に水だ。それで、その後に小屋を調べよう」
「手分けするのは? あなたが水で、私が小屋を調べるの」
こいつ、この期に及んで喉の渇きを感じていないのか?
だとするなら、我慢強いというか、随分と……鈍い。
耐性とかいう問題じゃない。渇きは生物である以上逃れられないものだ。
っていうか、パンツが泥だらけだって話をお前からしたばっかりだろ! 洗いたくないのか? 何を考えているのか、わからない……。
「…………紗夜も、水を飲んでおいた方がいいと思う。運ぶ手段も無いし、一緒に行った方がいい。……ショーツも泥だらけだし」
「…………ねえ……なんでそこまで気にしてくれるの?」
「はあ?」
紗夜の言葉の意図がわからなかった。
この場には……私と紗夜しかいない。二人でやっていく必要があって……気にしすぎなんてことはないはずだ。
「だってあなた、きっと……一人のほうが、上手くやれる」
それは……確かに、紗夜の言う通りかもしれない。
私は多分、紗夜と比べれば落ち着いているし、比較的この状況に適応できているのだろう。
でも……。
「私は、紗夜のことが嫌いじゃない」
「えっ? うん」
驚いたように見開かれた紗夜の瞳を見据えて話す。
「野垂れ死にされても寝覚めが悪い。私が仮に、紗夜を足手纏いだと思ってたとして……何かしら……街を見つけるとかで安定するまでは、面倒を見るから」
「あ、ありがとう……」
それに、ここで見捨てるような相手だったら、私は……最初からこんなところに来てはいない。
紗夜が覚えているかどうかは知らないが、この場所に転移する時────紗夜の足元に、急に大きな穴が空いた。
それを偶々近くで見ていた私が、咄嗟に助けようとして……それが叶わず巻き込まれて、今に至る。
つまり私は、客観的に見て……お人好しだった。
大した理由も無く、下手したら人生も棒に振ってこんな場所にいる。
ただ、後悔はしていない。
むしろ、こうなったからには────私がブレてはいけないんだ。
そんなことを考えていると、ふと判断ミスに気付く。
「…………冷静じゃなかったな」
「?」
思索によって、少しだけ冷静さを取り戻し……先ほど立てた方針が最適ではなかったとわかった。
一日二日水が無くても即死するわけではないし……流水であってもリスクはある。
小屋に何か……水分や、情報がある可能性がある。時間を取られる作業でもないし、きっと先に小屋を見るのがベターだった。……なんか、下着のこともそんなに気になってないらしいし……。
一人の方が上手くやれる?
そんな事はない。
紗夜がいなければ、判断を誤り、結果水を飲んで下痢に苛まれていたかもしれない。
孤独は精神を蝕み、判断力を低下させる。他人がいなければ自分を省みることができない。紗夜の存在は素直に救いだった。
……まあ、小屋の確認を優先しようが、中に何の情報も無ければ結局はそのまま水を飲まざるを得ないのだが。
「先に小屋でいい。二人で探索しよう」
「? うん、わかった」
まあ、もしかしたら……サバイバルの役に立つものも、本当に見つかるかもしれない。
淡い期待を抱き、小屋のドアに手を掛ける。




