遭難したの?
「紗夜さ、ゴム持ってない?」
「……は?」
照りつける太陽。
スマホの中でも見たことのないような植生。
何もわからないけど、とりあえず……喉が渇いた。
視界の端が明滅し、思考がまとまらない。舌が口の中で張り付く感じがして、それがたまらなく不快だった。
「ヘアゴムならあるけど……」
隣にいる女は……察しが悪かった。
「ヘアゴムで何するんだ? ゴムって言ったらコンドームだろ。持ってるなら渡してくれ」
「はぁ!? 持ってるわけないじゃない! そっちのほうが意味わかんないでしょ!」
「水が要る……」
「……?」
死活問題だった。
こんなわけのわからないところに放り出されて早一日。
私達は……一切の水分を口にしていない。
「多少でも水分が欲しい。朝露を集めるのに使うんだ。植物の葉に被せて蒸散する水分を確保するのもいい。どのくらい取れるのか知らないが……。私達の……おしっこを飲むとか、悪足掻きはできるけど…‥根本的な解決にならない」
これらは聞き齧った知識でしかなかったが……何も縋るものが無いよりはマシだった。私は……朝露が、人間が生存できるほどの量を確保できるものなのかも知らない。
「お、おしっこって、あなた、本気?」
「乾涸びて死ぬよりマシだろ」
生理的にも衛生的にも健康面でも絶対にやりたくないが……渇きに抗える時間は、あまり長くない。
この楽観的な女は雨宮紗夜。
私と同じ学校に通っていて、いかにも優等生という風貌をしているし、実際それで通っていた。
長めの黒髪は真面目さの発露というよりも男ウケを意識しているように思えなくもないが……まあ、邪推だろうし、今はいい。
問題は────こいつに優等生らしい知識も知恵も危機意識も、その一切が無いことだった。
「死ぬって、そんな大げさな……」
「動物は水を飲めなかったら死ぬんだよ」
一日目。
つまり昨日だが……初動が良くなかった。
最も体力に余裕があるうちにするべきことがあったはずだ。
それを紗夜を宥めるだとか、気を逸らすための雑談だとか、あまり実益にならないところに費やしてしまった。所謂ウッズショック──パニック状態──の解消と考えれば必要ではあったが……状況は最悪だった。
……いや、一日でこの精神状態まで戻してこられたことを考えれば上出来だろうか。
「とにかく、コンドームなんて持ってないわ。水が欲しいなら、水源を探すのはどう?」
紗夜の提案は実際私が考えていた候補の一つではあった。
火も使えないこの状況では水を手に入れる手段は非常に限られている。
流水を探す。朝露を集める。植物の汁を啜る。
大まかにはこれくらいだろう。
環境は密林に近い。後者二つも充分有力な選択肢ではあるが……容器が無い現状、純粋な水分量を求めるなら前者に軍配が上がる。
「……まあ、それしかないか。衛生面は期待できそうにないけど……」
結局のところ、探索は必要になるだろう。
だが、闇雲に歩き回るわけにもいかない。
サバイバルの鉄則は『動かないこと』だったはずだ。
指針は用意した方がいい。
だが……何を基準にするべきか思いつかない。未開の地でサバイバルをするような動画に何の興味も持っていなかったが、こんなことになるのなら教養として観ておくべきだった。
雑誌で流し読みした程度のサバイバル知識でどこまで生き延びられるだろうか。
「とりあえず……微妙に傾斜があるから、下の方に歩いてみるか。池だったりの水場を見つけて、そこから改めて上流まで辿っていけるのが理想だ。流水は必ずしも安全じゃないけど、動きの無い水溜りよりはマシだ……多分」
それだけ言って歩き始める。
水源が一切無い、というのは砂漠でもない限り稀なはずだ。歩き続ければいつかは見つかる。
歩きにくく、体力を奪うローファーが憎い。
学校は絶対にこんなものより機能性に優れたスニーカーを履かせるべきだ。こんなもの、きっと校則を決める権利を持った人間の性的嗜好に振り回された結果でしかない。
「……ねえ芽愛、あなた、彼氏とかいたりした?」
全く状況にそぐわない、意味不明な紗夜の話題振り。
余計な会話は喉の渇きを自覚させるだけだった。
だが、またパニックになられても困る。あまり無視するわけにもいかない。
「今はいないよ。なんでそんなこと聞くんだ」
「……派手な格好してたから、遊んでると思ってて……でも、実際話してみると印象が違ったから」
紗夜の話し方はいまいち要領を得ないことが多い。
状況のせいなのか、あるいは元々こうなのか。
というか私は派手は派手だが、あまり……異性を意識した格好でもないはずだ。
まあそれでもアプローチしてくるような奴はいて、適当に付き合ったり振ったりはしていたが、大して深い付き合いになったことはない。
裏でえげつないことやってそうなのはむしろ紗夜のほうだ。見ていた限りではそのようなことはないが……。
「ちゃんと理解してもらえたようで良かったよ。紗夜は?」
「いなかった。そんな暇無かったし……」
「じゃあ何やってたんだ」
「勉強とか、習い事。門限も厳しかったし、他には何もできなかった」
……どうやらこいつに関しては本当に見た目通り……遊んでいないようだった。
勝手なレッテルを貼ったことを少し反省しつつ、その割に引っかかる部分もある。
「成績上位者に紗夜の名前見たことないぞ」
「………………」
黙った紗夜の方を振り向くと、顔を真っ赤にして今にも泣きそうになっていた。
くだらない軽口のつもりではあったが……距離感を見誤ったようだ。地雷を踏んだらしい。
「あー、ごめん、悪かった。過程が大事だよな、頑張ったっていう……。あ、ほら、この辺傾斜が急になってるぞ。降っていくけど、変な苔が生えてるから……踏み抜いて滑り落ちないように気を付けろよ」
取り繕いつつ、足元にも注意を払う。
所々に生えている苔のような植物は妙に艶がかっており、踏めば簡単に足を滑らせそうだった。
傾斜の先は植物に阻まれよく見えない。
慎重に一歩一歩降っていくが……不意にすぐ背後から間抜けな声が聞こえた。
「あっ」
私がその声に気づいた時にはもう遅く、足を滑らせた紗夜がありえない勢いで傾斜を尻で滑っていった。
がさがさと葉を擦る音、バキバキと枝か何かを折りながら進んでいく音が不思議なくらい鮮明に聞こえてくる。
目の前の光景が信じられなかった。
気をつけろよと、注意したはずだし、こんな環境で他に気を取られる要素もないはずだった。
だからきっと……紗夜が間抜けすぎたんだ。
「こっ、この…………このアホおおおおおおッ!!」
直接は言わないようにしていた暴言も思わず飛び出してしまった。
無理だ。こんなものを見せられて抑えられるわけがない。
今私にできるのは、紗夜が大した怪我をしないよう祈りつつ、自分だけは慎重に降りていくことだけだった。




