夜
「寝れねえよ……」
クロエが用意した食事を口にし、歯まで磨いて布団に入ったが……事前に伝えられた通り、ベッドは一つだった。
日本ではお目にかかったことのない天蓋付きのベッド。
隣にネグリジェ姿の紗夜がいる。
疲労こそあるが、ゼノサイトを倒した場所から運ばれている間に気絶していたし、劇的に眠いわけでもない。
そんな状態で……眠くもなくて、隣にこんな格好の紗夜がいて……眠れるわけがなかった。必然だ。
まともな寝所も無いような極限状態とは話が違う。
「はあ……」
改めて隣の紗夜に目を向ける。
無防備だった。
何を警戒しろというわけでもないが……襲われればすぐに……死んでしまう。抵抗の余地もないだろう。彼女の今の姿にはどうしようもない脆さがある。
翻って、それはどうしようもなく魅力的だった。
手を触れようとして……思い直し、すぐに引っ込めた。
超えてはならない一線。
私は……しっかりと、線引きしている。
……少し、外でも見てくるか?
ただ、この世界の治安がわからない。
日本の実家周辺なら、夜中でも割と気軽に出歩くことができたが……ここは謎の異世界で、私も若い女だ。襲われないとも限らない。
まともな自衛手段が手に入るか、治安を確認できるまでは迂闊に外を出歩けない。
ただ、このままここにいても精神が持たないので、一旦部屋の外に出る。
家の内装は中世貴族のそれを想起させた。と言っても知識として細かく持っているわけではないが。
壁を覆うように垂らされているタペストリー。いかにも高級そうな絨毯。
煌びやかな燭台に、精巧な作りのシャンデリア。
多分……火が灯っているわけではない。不思議な光。
その光は私達が寝ると言ってからかなり弱くなった。調整が可能らしい。
「おや、寝付けませんか?」
リビング……に相当する場所で、安楽椅子に座っていたのはクロエだ。燭台でなく、月明かりで本を読んでいたようだった。
寝巻きを着ているわけではなく、昼間と同じメイド服。
「……まあ」
「話し相手くらいならできますが、いかがいたしましょう?」
「……お願い」
そのメイドは、月明かりに照らされて神秘的な光を纏っていた。
私達の世界ではあり得なかった桃色の髪だが、彼女の地毛なのだろうか。
「この家はいかがです? ケレス様は空いている家の中では最も良い物を見繕ったようですが」
「そりゃ……驚いてるよ。色々……」
「それは何よりでございます。あなた方はご存知ないでしょうが、普通の家はこうではありません。暖かい風呂に入れる人間は……この国ではごく一部です。ケレス様はあなた方を最大限饗そうとしているのですよ。あまり伝わらなかったかもしれませんが……」
「どちらかというと……飴を与えすぎないように気をつけているようだったが」
「それは前提でございます。餌は餌として機能させなければいけません。好き放題与えておいて、それを奪うぞと脅すのでは『人質』です。それは悪感情に繋がりますからね。だから、あなた方は飢えさせるべき……それをわかった上でこの待遇ですよ。あの方は結局お優しいのです」
一見筋が通っているクロエの言葉は……欺瞞か、洗脳のためのものだと、はっきりと理解できた。
「本当に優しければ……女子を戦争に駆り出さない」
「それはまあ、時勢の問題でございますから」
はあ、と大きく溜息を吐いてみせる。
「少し外でも歩きましょうか?」
「大丈夫なのか?」
「ええ。私は……ボディガードも兼ねています」
治安の面で大丈夫、というわけではないらしかった。
となるとクロエを信用するかどうか、という話になるわけだが……。
実際のところ、今更警戒を強める意味は薄かった。
その気になればクロエは簡単に私達の寝首を掻ける状態だ。私のしたいようにすればいい。
「……出るか」
「はい、かしこまりました。そのままの格好では少々問題になるので……こちらを上から羽織ってください」
そう言うと、クロエはどこからか服……探偵風のトレンチコートを取り出した。
クロエやケレスの服装からはあまりイメージできないファッションだが、この世界の人間は一般的にどのような服を着ているのだろうか。
……そしてこれ、ネグリジェの上からコートを羽織ったとして、結局痴女のそれなのではないだろうか。




