刃、月の光
夜の街をクロエと共に歩く。
街には昼と同じく人気が無かった。
というか、まず人工の明かりらしきものが無い。
地球より強い月明かりがある程度夜道を明るく照らしているが、それでも日本の夜に比べれば暗く、静かだった。
「……人がいないのはなぜだ? 私達は、ここに来てからほとんど一般人を見ていない」
「昼は偶然でしょう。夜は……一般住民は、『自分達は外出しない方が良い』と思っているからです」
「……なぜ?」
「夜とは、恐怖そのものです。太古より、人は夜を恐れ、それを洞穴の中で凌いできました。その畏れはこの世界で宗教に、生活に根付いています。ですので……特別な理由がない限り、この街の住民は夜に外に出ません」
「……」
宗教か。確かに、それらしいと言えばそれらしい理由だ。
なぜ牛肉を食べないのかと問い、宗教上の理由だと返されれば……そうなんだと言って、それ以上深掘りはしない。
当時その環境で『牛は殺して食べるよりも生かしておくほうが経済的に得だった』とか、実際にはそのような……訓戒が定められている理由があるはずだが、祈りを捧げている本人がそれを知っているケースはあまり多くないだろう。
だが……こいつは知っているのかもしれない。
わざわざ『この世界で』なんて言っているんだ。
差異を。私の世界とこの世界の差異を、知っていてもおかしくはない。
「……この世界の夜には何があるんだ?」
「……もう少ししてから説明しようと思っていましたが……」
クロエが足を止めた。
こちらをその透き通った相貌で見据えて、大きく深呼吸をする。
「アルファです」
アルファ。
クロエの説明していた……外宇宙よりの『根源寄生体』。
「夜間、アルファの活動は活発になります。────光るんですよ。アルファの光は脳を蝕み、幻覚を見せ、幻聴を生み出します」
その話を聞いた瞬間……地球より強い月明かりで明るく見えていた街並みが、見た目には何も変わっていないのに、急に悍ましいものに見えた。
きらきらと光るなにかが、私の目を侵すように思えてくる。
「おい。この光……。………………なんで連れ出した?」
「大丈夫ですよ。この光は、灝素を流し込むための光です。幻覚は副作用で、純粋な寄生プロセスとは別ですし。灝素であれば、メア様には耐性がある」
灝素。
私の解釈ではそれは……所謂ゲームの、経験値だった。
そうだとするならば、この世界の夜の状況は。
「……お前の言う通りなら、灝素に耐性のある人間はむしろ……夜に出歩くようになるんじゃないのか?」
クロエは笑顔で、ぱん、と手を叩いた。正解だとでも言いたいのか。
「ええ、おっしゃる通り。……ですから尚更、普通の人間は出歩かない。世の中、善人ばかりではないのです。耐性を持つ人間であれば尚のこと、善くはないのですから」
尚のこと。
私にはその言葉の理由がわからなかった。
「耐性と、倫理観……というか善悪に、どんな関係があるんだ」
私がそう問うと、クロエはふと視線を切った。
私の周りを歩き、月を背にしたところで足を止める。
そしてくるりと周り、スカートをはためかせると、目を見開いて笑顔を作り────手をこちらに差し出した。
世界に満ちる、青白い月の光。
見開いたクロエの目の中に、怪しいピンク色の光と……二重螺旋のような模様が見えた。
桃色の髪を月の光が照らす、その姿はまるで宇宙人のようで、そこに神秘を見出させる。差し出す手、白魚のようなその指先は、進歩への誘いにさえ見えた。
『幼年期の終わり』。
私の頭にふとそんな言葉が浮かんだ。
わけがわからなかった。クロエの行動も、目の前の神秘的な光景も、私の思考も。
錯乱。月の光が私を狂わせているのか。
「────メア様! あなたは────あまりに美しい!」
「……ファウスト?」
唐突に、意識外から投げかけられたその言葉に……そんな、意味の無い返答しかできなかった。
「はい? ……言葉通り、あなた様はとても美しいのです。少し、普通ではないくらいに。だからきっと……善人じゃない」
「……はあ?」
私は……私の容姿は悪い方ではないと思うが、別段優れている自覚は無い。それに……そうだとして、善人ではないなどと言われる筋合いも無い。
口角を上げてクロエが続ける。
「灝素に耐性を持つ人間は皆、美しいそうですよ。……私が見てきた限り、そこは眉唾ではありますが。後天的にも獲得できるものですし……。しかし、魔女には先天的素質が必要で、そちらも……美しい人間ばかりだとか。両方の性質を持つあなた様は実際に信じられないくらいに美しくて────きっと善人じゃない」
魔女についても伝承の話ですがね、とクロエは付け加える。
「話が……見えない。何を言いたいんだ?」
同じことを繰り返しているようにさえ聞こえた。
言いたいことが……わからない。
「神は善人に微笑まなかった。この世界で力を得るには……『悪い人』じゃないといけないんです」
本当に言葉が真実だとするなら、私は悪人ということになる。
だが、少なくとも。
「……紗夜は……悪い人間じゃない」
「そうかもしれません。彼女はきっと……あなた様に影響を受けただけ。本当は魔女じゃなかったし、きっと本来はゼノサイトに殺されて終わっていたのでしょう。あなた様が運命を捻じ曲げた」
先程から。クロエの言っていることが、まるで理解できなかった。
まるで運命を読めるかのような口ぶり。
…………こいつは一体────誰なんだ?
「ああ、疑問に思っていることでしょう、美しい人。この卑しい女にそんなことが言えるわけがない。運命は一本しか存在せず、『本来』なんて言葉はあり得ない。神にでもなったつもりか、と!」
クロエはさらに大仰に振る舞った。
私は……そこまで思ってはいなかったし、そもそもそこを考える程思考に余裕も無かったが……それを指摘もしなかった。
だって……纏う雰囲気が異常だった。
クロエに跳ねる月光が美しすぎて、ただそれに飲まれていた。
舌が、動かない。目が見開いたまま、瞼を制御できない。
金縛りにでも遭ったような有り様だった。
「しかし、当たらずとも遠からず……私はッ! 魔女! 『運命の魔女』なのですッ!!」
叫ぶクロエ。
その整った顔を歪めず、しかし狂気で顔を満たしていた。
まるで現実味がなかった。ずっと、クロエの言葉を……理解も、受容もできていない。
かろうじて拾えた情報。クロエがこの国のたった一人の魔女であること。予想できなくはなかったにしろ、衝撃の事実であるはずだった。
驚くだけの余裕が今の私にはなかった。
これは『灝素酔い』じゃない。
ただ、きっと……雰囲気に呑まれて、思考リソースを奪われていた。身体の自由さえ、効かないくらいに。
クロエが仰々しく、芝居がかった仕草で大きく息を吸った。
モノクルの縁が月光を反射し強く光る。
その奥の大きな瞳が私を見据えていた。
「さあ、メア様! 私と────」
クロエが私を何かに誘おうとした、その時だった。
突然だった。
轟音。
発生源に目を向けると、人が────落ちてきていた。
隕石のような勢いで。
着地に伴い、衝撃による破壊があたりに波及する。
「サプラァーーイズ!!」
空から落ちてきた男が、叫びながらクロエに襲いかかる。
その両手には細身の大剣。かなり質量のありそうなそれを、ナイフのように軽々振り回してクロエを斬りつけようとしていた。
男の登場は────全ての雰囲気を、ぶち壊していた。
「っ! ああもう!」
対するクロエはスカートを捲り上げ、太腿を扇状的に縛り付けるホルスターから拳銃を取り出していた。
拳銃はその先に短剣を携え、歯車による機構を持った代物だった。
その拳銃で斬撃を受け止め、返す刀で男に発砲する。扱いとしては十手に近いのだろうか。
ただ……効いている様子はない。
閑静だった街が、突如として戦闘音で溢れ返る。
剣が家屋の煉瓦や石畳を擦る、乾いた厭な音。この世界に似つかわしくない発砲音。お互いの武器が擦れ合う音と火花。いつの間にかクロエは拳銃をもう一丁取り出していた。
男がステップを踏むと石畳が捲れ上がり爆音が鳴る。
男は全身を襤褸で覆い隠し、顔やボディラインがはっきりとしなかった。
おそらくは長身で、声から男であることがわかる、という程度。
「敗戦国の皆さんこんにチはぁ! 『処刑』の時間でェーっす!」
物理的な衝撃と突然の状況、男の言葉によって……私はいつの間にか正気に戻っていた。
過剰な負荷で脳がリセットされた感覚。状況を俯瞰しフラットに見ることができるようになっていた。
……めちゃくちゃ言ってるなこいつ……。
口振りからしてケレスの国を戦争で負かした国の人間だろうか。……だとして、普通直接、一人で、襲いに来ないと思うが……。……他に仲間がいる? そんな雰囲気は、しないが……。
「あぁーもう、なんでこんなときに限ってこのタイプが出てくるんですかね! ゴミクズがっ!」
クロエも大概口が悪くなっている。
詳細はわからないが、夜に出歩くとこんな目に遭うというのなら……なるほど一般人は出歩けない。
「殺してやるよッ! 全員だッ!」
「こっちのセリフですよ害虫共がっ! なんで負けたはずの私達が未だに生き延びてるのかわかっていないらしいですねッ!」
お互いの言葉と共に、戦闘も激化していた。
何が起こっているのか目で追い切れないが、どちらかが劣勢ということはなさそうだ。どちらも見る限り無傷で、苛烈に動き回っている。
…………よくわからないけど、帰っていいかな…………。
2人が盛り上がる中、私を蝕んでいた狂気も霧散し、大した緊張感も無く……蚊帳の外といった気分だった。




