第8話 削られるもの
“消えない違和感”。
その言葉が、もう冗談に聞こえなくなっていた。
違和感は消えないのではない。
消える前に、意味ごと薄くされている。
朝。
湊は教室に入るなり、すぐに気づいた。
机が一つ足りない。
「……は?」
昨日まで確実にあったはずの席。
そこだけ、最初から空いていたように見える。
「なあ」
湊は後ろの生徒に聞く。
「この席、誰か座ってなかったっけ?」
生徒は首をかしげる。
「どこ?」
「そこ」
指をさすと、相手は少し考えてから言う。
「いや、最初から空いてるだろ」
湊は固まる。
(またこれかよ……)
記憶のズレ。
現実の書き換え。
そして“違和感だけ残る世界”。
そのとき、九条が入ってくる。
湊はすぐに聞く。
「これ、席一個消えてるよな?」
九条は一瞬だけ視線を止める。
「消えたというより、“必要がなくなった”」
湊は眉をひそめる。
「必要ってなんだよ」
九条は淡々と答える。
「維持する理由がなくなったものは、余白として処理される」
レイが小さく言う。
「じゃあさ……人も?」
その問いに、九条は少しだけ間を置く。
「可能性はある」
教室が一瞬だけ静かになる。
誰も気づかない静けさ。
湊だけがそれを“重さ”として感じていた。
昼休み。
湊は廊下で立ち止まる。
掲示板の一部が白紙になっている。
そこに何が貼られていたのか、思い出せない。
「おい……」
湊は額を押さえる。
「マジでやばくねぇかこれ」
そのとき九条が隣に来る。
「気づくのが遅いくらいだ」
湊は睨む。
「お前はいつも冷静すぎんだよ」
九条は答える。
「冷静ではない」
「観測しているだけだ」
レイが不安そうに言う。
「観測って……何を?」
九条は窓の外を見る。
「何が削られたか」
湊はため息をつく。
「もうそれ職業じゃん」
九条は否定しない。
その日の放課後。
湊は駅前に出る。
昨日あったはずの横断歩道が、少し短い。
いや――違う。
“短いと認識してしまう”
それが正しい。
「……なんだこれ」
湊は足を止める。
世界の形は同じなのに、意味だけがズレている。
九条が後ろから言う。
「削られているのは物質だけじゃない」
湊は振り返る。
「じゃあ何だよ」
九条は静かに答える。
「認識だ」
沈黙。
レイが震える声で言う。
「じゃあ私たちって……」
九条は否定しない。
「削られたものを覚えている限りは、まだ残っている」
湊は空を見上げる。
「逆に言えば」
「忘れたら終わりか」
九条は静かに頷く。
その瞬間、スマホが震える。
『余白税:累積値上昇』
湊は画面を見る。
「もう“税”ってレベルじゃねぇだろこれ」
九条は空を見上げる。
「まだ序盤だと言っただろう」
湊は顔をしかめる。
「序盤長すぎだろ」
九条は静かに言う。
「世界は急には壊れない」
「少しずつ、“成立条件”を失っていく」
その言葉の意味は、まだ完全には理解できない。
だが一つだけ確実に言える。
この世界はもう――
“何かを失うことでしか続けられない状態”になっている。
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