第32話 現在の欠落
「現在がない」と言われても、最初は実感がなかった。
だが今は違う。
湊はもう、“今ここにいる”という感覚そのものが薄れている。
朝の教室。
湊は机に座っている。
だが「座った瞬間」は、すでに過去として扱われている。
今はただ、その結果だけが残っている。
「ねえ湊」
レイの声。
しかしそれは、すでに“聞いた後の声”のように感じる。
「今ってさ……どこ?」
湊は言葉に詰まる。
「どこって……ここだろ」
レイは首を振る。
「ここって、いつ?」
そのとき九条が入ってくる。
湊はすぐに聞く。
「なあ九条」
「今がないって、どういう状態なんだよ」
九条は止まる。
「現在は消えていない」
レイが不安そうに言う。
「じゃあ何がなくなったの?」
九条は静かに答える。
「現在として認識される枠組みだ」
沈黙。
湊は眉をひそめる。
「枠組みってことは、入れ物みたいなもんか」
九条は頷く。
その瞬間。
教室の時計が一瞬だけ“動いていない時間”を映す。
針は進んでいるのに、時間が進んでいない。
「……今の何だ」
レイは青ざめる。
「時間が止まったのに、止まってない」
湊は呟く。
「現在だけ抜けてる感じだな」
九条は静かに言う。
「現在欠落だ」
昼休み。
廊下。
湊は歩く。
だが「歩いている瞬間」が存在しない。
移動はしているのに、プロセスが消えている。
レイが隣にいる。
しかし“並んでいる”という関係が成立しない。
「なあ」
湊は言う。
「俺ら、いつ会話してんだ?」
その問いは、すぐに宙に溶ける。
九条が答える。
「会話はすでに終わっている」
レイが小さく言う。
「じゃあ今のこれは?」
九条は少しだけ間を置く。
「結果だ」
沈黙。
その瞬間。
廊下の風景が一瞬だけ“未来の状態”に切り替わる。
崩れた教室、静止した人影。
そしてすぐ現在に戻る。
湊は息を呑む。
「今の……未来?」
レイは震える。
「私たち、あんなになるの?」
九条は静かに言う。
「現在が欠落すれば、未来だけが残る」
沈黙。
世界はまだ続いている。
だが確実に――
“今という時間の核が消え、過去と未来だけが残り始めている”。
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