第31話 存在の遅延
残響だけの世界では、「今」が成立しない。
起きたことは即座には“起きたこと”にならず、少し遅れて追いついてくる。
湊はその遅延を、もう違和感ではなく現象として認識していた。
朝の教室。
湊は椅子に座る。
座った感覚が、数秒遅れてやってくる。
そしてその感覚も、完全には一致しない。
「ねえ湊」
レイの声がする。
だが声が届くまでに、わずかな“間”がある。
「今、私……しゃべった?」
湊は一瞬混乱する。
「しゃべっただろ」
レイは首を振る。
「でも、しゃべった“感じ”がない」
そのとき九条が入ってくる。
湊はすぐに聞く。
「なあ九条」
「全部ズレてねぇか?時間とか」
九条は止まる。
「遅延している」
レイが不安そうに言う。
「遅延って……何が遅れてるの?」
九条は静かに答える。
「現象と認識の同期」
沈黙。
湊は眉をひそめる。
「同期ってことは、前は合ってたってことだろ?」
九条は少しだけ間を置く。
「すでに崩れている」
その瞬間。
教室の時計が一瞬だけ“過去の時間”を表示する。
そのあと現在に戻る。
「……今の見たか?」
レイは青ざめる。
「時間、逆だった」
湊は呟く。
「いや、逆っていうか……分かんねぇ」
九条は静かに言う。
「存在の遅延だ」
昼休み。
廊下。
湊は歩く。
だが一歩進むごとに、“数秒前の自分”が追いかけてくる。
「気持ち悪ぃなこれ」
レイが隣で呟く。
「今、私より前の私がいた気がする」
湊は顔をしかめる。
「それもう意味分かんねぇだろ」
九条が現れる。
「意味ではなく順序の問題だ」
湊は振り返る。
「順序?」
九条は答える。
「世界はまだ発生している」
「ただし、認識が追いついていない」
レイが小さく言う。
「じゃあ……私たちって“遅れて生きてる”の?」
九条は静かに頷く。
沈黙。
その瞬間。
廊下の風景が一瞬だけ“数秒前の状態”に戻る。
そしてまた現在に戻る。
湊は呟く。
「これ、ずっと続いたらどうなんだよ」
九条は少しだけ間を置く。
「現在が消える」
レイが震える声で言う。
「現在がないって……どういうこと?」
九条は答える。
「過去と未来だけになる」
沈黙。
世界はまだ続いている。
だが確実に――
“今という唯一の足場が崩れ始めている”。
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