第18話 固定の喪失
「揺れ」は、もう例外じゃなくなっていた。
むしろ揺れていない瞬間のほうが、不自然に感じる。
湊はそれを、自分の感覚が壊れ始めている証拠だと思っていた。
朝の教室。
椅子に座った瞬間、わずかに沈む感覚が遅れる。
床が遅れて存在するような違和感。
「ねえ湊」
レイが小さく声をかける。
「今日さ、机の位置……ちょっと違わない?」
湊は机を見る。
見慣れた配置。
だが“見慣れた”という確信が弱い。
「……いや、同じだろ」
レイは首を振る。
「でも昨日は、もっと右だった気がする」
湊は言い返そうとして、やめる。
否定の根拠がない。
そのとき九条が入ってくる。
湊はすぐに聞く。
「なあ、最近さ」
「全部ちょっとずつズレてねぇか?」
九条は止まる。
「ズレているのではない」
湊は顔をしかめる。
「またその言い方かよ」
九条は静かに言う。
「固定されなくなっている」
沈黙。
レイが不安そうに言う。
「固定って……もうできないの?」
九条は少しだけ間を置く。
「できる条件が失われている」
湊は机を軽く叩く。
「条件って何だよ」
九条は淡々と続ける。
「一致だ」
湊は眉をひそめる。
「一致?」
九条は説明する。
「観測と記憶と結果が一致すること」
レイが小さく言う。
「それがないと……?」
九条は答える。
「現実は固定されない」
沈黙。
その瞬間。
教室の時計が一瞬だけ“存在の順番”を間違える。
針が進む前に、すでに結果だけがあるような違和感。
「……今のやばくねぇか」
湊の声に、レイは頷く。
「やばい……でも説明できない」
九条は静かに言う。
「説明できないものが増えた時点で、固定は崩れている」
昼休み。
廊下。
湊は立ち止まる。
壁に貼られた掲示物が、一瞬だけ“違う内容”に見える。
次の瞬間には戻る。
「……もう何が本当か分かんねぇ」
そのとき九条が来る。
「それでいい」
湊は振り向く。
「よくねぇだろ」
九条は静かに言う。
「固定に執着すると、より揺れる」
レイが震える声で言う。
「じゃあどうすればいいの……」
九条は少しだけ間を置く。
「受け入れるしかない」
湊は笑う。
「それ一番無責任だろ」
九条は否定しない。
その瞬間。
廊下の先が一瞬だけ“同じ場所なのに違う建物”になる。
学校が二重に重なるような感覚。
すぐ戻る。
レイが呟く。
「……今の、どっち?」
九条は静かに答える。
「どちらでもない」
湊は空を見上げる。
「もう世界って呼べなくね?」
九条は少しだけ間を置く。
「まだ呼べる」
湊は聞く。
「なんでだよ」
九条は静かに言う。
「“呼ぶ人間がいる限り”」
沈黙。
世界はまだ崩れていない。
だが確実に――
“固定という概念そのものが剥がれ始めている”。
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