第17話 揺れる現実
観測するだけで負荷がかかる世界。
その意味を、湊はもう感覚として理解し始めていた。
見るたびに、少しずつ消耗する。
世界を“確定させようとする行為”そのものが、摩擦になっている。
朝の教室。
湊は机に座ったまま、ぼんやりと黒板を見る。
今日はいつもより文字がはっきりしている。
そのこと自体が、逆に不気味だった。
(安定してる時ほど怖いんだよな、これ)
「ねえ湊」
レイが小さく声をかける。
「今日さ、廊下でさ……」
言いかけて止まる。
「……やっぱいい」
湊は眉をひそめる。
「なんだよそれ」
レイは少しだけ笑う。
「説明できないから」
その“説明できない”が、最近は重い。
そのとき九条が入ってくる。
湊はすぐに聞く。
「なあ、最近さ」
「安定してる時あるだろ」
九条は止まる。
「ある」
湊は眉をひそめる。
「それっていいことなんじゃねぇの?」
九条は静かに答える。
「揺れが“見えなくなっている”だけだ」
沈黙。
レイが不安そうに言う。
「見えなくなるって……どういうこと?」
九条は続ける。
「観測が慣れると、変化を変化として認識できなくなる」
湊は顔をしかめる。
「それただの鈍化じゃねぇか」
九条は否定しない。
その瞬間。
教室の時計が一瞬だけ“進む方向を忘れる”。
針がわずかに逆を向きかけて、戻る。
「……今の見たか?」
レイは青ざめて頷く。
「見た」
湊は小さく呟く。
「でも、前より驚かなくなってるのが一番やばい」
九条は静かに言う。
「それが適応だ」
昼休み。
廊下。
湊は立ち止まる。
廊下の奥が一瞬だけ“遠くなる”。
同じ距離なのに、歩いても近づかない感覚。
「……なんだこれ」
そのとき九条が来る。
「揺れだ」
湊は振り返る。
「何が揺れてんだよ」
九条は答える。
「距離の意味」
レイが震える声で言う。
「距離って……物理じゃないの?」
九条は首を振る。
「今は違う」
沈黙。
湊はため息をつく。
「もう全部意味変わってるじゃねぇか」
九条は静かに言う。
「変わっているのではない」
「固定されていないだけだ」
その瞬間。
廊下の壁が一瞬だけ“透明になる”。
向こう側の教室が見える。
そしてすぐ戻る。
「……おい」
湊の声に、レイは震えている。
「今の……壁、消えたよね」
九条は静かに言う。
「揺れの強度が上がっている」
湊は顔をしかめる。
「このままいくとどうなるんだよ」
九条は少しだけ間を置く。
「“揺れないもの”がなくなる」
レイが小さく言う。
「それって……全部不安定になるってこと?」
九条は頷く。
沈黙。
湊は空を見上げる。
「もうさ」
「何が本当とかどうでもよくなってきたな」
九条は否定しない。
その瞬間。
校舎全体が一瞬だけ“同じ形の別バージョン”に重なる。
誰も気づかない。
だが湊たちは気づいている。
世界はまだ崩れていない。
だが確実に――
“揺れを前提にした現実”へ変わり始めている。
読んでいただきありがとうございます。
感想・評価励みになります。




