第11話 層の概念
境界が揺れ始めた世界では、「説明」はもう安心材料ではなかった。
むしろ説明されるほど、現実は不安定になる。
湊はそれを、少しずつ理解し始めていた。
朝の教室。
黒板にはいつも通りの授業予定。
だが湊の目には、それすら“仮置き”に見える。
(これ、いつまで残ってるんだろうな)
そんな考えが自然に浮かぶ。
「おはよう」
レイが席に座る。
声が少し小さい。
「ねえ……昨日のこと、覚えてる?」
湊はすぐに返せない。
“昨日”という言葉が、少しだけ曖昧だ。
「……覚えてる、気がする」
レイは苦笑する。
「だよね」
そのとき九条が入ってくる。
湊はすぐに切り出す。
「なあ、昨日のこともそうだけどさ」
「最近、全部が薄くねぇか?」
九条は止まる。
「薄いのではない」
湊は眉をひそめる。
「じゃあ何だよ」
九条は静かに言う。
「“層”がずれている」
沈黙。
レイが首をかしげる。
「層って……何の?」
九条は黒板を見ながら答える。
「現実だ」
湊はため息をつく。
「またそれ系かよ」
九条は続ける。
「現実は一枚ではない」
「同じ場所に複数の“確定状態”が重なっている」
レイが青ざめる。
「じゃあ今って……どれなの?」
九条は少しだけ間を置く。
「揺れている層だ」
湊は机に手を置く。
「揺れるって何だよ」
九条は淡々と続ける。
「観測されるたびに選ばれる」
「だが固定されない」
沈黙。
そのとき。
黒板の文字が一瞬だけ変わる。
数学の式が、存在しない記号に見える。
次の瞬間には元に戻る。
「……見たか?」
湊の声に、レイは小さく頷く。
「見えた……今の、変だった」
九条は静かに言う。
「それが層の干渉だ」
湊は顔をしかめる。
「層って結局なんだよ」
九条は答える。
「同じ世界の“別の確定結果”だ」
レイが震える声で言う。
「じゃあ……どれが本物なの?」
九条は即答しない。
少しだけ間を置く。
「すべて本物だ」
湊は笑う。
「それ便利すぎだろ」
九条は否定しない。
昼休み。
廊下で湊は立ち止まる。
掲示板に貼られた紙が一瞬だけ“内容を忘れる”。
何が書かれていたか、認識できない時間がある。
「……やば」
湊は額を押さえる。
そのとき九条が隣に来る。
「慣れてきたな」
湊は睨む。
「慣れるわけねぇだろ」
九条は静かに言う。
「観測回数が増えるほど、層は露出する」
レイが不安そうに言う。
「それって……どんどんひどくなるってこと?」
九条は頷く。
湊はため息をつく。
「終わり見えてるじゃねぇか」
九条は空を見上げる。
「まだ“選択肢”は残っている」
湊は聞く。
「何のだよ」
九条は静かに答える。
「どの層を固定するかだ」
その瞬間。
廊下の奥で、一瞬だけ“誰もいない教室”が見える。
そしてすぐに戻る。
レイが息を呑む。
「今の……」
九条は静かに言う。
「それが層の境界だ」
湊は呟く。
「境界ってさ……もうボロボロじゃん」
九条は否定しない。
世界はまだ壊れていない。
だがもう確実に――
“複数の現実が同時に混ざり始めている”。
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