第六話
ルイベー辺の隣村。メアリーが着いたころには、朝日が出ていた。
村の入り口から見える村は平和そのものだ。しかし、鼻をかすめて漂ってくるのは、血の気配だった。
眉根を寄せて、村の入り口の看板を見やった。
「ミュンヘル、聖水はどう?」
「……ちゃんとあるぜ。中身はどうなってるか知らんがな」
彼が看板に掲げられていた聖水を放り投げてくる。メアリーは受け取り、瓶の蓋を開けた。
匂いを確かめ、自分の手に中身を一滴垂らす。
ヒリヒリするが燃え上がらない。
「濁り聖水ね」
「はぁ、ここもか……」
ミュンヘルが頭を抱えて、うずくまった。
「一体どうなってやがる?」
「……それは私が聞きたいわ。教会はいつからこんなに杜撰なの?」
「知らねぇよ。こりゃ、一回聞き出すしかねぇな」
彼はしゃがみ、頬杖をついた。その顔は心底面倒くさそうにしていた。
気づいたように、ミュンヘルは声を出す。
「そう言えば、ここには教会があるんだった」
「教会……ね」
「おう、小さいが頼りになる神父がきり盛りしてるはずだ」
その言葉が本当ならば、あまり期待はしないほうがいいだろう。
血の匂いは時間の経過とともに強くなっている。それなのに、誰も動いていない。ということは、気づいていないのかはたまた……。
「呼びましたか?」
そんな時に、聞こえてきた声。どこか透き通るような優しげなものだった。
緑の短髪。丸い眼鏡。白い神父服。少なくとも優しそうに見えた。
「おーう、レトン。久しぶりだな」
「……ミュンヘル。来るなら前もって連絡してくれとあれほど言いましたよね?」
レトンと呼ばれた神父は、眉根を寄せながらこめかみに指を当てる。
「悪い悪い……」
ミュンヘルは後頭部に手を当てながら苦笑いを見せた。
「それで、こちらのお嬢さんは?」
「俺の仕事仲間のメアリーだ」
「どうもよろしく」
彼の手が伸ばされる。しかしメアリーはその手を握り返さなかった。
レトンの手が宙に残る。彼は苦笑しながらその手を引っ込めた。
「おい、失礼だろ?」
耳打ちするミュンヘルに、メアリーは見向きもせずに口を開く。
「私は彼を信用してない」
「……なんでだよ?」
「濁り聖水をそのままにしてる人間を信用できると思う?」
その言葉に、ミュンヘルが少し納得しかけるような雰囲気を出す。しかし、すぐに首を横に振った。
「レトンは俺がこの職についた頃からの腐れ縁だ。奴は、吸血鬼に殺される人間たちが出る度に嘆いていたんだぞ?」
「……そう。でも、そんな人間が何で聖水を直さないのかしら?」
「気づいてないとかじゃねぇのか? 俺が言ってくる」
彼が小走りでレトンの隣に立った。何やら二人で話し込んでいる。
そのやりとりを横目に、メアリーは村の観察を始めた。
村の広場では子どもたちが、枝を持って走り回っている。
木こりの男性がくしゃみを二回。
井戸の縁に腰掛けた老人が、大きな欠伸を一回した。
その直後、黄色い服の男の子が転倒する。
なんてことはない、普通の村の光景である。
「よぉ、聖水のこと確認してきたぞ」
「メアリーさん申し訳ありません」
二人がメアリーの近くに寄ってくる。レトンは本当に気まずそうに目尻を下げていた。
「昨日の夜確認したときは普通だったんですが……」
「……そう」
素っ気なく返すメアリーに、レトンは苦笑をした。
空気が重いのを確認したのか、ミュンヘルが慌てて口を挟む。
「俺が新しいのに変えといてやるから、レトンは宿の用意をしてくれるか?」
「分かった。……迷惑をかけるな」
そう言って彼は村の中へと入っていく。残されたミュンヘルは立っているメアリーに話しかけてきた。
「まさか、レトンが吸血鬼とか言い出すんじゃないだろうな?」
「知らない。そもそも、血の臭いが濃すぎて判別不能」
「どういうことだ?」
彼の疑問に答えるように、小さく鼻を鳴らした。
「この村全体が血で包まれているような、そんな感覚」
子どもたちの声は普通に響き渡っている。村の朝の風景としては、どこも変わりがない。
村人たちは何かされているようにも見えない。
そのことが、メアリーへ気持ち悪さを余計に伝えてくる。
「気のせい……なわけないか」
「さすがに危機感が出てきた?」
「まぁ、あの吸血鬼の後だとな……」
正体が掴めないうちは、迂闊に動くことができない。メアリーの牙がギリっとなる。
いつもこうだ。吸血鬼には必ず後手を取られてしまう。できるのなら怪しい奴を片っ端から潰したいのに。
ミュンヘルのほうに目を向けて、そんなことしたら怒られるかとため息をつく。
メアリーは無差別に人を殺さない。その誓いがあるからこそ、教会との関係が成り立っているのだ。




