第四話
ルイベー辺の村は、ワインの生産で生計を立てている。ブドウ農園が広がり、どれもが綺麗に実っている。
街から馬車で1時間ほど走らせたそこは、少なくとも百人の村人が暮らしていた。──いたというのは、すでにその姿は一人も見えないからだ。
手入れをしていたと思われる痕跡はあるのに、村には人っ子一人いない。
「ありゃりゃこれは大事件だな」
ミュンヘルが他人事のように村の様子を見やる。その姿を見て、メアリーはため息をついた。
「そんなんだから教会は嫌われるのよ。村に渡してた御神水はどうなったの?」
「潰されてる。銀の十字架もだめだ」
割れた聖水瓶と折れた十字架をミュンヘルが拾って見せてくる。メアリーの体が強ばり、彼女は眉根を寄せた。
「で、これはどう見るメアリー? 祖のにおいはするか?」
メアリーはミュンヘルの言葉に首を振る。
「祖ならこの程度ではすまないわ」
「マジかよ……。教会特製の御神水だぜ?」
「そもそもその聖水と十字架を向けて私が平気なのが答えでしょ」
メアリーの言葉に「なるほど」とミュンヘルは呟いた。
祖は一国すら落とす力を持っている。それはまさに災害と呼ばれ、生きとし生けるものが恐怖する。──というのは昔の話。
今では伝承並みの言葉でしか人間たちには伝わっていない。
祖が動き出したといっても、ミュンヘルと温度差があるのもそのせいだろう。
そう考えると、彼の持ってる聖水瓶が気になった。
「ミュンヘル、その瓶の残骸見せてくれる?」
「ん? 気をつけろよ、吸血鬼なら燃え移んぞ」
そう言いながらも、彼は適当に放ってくる。慌てて受け取り、ミュンヘルのことを睨んだ。
「これ、本当に教会の特別製なの?」
「そのはずだが?」
「……どう見ても濁り聖水なんだけど?」
瓶の残骸に付着していた聖水は、粗悪と言っても過言ではないほどのもの。メアリーが触ってみると、ただの水にしか感じない。
「は? うっそだー?」
「本当よ」
「だって俺がきっちり設置したぜ? 確認もした」
見落としたんじゃないのとメアリーが言うと、それも否めんと彼が冗談を返す。しかし彼の顔はどこか納得できないといった顔をしていた。
「だったらあんたの持ってる聖水見せて」
「……ほいよ」
また放ってくるのを慌てて受け取る。
瓶の蓋を開けて、自分の手にかけてみた。すると、メアリーの手は青い炎が吹き上がった。
「あんた、これと同じ物渡したの?」
手を払うと炎は消える。瓶の蓋を閉じて、ミュンヘルに投げ返す。
メアリーの右手は焼け爛れるが、時間とともに治っていく。
「……なんか、そんな簡単に聖水を扱われると、自信がなくなるな」
「ま、私にはその程度効かないわ。ただ、それでも普通の吸血鬼なら寄せつけない力はあるはず」
しかし、……濁り聖水ならば?
「待ってくれよ、この村を襲ったのはただの吸血鬼だってことか?」
「少なくとも襲撃前はただの吸血鬼ね」
濁り聖水でさえ叩き割ったということは、あまり力を持っていなかった可能性が高い。しかし、今は村人全員を喰った吸血鬼となる。危険度が跳ね上がる。
「で、追えるのか?」
「どうやら追う必要はなさそうね」
メアリーは振り返る。同時に、赤く輝く血の壁を展開した。
光線が地を焼き、家を焼き、空気すら焼く。受け止めたメアリーの壁は、破片となって宙空に消えた。
「なんだ今のは!?」
珍しく慌てるミュンヘルに、メアリーは冷静に口を開く。
「百人以上喰った吸血鬼の力よ。あんたたち教会がどれほどぬるいか分かった?」
「……あぁ、今ので痛感したよ」
彼は慌てて聖水を取り出す。
複数の聖水瓶は空中で浮かぶ。それらはミュンヘルを取り囲む。
メアリーから言わせれば、お守り程度の効果もないのだが、ないよりマシだろう。
「あっれー? 僕ちんの一撃喰らっても立ってられるの?」
それは少年の声だ。しかし、どこか耳の奥に貼り付くような、そんな不気味さがある。
痩せぎすの少年が、土煙の向こうに現れた。頬はこけ、骨が浮き出ている。腹部は膨張し、体の歪みが余計に異様さを増していた。
「主様の力に少しは近づいたと思ったのになぁ。まだ足りないのか」
目の前でギラつく赤い瞳を見せる少年が、村を襲撃した吸血鬼だと一目で分かる。
「……その主様ってどこにいるの?」
「あー! 君、あれだ! 主様が気をつけろって言ってた裏切り者の吸血鬼」
「私の質問に答えて、その主様はどこにいるの?」
「なるほど納得納得……君、吸血鬼を食べるんだって?」
会話が成立しない。いや、そもそも成立させる気がないのだろう。
不気味な雰囲気を作り上げ、楽しそうに吸血鬼は揺れた。




