第9話 それでも、たったの21%
動揺は、一瞬だった。
今はそんな暇もなく、何より魔王を殺すほど場数を踏んだダンテが、パニックに陥り続けるはずもなかったから。
《今すぐ分離しろ! こんな腐り果てた体に私を――》
『静かに、静かに! 昔がどうだったかは知らんが、今は俺の召喚獣だ。召喚士の意志に沿って行動するのが基本じゃないのか?』
ダンテは威厳のある声で言っ――思っ――たが、ハイエルフが大人しくなるはずもなかった。
《ふざけるな! 精霊でもない分際で、よくも私と一つになろうなどと!》
ぎしっ、ぎしぎしっ――。
油の切れた機械が動くように、ダンテの腕が動き始めた。
具体的には、その頭を掴もうと、じわじわと上へ上がってくるような動作だった。
『な――何をしてる、俺の体で!』
《どうしてこれが貴様の体だ!? 見た目も私の体だろうが!》
『ふざけるな、俺の体にお前の頭をくっつけただけだ!』
《うるさい、さっさと外せ! 忌々しい人間め!》
ぎしぎしっ、ぎしっ……。
ダンテは力の限り、腕を下ろそうとした。
だが、万歳でもするかのように上がってくる「自分の腕」を押さえ込むのは、容易なことではなかった。
具現率21%。
それが、肉体の支配権を意味するものだったのか。
止めなければ。
だが、どうやって?
『なんて力だ……』
腕はすでに、ダンテにとっては馴染みのない胸部の近くを通り過ぎ、上昇している最中だ。
止められない!?
その瞬間、ダンテは考えた。
『いや、そもそもおかしいだろ! 自分の体だと思うなら、頭を外す理由があるか? お前の主張どおりなら、今この体はお前の体も同然なのに、なんで頭を外そうとするんだ?』
《……ん?》
見た目も自分の体だと認識している。
ならば、外す理由があるのか。
めちゃくちゃな主張の非論理性を見抜いたダンテの一言に、ハイエルフも動揺した様子。
つまり、その肉体に異なる意志が宿らない、一瞬の隙。
『今だ!』
すっ、とダンテは呼吸を整え、瞬間的に腕を下ろした。
ようやく、安定感が戻ってきた。
肩がしばし震えたが、それだけだった。
《こ、この忌々しい……痴漢! 悪い奴!》
『痴漢? その単語、ずいぶん久しぶりに聞いたな』
泣きべそでもかいているのだろうか。
これは今、悪態をついているつもりなのか。
性悪な気性の割に、言葉には教養があるんじゃないか――という安堵を覚えるほど、ダンテは安心した。
《とにかく早く分離しろ! 卑怯者め――》
『卑怯って。自分の体を自分で使ってるだけなんだが。召喚獣なら召喚獣らしく、少しは言うことを聞け。ふう、肝が冷え……たな』
もちろん、安心して状況を整理できたというのは、錯覚だった。
エレナのパーティーの男三人は、たじろぎながらも、その場を離れずにいた。
「何……してるんですか?」
「質問には、なぜ答えてくださらないんで……」
ダンテをじっと見つめているという意味だ。
疑問と好奇心で。
今や、疑いまで込めた眼差しで。
「なんで一人で踊って――」
「しかもその動きが、微妙にですね……」
「よく見たら、服にも見覚えがある気がするし」
彼らは、頭のなかったアンデッドの奇行を見た。
ひょこひょこと踊るように、首の上を叩く動作を見た。
そしてこの路地には、確かに駆け込んだはずの「ダンジョンで会った男」がいない。
外見は変わったが、衣装がまったく同じハイエルフがいるだけ。
頭では理解できなくても、馬鹿でない限り、肌で異常を感じ取るしかない状況。
男三人は、狭い路地の中でも、自分たちに有利なポジションを取り始めた。
剣を抜いたりはしなかった。
そもそも彼らは、ダンテを一発ぶん殴ってやるつもりだったのであって、殺すつもりはなかったのだから。
「押さえろ!」
「まず一発――」
「食らってから――」
軽装の男たちが動きを制圧し、その後ろから、大柄な重装備の男の一撃で仕上げようというもの。
《幻影歩》
をダンテが感じ取った頃には、すでに体は動いていた。
頭の中に聞こえた、小さな声とともに。
ひゅうっ……!
宙に投げ出された肉体から、ダンテは見た。
『遅い』
驚きの中でダンテが最初に感じたのは、速度の差だった。
タックルするように飛びかかり、制圧しようとする軽装の男二人の動作。
それは文字通り、カタツムリのように見えた。
『いや、遅いんじゃなくて、速いのか』
正確には、彼らが遅く見えるほど、自分の身体が速く動いているという点。
そもそも、彼らの瞳は自分に向いてすらいない。
とっくに離れた、その場所。
虚空を見ているのか。影を見ているのか。
残像を見ているのか。
幻影の残る空間を制圧しようとする男たちのお粗末な動きを嘲笑うように、ダンテは宙で宙返りを一回転し、路地の両壁を交互に、たんたんっと蹴った後。
どたんばたん──────……。
「うわっ!?」
「な、なんだ? 何がどうなって――」
「どこ行った?」
たっ。
ダンテはすでに、彼らの背後に着地していた。
何がどうなったのかを把握するのは、そう難しくなかった。
【スキルを獲得しました】
【〈四大王(SR)〉】
【〈乱影斬(S+)〉】【〈剣帝本能(S+)〉】
【〈循環撃(A+)〉】【〈幻影歩(A)〉】
頭を装着した時に見えていた、システムメッセージ。
その中に、先ほどハイエルフの声で聞こえたスキルの名称が、含まれていたのだから。
もっとも、悔いの残るメッセージではあった。
【具現率が不足しているため、一部のスキルを使用できません】
【〈四大王(SR)〉】
【〈乱影斬(S+)〉】【〈剣帝本能(S+)〉】
【具現率が不足しているため、一部のスキルの等級が下落します】
【〈循環撃(C)〉】【〈幻影歩(D+)〉】
存在すら知らなかったSR等級のスキルを、今すぐ使うことはできなかったのだから。
その上、既存のスキルまで、等級が下落しているではないか。
知らなかった点といえば、こうしたスキルをやはり、ダンテの意志ではなく、ハイエルフの意志で発動されてしまったということだろうか。
『しかもダウングレードされた上に、肉体も完全じゃなかったはずなのに』
ハイエルフといえば、精霊、魔法、遠距離武器、近接武器、そのすべてに長けた種族だ。
それなのに、ここまで極端に「剣」に関連したスキル。
そして、先ほど見せた動き。
この怨霊は生前、近接戦闘に完全に特化していたはずだ。
『おそらく、元の俺……と似ているかもな』
その部分だけで言えば、ダークスターを相手取っていたダンテ、自分自身と比べられるほどではないだろうか。
今さらながらSR等級の怨霊に感嘆している間に、エレナがちょうど到着した。
「はあ、はあ、お、おにーさんはどこに――。ん?」
自分を見上げる小柄な魔法使いの少女と向き合うダンテの頭の中に、ハイエルフの声が響いた。
《恐ろしく遅いな》
『だろうな。こいつは魔法使いだろうから――』
《違う。この役立たずの肉体のことだ。見た目だけは私に似ているが、どうなっている? 〈幻影歩〉でこの程度しか動けないだと? あり得るのか?》
『――……俺のことか?』
エレナとそのパーティーメンバーの動作が遅い、と言おうとしたダンテ。
そして、ダンテの能力のせいで肉体が遅くなったと言うハイエルフ。
《当然だろう? たかがこの程度の能力で魔王を殺しただなんて、信じられるものか》
『それはこっちの台詞なんだがな。そもそもステータスはお前を基準に作られてるはずなのに、その話を俺にされても――』
ザークの前例があった。
それこそ、鶏と名勝負を繰り広げられるステータス配分だった。
ダンテ自身とは何の関係もない、純粋なザークのステータス。
ならば、彼女が今回のスキル発動を通じて「遅い」と感じたのもまた、彼女のステータスに起因すると見るべきだ。
そこでダンテは、【ステータス】を確認し。
名前:■■■■■■
種族:ハイエルフ
レベル:113、ランク:SR
職業:■■■■■、補助職業:■■■■■■
筋力:21(+3) 敏捷:28(+2) 知力:22(+1)
体力:19(+3) 魔力:26(+1)
状態:具現率 21%
しばし、考えを整えなければならなかった。
SR等級にしては、あまりにも低いステータス。
それゆえ、ダンテの思考は自然と拡張されるわけだった。
『具現率は、単に肉体の主導権だけじゃなく……ステータスも?』
本来のステータスの、21%しか使えていないという意味なら。
『最後の大陸』の各ステータスの上限値が、100だということを考えれば。
ダンテの瞳が、次第に大きく見開かれ始めた。
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