第39話 左手で丸、右手で三角
場内は、瞬く間にざわめいた。
この場を主宰する者が誰であり、この場の性格がどういうものかを知っているなら、決して形成されてはならない空気だ。
それを、ここにいる全員が知っている。
それでも動揺を抑えられない、単語一つの及ぼす波及力。
ダンテ。
その名前だ。
「ただの監視対象の一人が、普段と違うパターンを見せたに過ぎません、殿下」
「Aランクの冒険者とはいえ……そう特別とは言えないでしょう。我が国内にも数百人を超えるAランク冒険者がいるではありませんか」
「その通りです、殿下。彼が都市を出て、一日と経たずに戻ってきた――この程度の情報でその名前を口になさるのは、どうにも……」
皇太子直属の機密部隊、梟ふくろう。
一様に梟を象った仮面をつけた者たちが、自らの考えを述べた。
だが、ダンテのはずがないと言いながらも、一つだけは明確に共有していることがあった。
ダンテは死んだ。首を刎ねられた。
それでも、その部分には言及しないという点。
あくまで情報の合理性だけを検討してダンテか否かを判断する、その態度こそがアルデリオンの寵愛を受ける部分だったが……。
「だが、ここに書いてあるではないか。表情が明るかった、と。A等級が多いとはいえ、その水準の冒険者が都市の外へ一日で出て戻り、笑うことが何がある? ましてハイテルの孤児院の出身が?」
今ばかりは、違った。
アルデリオンが突いて言うと、梟の一人が答えた。
「……ダンテではなく、他の仲間である可能性もあるのではないでしょうか、殿下」
捕らえられたハイテル以外の、ダンテの仲間に会ったのだとしたら?
だが、彼の提示した意見は、即座に反駁された。
「それはあり得ない。もしそうなら『彼』が黙っていたはずがないだろう? 分かっていて無駄なことを言うな」
確実かつ正確な根拠によって。
彼らだけが知っている、明々白々な情報によって。
「は、はっ、殿下」
「申し訳ございません」
梟たちは全員、頭を垂れた。
アルデリオンは報告書を改めてじっくりと検めながら言った。
「その上、冒険者ギルドの報告も重なっている。その都市で、ダンテの処刑日について尋ねた者がいたそうだ。その後がどうなったのか、気にしていたと」
水晶球から光が放たれた、あるいはそれが砕けたという点。
そうした事を起こした冒険者の登録名が「ダンテ」だという点。
「ですが、尋ねただけで特に反応はなかったという内容も含まれておりました、殿下。ダンテが真に生きているなら、ハイテルの報せを聞いて大人しくしていたはずがないのでは」
もし、その二つが報告されていたなら、アルデリオンはもちろん、梟全員の態度も変わっていたはず。
冒険者ギルドの事務員の前でのとぼけた演技が、今になってダンテの命を救ったのだった。
「それは分からんさ。いまだ力を失った状態だから、堪えたのかもしれん。そもそも私が彼を捕らえられた理由も、それではなかったか」
「ですが……」
「何かが起きたのだとしても、そ、それがまさかダンテに関わることだと断定なさるのは……」
皇太子の確固たる態度にも、梟たちは否定的だった。
それほどまでに、ダンテが生きて帰ってくるなど、想像すらできないことだからだ。
「断定しようというのではない。ただ、可能性について検討しようというだけだ」
それでもアルデリオンは、粘り強かった。
梟の一人が尋ねた。
「ダンテが……来るとお考えですか、殿下」
アルデリオンはしばし口を閉ざした。
テーブルを、たたたっ、と指で叩くこと数回、彼は問い返した。
「魔王が人類を蹂躙していた時、彼に誰が勝てると思っていた? 人類が必ず逆転し、勝利すると心から信じていた者がいるか? もしお前たちの中にそう考えていた者がいたなら、言ってみろ」
誰も、手を挙げない。
それで十分だった。
不可能?
あり得ないこと?
前例がない?
「それをやり遂げた人間だ。どんなことと、いかなることが同時に起きたとしても、おかしくはない。ダンテに限ってはな」
すでにそれを一度やり遂げたのが、ダンテという人間であることを。
アルデリオンは、あまりにもよく知っていた。
従って、彼は決定できるわけだった。
「ゼフィリア側へ要員を追加投入しろ。情報の実体がどうであれ、確実に調べ上げて先へ進む」
ダンテを探す。
ごく小さな手がかりも、見逃さない。
梟たちは、もはや異見を口にしなかった。
「かしこまりました、殿下」
「仰せのままに」
主君が確定するまでは様々な意見を出すが、確定した後には完璧な実践あるのみ。
「それと、ダンテと疑わしき人物とは交戦しないよう、注意を怠るな」
そんな梟たちの行動綱領ですら、アルデリオンの最後の一言には、いくらかの反発心を抱かせた。
「……梟の要員は公式にSランクを受けてはおりませんが、少なくともAランク以上であることは確実です。まして、いまだ力を取り戻せていない状態のダンテであれば――」
「左手で丸」
「――は?」
「右手で三角」
好勝心と言うか、闘争心と言うか。
特にダンテと直接相対したことのない梟たちの心情を、アルデリオンとて理解はできたので、心の広い皇太子は特別に、昔の思い出を語ってやった。
「その最中にも、私の姉が戯れに尋ねた二桁の掛け算を、暗算で答えてみせた」
左手では丸を描き、右手では三角を描きながら、口では魔王軍を撃破するのがどれほど大変だったかを喋り倒す。
その合間合間に素早く飛んでくる質問へ即答していた、若き英雄の悪戯めいた姿。
幼い頃から聡明だったアルデリオンだからこそ、ダンテがどれほど途方もないのかを、より深く思い知らされた逸話ではなかったか。
「これができないなら二振りの剣を扱うほうがかえって非効率だから、大人しく盾でも構えていろと言われ――……こほんっ!」
あの日の記憶を思い返していたアルデリオンは、大慌てで表情を取り繕った。
仮面をつけているとはいえ、当惑しているであろう梟たちの表情も目に見えるようだったので、アルデリオンは素早く場を締めた。
「そして、この情報と決定事項を『彼』に伝えるように。行け」
行け、その言葉に、場内にいた梟全員の姿が消えた。
一人残されたアルデリオンは、ふうううう……と、大きく息を吐き出した。
「何があっても、私は驚かない。ダンテ……兄ちゃん」
ごく微かな笑み、だが憂いに満ちた眉間。
息つく暇もなく多忙な皇太子は、しばしの間、物思いに沈んで時間を過ごさねばならなかった。
ダンテがフェアリークイーンと相対してから、五日が過ぎた日のことだった。
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左手で丸、右手で三角を描きながら二桁の掛け算に即答できた方には、二刀流の資格があります。なお、作者は丸が三角になりました。
次回の更新は、明日の夜7時20分です!
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