第38話 星婚の証は、返品できません
ドレニアンが目を覚ますまで、そう長い時間はかからなかった。
それでもすでに、ダンテの周辺はこの上なく混沌とした状況だった。
「海……海というところが、あるそうですね……」
「ぐうっ、ゴブリンども、皆殺しにしてやる!」
「35シルバー、たかがその金がなくて、子を売らねばならなかった無念といったら――」
「静かに、静かに! うるさいぞ、虫けらども!」
《兄貴も本当に懲りないですね。時間なんてどれだけあったっていうんですか、その間にまたこんなに……》
ダークフェアリーたちと、その間に引き当てた頭の数だけで八十余り。
うじゃうじゃと集まった彼らが一言ずつ吐き出すだけでも、聞く側の頭が回らなくなるという意味だ。
「お前も見たことないだろう?」
補足説明を付け加えるまでもなかった。
ダンテの問いに、ドレニアンは即座に頷いた。
「ないわ。死者の魂……こんなことが可能なの? レイスやバンシーでもなく。か、かといってデスナイトやデュラハンでは、なおさらなく……」
恐る恐る近づいて頭の一つに触れながら、彼女はびくりとした。
人間の姿とはいえ、依然として半裸に近い体、そして真紅の瞳。
「きゃああっ! こ、怖い!」
「ひいい、ば、化け物だ、化け物! モンスターだ!」
怨霊の一部がむしろドレニアンの姿に怯えて逃げ回っているのだから……傍から見れば、まずため息が出ると言うべきか。
「頭しかない奴らが、なんでこう怖がりなんだか――。こほん、とにかくドレニアン、お前が知らないなら……当然、この状況も分からないよな?」
ダンテはドレニアンが怒り出す前に、先に状況を整理した。
大したことをする必要はなかった。ただ、ぼこっ。
装着していたザークの頭を、しばし外せばそれだけだったのだから。
『ザーク、エバ、ドレニアンは何て言ってる?』
ただ、この状態では外の状況を見ることも聞くこともできないので、二人に頼らねばならないのが不便な程度だろうか。
「な、泣いてるようでもあり、何と言うか……」
「特に何も。ただあちこち見ているだけだ」
がちゃり、ダンテは二人の言葉を聞きながら、再びザークの頭を装着した。
ドレニアンは素早く目元を、すっ、と拭った。
「どうだ? 元に戻す方法はありそうか? レベルや等級……とにかく理解しにくいだろうが、お前の知っている感じの、昔の俺に戻せるか?」
「いいえ」
フェアリークイーンは即答した。
人間なら等級くらいは理解しようが、フェアリークイーンにとってE等級だのS等級だのというのは、関心もない事柄だ。
ましてダンテのアンデッドの肉体がX等級だということは、知ることも、変えることもできない話。
ダンテは淡々と頷いた。
「やはりダークスターの力には、お前でも介入できないか」
だが、その言葉を聞いた当のドレニアンの体が、ぶるぶると震え始めた。
彼女はダンテへ向かって、とぼとぼと歩み寄った。
「また、そういうやり方なの?」
「え? 何が?」
ダンテには理解できなかった。
だが、「すでに一度」似たようなことを経験した身としては、彼女のこの不安は当然のことだった。
「お前の望みは、それで全部なのか? 私には叶えられない願いで……そうやってまた、私から去っていくつもりなのか、ダンテ?」
さらり、ダンテの胸元に手を置きながら、彼女は言った。
今もなお服を着ていないダンテに。
ダンテはどうにも気恥ずかしくなって一歩引こうとしたが、フェアリークイーンの赤い瞳と目が合った瞬間、それはできなかった。
ドレニアンに会わないまま十五年、彼女は本気で自分を求めていたのだろうか。
「……そういうわけじゃない、ドレニアン。それに、俺が本当に望む願いなら、お前にも叶えられるはずだ」
「何かしら?」
「魔力の限界をなくすか、増やすこと。この肉体では、どうにも魔力を多く溜められないんでな。だから――」
「いいわ」
シュワアアアア───────……!
「え?」
ダンテが何か反応する隙もなかった。
胸元に触れていたドレニアンの手から光が瞬いたのも束の間、それはすぐダンテの胸へと移っていった。
一針、一針、何かを描くように、あるいは刻み込むように。
【状態:フェアリークイーンの血系紋様けっけいもんようが適用されます】
【肉体の魔力適応力が上昇しました】
【肉体の水準に比して、遥かに多くの魔力を吸収できるようになります】
システムメッセージが見える頃には、その光はすべて収まっていた。
そしてその場所には、痕跡が残っていた。
「フェアリーの星座よ。私の血で描かれたこの紋様があれば、今の魔力の限界から五倍以上は軽くいけるはず」
「ちょっ……と待て。いや、でも、その――」
五倍以上の魔力限界を得られて嬉しい?
ダンテの頭を貫いて走った不吉な想像は、そんなものではなかった。
「――どの頭でもいい、早く!」
ダンテは周囲を漂っていたF等級の頭を一つ掴んだ。
そして、ぼこっ、がちゃり……。
ザークを外し、それを付けた瞬間。
「ない……? ないじゃないか、ドレニアン!?」
胸元に刻まれたフェアリーの星座の紋様は、跡形もなく消え去っていたのだ!
狼狽するダンテと違い、ドレニアンは何が問題なのかと目をぱちくりさせた。
「そうでしょうね? 体が変わったんだから」
あまりに当然のように言うその発言に、ダンテは息が詰まる思いだった。
頭を替えた時に紋様がない、というのが何を意味するのか。
ダンテは頭を外した。
『ザ、ザーク! エバ! 今、俺の体に紋様は!?』
「ないですけど、兄貴」
「ない」
『いや、いやいや!』
がちゃり、ザークの頭を掴んで嵌めながら、ダンテは信じられないという顔で胸を見下ろした。
そこには、くっきりとフェアリーの星座が刻み込まれていた。
「おい、これはアンデッドの体にやってくれないと! そうすれば他の頭を付けても適用されたはずだろうが! は、早く消せ、ドレニアン! いや、移してくれ!」
これでは駄目だ。これでは!
ダンテは大慌てでドレニアンに要請した。
だが、フェアリークイーンはゆったりとした動作で、首を横に振るだけだった。
「ん? それはできないわ? これは星々から授かった星婚せいこんの証……取り除いたり、他の体へ移したりできないことくらい、知っているでしょう?」
「ええ?」
「それに、顔もないものを私の伴侶に迎えるわけにはいかないもの」
「それはどういう……」
「昔の姿も悪くなかったけれど、今のも、いいわね。うん」
あまつさえ、ザークの頭を嵌めたダンテを見て、ほんのり赤らむその顔は?
ドレニアンはダンテの――ザークの生前の外形を持つ――胸元に、ぽふっ、と自分の顔を埋めた。
「いいえ、好きよ」
そして、恥ずかしそうに一言を付け加えた。
もはやダンテは、どうしていいか分からない有様だった。
『最後の大陸』に憑依した最初の日以来、最も当惑した瞬間と言っても過言ではないほどだった。
「いや、いやいや、気に入る気に入らないの問題じゃないと言ってるんだ!? ほ、他の体にしてくれ!」
《俺が生きてたら、フェアリークイーンまで惚れさせた男として有名になったんでしょうねえ、兄貴》
「据え膳食えぬとはこのことか、間抜けな奴め。いっそ私の体に刻ませればよかったものを、ちっちっ……」
その最中にも混乱を掻き立てるザークとエバの一言に加え、ドレニアンはしばしダンテの胸から顔を離した。
「そうだ、これも要るわね」
「むっ!?」
そして即座に、その首と後頭部を引き寄せた。
唇と唇が触れ合った瞬間、ダンテの眼前にまた別のシステムメッセージが浮かび上がった。
【状態:フェアリークイーンの加護が適用されます】
【毒/酸性ダメージへの耐性が増加します】
【出血ダメージへの耐性が増加します】
【闇の中でも視界が明るくなります】
【すべてのフェアリーから尊重されます】
・
・
いつか一度受けたことのあるそのバフを再び眺めながら、ダンテはくぐもった声を漏らした。
「ううんっ、ううっ! うううっ!」
紋様を替えてくれ、返してくれ、頼むから!
夜が、明けようとしていた。
* * *
アルディア帝国の皇城は、平素と変わりなかった。
皇室の人間と貴族たちが、ただ宴に興じているのではない。
大陸の覇権を握った帝国は、内外に管理すべき事項が山積している。
まして皇家の力によって中央集権の体系を築き上げたアルディア帝国の皇城は、文字通り帝国の中心、帝国そのものと言えるからだ。
貴族たちがいて、彼らの領地があり、それぞれに一定の責務以上の権限と地位が与えられているが、結局そのすべては皇帝の名の下にあるに過ぎない。
ただ、老いた皇帝がすべてを処理することはできないため、ここ数年でかなりの権限が移譲された状態だった。
皇太子アルデリオン。
もはや皇位継承を争う余地すらないほど、皆に認められた次期皇帝。
獅子のたてがみのように見事な金髪の男に不可能はないように見え、実際、任されたすべての任務を完璧に処理する結果でそれを証明してもきた。
その能力者の表情は、ここ数年、どんな任務を前にしても一度たりとも曇らなかったが。
「……この話は、確かなのか?」
「は、はっ、殿下」
まさに今、その顔には影が差していた。
「まさか今になって……ダンテ?」
アルデリオンは、呟いた。
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紋様の返品・交換・他の体への移設につきましては、星々の規約により一切お受けしておりません。あらかじめご了承ください。
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