表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サンシャーラ神話物語 -金色の戦士-  作者: 宝田旗子
1章 旅立ち(アヴァニア王国編)
7/21

-金色の戦士- 第1章幕間 彷徨

『サンシャーラ神話物語』

彷徨


王都を出た日のことを、キリークはよく覚えていない。

覚えているのは、城壁の向こうに広がる灰色の空と、足元に続く街道だけだ。

振り返らなかった。

振り返れば何かが崩れると分かっていたから、ただ前を向いて歩いた。

北へ。

それだけが、今のキリークに残されたものだった。

何日も歩いた。


最初の村を過ぎた頃には、もう時間の感覚が曖昧になっていた。

朝が来て、日が傾いて、夜になる。

それを繰り返しているうちに、気付けば次の街の門をくぐっていた。


宿を取った。

食事を頼んだ。

何を食べたかは覚えていない。

温かいものが喉を通った。

それだけだ。

宿の主人が何か話しかけてきた。

愛想のいい声だった。

キリークは適当に相槌を打ち、部屋へ向かった。

何を言われたのか、翌朝には忘れていた。


夜、眠れない時間がある。

天井を見上げながら、キリークはあの日の断片を、何度も何度も、頭の中に拾い上げる。

折れた大剣。

最後に聞いた声は、名前を呼んでいたか、それとも命令だったか、もう分からなかった。

ただ、幼い頃に頭を撫でてくれた手だけが、やけに鮮明に思い出された。

武骨で、傷だらけで、あの手には似合わないほど優しい力で。

キリークは目を閉じた。

眠れなくても構わなかった。夜明けになれば、また歩ける。


街を通るたびに、人々の暮らしがあった。

市場に声が溢れ、子供が走り、老人が笑う。

世界は何も変わっていない。

ひとつの国が燃え落ちたことなど、ここの平穏には欠片も届いていなかった。

それでいい、と思った。

恨みも、羨みも湧かない。

ただ、自分だけがひどく透明な輪郭になって、誰の目にも留まらないまま、この明るい景色をすり抜けていく感覚だけがあった。


宿の鏡に映った顔を見て、一瞬だけ立ち止まった。

老師なら何と言っただろうか。

キリークは目を逸らした。


北へ。まだ北へ。

待ってて。

その言葉が、ふとした時に胸の内に浮かぶ。

坂道を登る時。

川を渡る時。

雨に打たれながら軒下で夜を明かす時。

生きている。

あの子だけは。

その事実だけが、空洞になった身体を無理やりに前へと運ばせていた。

その事実だけが、キリークを歩かせていた。


待ってて、マイトレーヤ。

もう少しだから。

いつからか、風の匂いが変わり始めた。

最初は気のせいだと思った。

だが次の朝も、その次の朝も、空気の中に何かが混じっている。

潮の気配。遠くの水の匂い。

街道を歩く人の荷物に、見慣れない魚の干物が結わえてあった。


丘の上に出た時、キリークは初めて足を止めた。

地平の向こうに、光が乱反射している。

空とは違う、重くて広い輝き。どこまでも続く、青と灰色の境界線。


海だ。

言葉にはならなかった。

風が頬を撫でた。

それが何日ぶりかも分からない感覚だったが、キリークはそこで初めて顔を上げた。

無意識に俯いていた顎を、空へ向けた。

夕暮れ時、港町の灯が見えた。

波の音が、ここまで届いてくる。

キリークはしばらくそこに立っていた。

灯の数を数えるでもなく、ただ見ていた。


待ってて。

もう一度だけ、心の中で祈った。

それから、ゆっくりと坂を下り始めた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ