-金色の戦士- 第4話 灰燼
『サンシャーラ神話物語』
灰燼
今回の遠征は、最初からすべてが仕組まれていた。
要請の通り、はるか西の荒野へと急行したアヴァニアの部隊を待っていたのは、同盟国であるはずのレムリア帝国軍ではなかった。
「おかしいぞ! 帝国軍の先陣はどこだ!?」
『百色蠍』の傭兵の一人が、泥まみれの顔を上げて悲鳴のように叫んだ。
地平線を黒く染め上げるのは、頼もしい同盟国の軍旗ではない。
ただ周囲を食い荒らす、凄まじい魔物の大群だった。
「構うな、迎え撃て! 目の前の魔物を倒さなければ、国境の村々が飲み込まれてしまうぞ!」
傭兵団長の怒声が響く。
もはや帝国軍の到着を待つ余裕など、どこにもなかった。
キリークも直刀を抜き放ち、次々と飛びかかってくる異形の群れに斬り込んだ。
だが、圧倒的な数の暴力の前に、戦線は瞬く間に泥沼と化していく。
パァンッ!
乾いた破裂音と共に、隣で戦っていた傭兵の軍刀から炎が消え失せた。
限界まで魔力を引き出された人工魔石『ファルサ』が、熱に耐えきれず弾け飛んだのだ。
「くそっ、俺のファルサが焼き切れた!」
「予備を持ってる奴はいないか!? このままじゃ押し切られるぞ!」
戦場では多数の怪我人が続出し、魔導触媒「ファルサ」は何個も限界を迎えて焼き切れていく。
飛び散った血と泥が甲冑を汚し、視界を塞ぐ中での絶望的な死闘。
つい数日前までサマニ(共通銀貨)の音に酔いしれ、大口を叩いていた傭兵たちの目に、今は明確な死の恐怖が浮かんでいた。
(なぜ……なぜ帝国軍は来ないの!?)
キリークは荒い息を吐きながら、迫り来る魔物の牙を間一髪で弾き返す。
果てのない抗戦。
彼らは血と泥にまみれながらも、やむなくアヴァニア単独で戦い抜き、辛くも魔物の大群を退けることに成功した。
しかし、歓喜の声はどこからも上がらなかった。
多数の怪我人を出し、地に伏した仲間の骸と、熱でひび割れた無数の触媒石だけが荒野に残される。
疲労困憊し、泥のように座り込む彼らの元へ――最悪の凶報を乗せた早馬が駆け込んできたのは、その直後だった。
「……王都が、燃えている」
急ぎ引き返した部隊が見たものは、黒煙に包まれ、無惨に崩れ落ちた故郷の姿だった。
呆然と立ち尽くすアヴァニアの正規兵たち。その傍らで、傭兵たちは血を吐くような現実を淡々と突きつけた。
「銀貨の音が止んだなら、俺たちの仕事もそこまでだ。次はもっと金払いのいい雇い主を探すよ」
「あんな化け物相手に、この報酬か? 割に合わなすぎる。撤退だ。命あっての金だろ」
「あんた、まだそんなところで『アヴァニエ』ごっこをしてるのか? 王様の居場所も分からねえのに、誰を守るっていうんだ? もう王都は終わりだぜ」
崩壊する王宮を背に、傭兵たちは次々と立ち去っていく。
そんな大人たちを置き去りにして、キリークは狂ったように駆け出した。
傷の痛みも忘れ、瓦礫の散らばる街を走る。
見慣れた酒場も、武具屋もすべてが崩れ落ちている。
その道端で、血まみれになってうずくまる見知った街の住人たちが、キリークの姿を見てうわ言のように声を漏らした。
「ああ……あんたたちが、西へ出発した直後だったんだ……」
「……突然、東の海から帝国が攻めてきたんだ」
「駄目だった……俺たちの人工魔石じゃ、奴らのプーラ(※1)には傷一つつけられなかった……!」
「王宮も落ちた……王様は行方不明だ……もう、終わりだ……」
断片的な言葉が、キリークの耳にまとわりつく。
(帝国が? どうして……私たちが西で戦っていたのは、なんだったの!?)
混乱と恐怖で頭が割れそうだった。
「お父さん! マイトレーヤ!! 老師!!」
悲鳴を上げながら家へ向かっていたキリークの足が、不意に、ある場所で止まった。
半壊した古い庵。
その崩れた柱の下敷きになり、血の海に沈んでいる老戦士の姿があった。
「老師……っ!」
キリークは転がるように駆け寄り、瓦礫をどかそうとした。
しかし、血まみれの老師は、弱々しい手でキリークの腕を掴んで止めた。
「キリーク……か。戻った、のだな……」
「喋らないでください! 今、助けを……!」
「よい……わしは、もう助からん。完全に、敗れたのだ……」
老師の口から血があふれる。
彼の体には、恐ろしい魔法で焼かれたような、致命的な傷が刻まれていた。
「……己の不甲斐なさが恨めしい。帝国の悪意を疑っておきながら……平和に酔う宮廷を、わしは止められなかった……っ」
老戦士の顔が、ギリッと悔悟に歪んだ。
「あの共同遠征の要請は、アヴァニアの主力をカラにするための『罠』だった……奴らは初めから、西へ来る気などなかった……」
「罠……? 帝国軍がいなかったのは……」
キリークは目を見開いた。
すべてが繋がった。
アヴァニアの戦力を西の荒野に釘付けにするために、最初から仕組まれていたのだ。
「守護石(※2)は奪われた」
老師の声が、かすれた。
「……孫の、アシュヴィンの裏切りによってな」
キリークの呼吸が止まった。
アシュヴィン。
幼い頃から共に育った、あの少年の名が、焼け落ちた街の中で異様に響く。
「……なにを、言って――」
だが、その問いに答える力は、もう老師には残されていなかった。
恩師の最期を看取ったキリークは、ふらつく足で自身の家へと向かった。
しかし、そこにあったのは黒く焼け焦げた木材の山だけだった。
ただ一つ、瓦礫の山の手前に、見慣れた鈍色の鋼が突き立っていた。
父ハミルが愛用していた、身の丈ほどもある巨大な両手剣。
分厚い刀身は中ほどで無残にへし折れ、すべてが燃え尽きた瓦礫の前に、主を失った大剣だけが孤独に突き立っていた。
『アヴァニアの防衛には、俺という壁があることを忘れるな』
『お前が守るべき日常は、俺が必ずここへ繋ぎ止めておく』
出陣の朝に聞いた、不器用な父の声が脳裏に蘇る。
その言葉の通り、この場所で最後まで戦ったのだろう。
「……お父さん……」
キリークは、泥だらけのまま折れた剣の柄にすがりつくようにして、膝から崩れ落ちた。
数日前、不器用な手で自分の髪を撫でてくれた父の掌の温もりが、その冷たく欠けた鋼から微かに伝わってくるような気がした。
「ああ……あああああああっ!!」
すべてを失った家の前で、キリークは声が枯れ果てるまで、ただただ涙を流し続けた。やがて、瞳から涙すら消えかけた、その時――。
「……キリーク。しっかりしなさい、キリーク」
瓦礫の陰から、血だらけになったミラが這いずるように身を起こしていた。
「ミラさん……」
「泣いてる暇は……ないよ。マイトレーヤは……生きている」
その名前に、キリークの瞳が大きく見開かれた。
「見たんだ……街が炎に包まれる中、帝国の連中の後ろにいた黒装束(※3)の集団が……あの子を馬車に乗せて連れ去るのを。あの顔を隠した奴ら、あの子だけは、妙に丁重に扱っていた……。あの子、泣きながらお前の名前を呼んでいたよ……!」
生きている。
本当に、マイトレーヤを連れ去ったのだ。
その事実だけで、止まりかけていたキリークの身体に、再び力が戻った。
キリークは弾かれたように立ち上がった。泥だらけの拳を強く握りしめる。
絶望している暇はない。
涙を流している暇もない。
あの不気味な連中が、なぜ弟を必要としたのかは分からない。
だが、誰であれ、あの子の未来を奪うことは絶対に許さない。
瓦礫の下から、彼女は己の武器を掘り起こした。
人間が執念で創り出した人工魔石、「火のファルサ」。
帝国兵の力や、守護石を奪ったと言うアシュヴィンに比べれば、あまりにも泥臭く、脆い力だ。
それでも構わない。
何度でも焼き切れてやる。
この身が灰になるまで、絶対に弟を取り戻す。
「……行ってきます。お父さん、老師」
黒い煙の立ち上る、燃え落ちた故郷の熱が背中を押すように、キリークは1度も振り返らなかった。
※1プーラ(ラピス・プーラ)
五大元素の石より滴る、神の法則そのものを結晶化した天然の純粋魔石。
大帝国の公文書には格調高く「ラピス・プーラ」と記されるが、現場の者には短く「プーラ」と親しまれる。
魔力を注ぐだけで天災級の魔法をノーリスクで放つ、全土に数えるほどしか存在せぬ
国宝級の至宝。(編纂者註)
※2守護石
建国の英雄たちが「破壊神の再臨への備え」として遺した、五大元素(地・水・火・風・空)を象徴する形をした特殊な魔石。
五大国で各々を厳重に保管する契りを交わしていたが、現在はその強大な封印の鍵を狙うレムリア帝国の軍勢によって次々と強奪されつつある。
※3黒装束の集団 帝国の皇帝や上層部を精神侵食し、影から侵略を操る闇の狂信教団。レムリア建国にまつわる「兄殺しの呪い」を媒介に、大破神ヴィヴァルタの封印(黒真珠)を解こうと画策している。彼らは「五大元素の石(守護石)」の強奪を企て、その目的を果たすために帝国を焚き付け、全土を戦火に巻き込んでいる。




