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サンシャーラ神話物語 -金色の戦士-  作者: 宝田旗子
1章 旅立ち(アヴァニア王国編)
4/21

-金色の戦士- 第2話 予兆

『サンシャーラ神話物語』

予兆


アヴァニア王国の王都。

堅牢な石造りの玉座の間には、国境防衛部隊の勝利報告が届いていた。


「――国境付近に現れた魔物は、すべて掃討完了しました。被害もありません。我が国の防衛体制に問題はなし。正統同盟(※1)も変わらず維持されています」

傭兵団の長による力強い報告が、広い謁見の間に響く。

列の最後尾で片膝をついていたキリークは、前に並ぶ傭兵たちの背中を見つめ、小さく息を吐いた。

(昨日、あんなに酒を飲んで騒いでいた人たちと同じには見えない……)

磨き上げられた甲冑。背筋を伸ばした姿勢。酒の匂いも疲れた様子もなく、誰もが堂々としている。

昨夜、自分をからかっていた金髪の大男ですら、今は立派な英雄の顔をしていた。

キリークは呆れながらも、同時に複雑な思いを抱いていた。

必要な時には、完璧に「王国を守る英雄」になれる。それが、彼らの本当の強さなのかもしれない。

だが、その傭兵たちに国防を頼りきっている今のアヴァニア王国に、キリークは小さな不安を覚えていた。

レムリア帝国を警戒していた重臣たちも、今回の勝利には安心したようだった。

先ほどまで険しかった顔に笑みが戻り、広間には穏やかな声が広がっていく。

だが、キリークの胸に残るざわめきだけは消えなかった。


* * *


謁見を終えたキリークは、王宮の喧騒から離れ、王都の片隅にある老師の庵を訪れていた。


人払いされた静かな部屋の中で、キリークは胸に抱えていた違和感を率直に打ち明ける。

「あの魔物たちの動きが、どうしても気になるのです。ファルサの火力を警戒している様子もありませんでした。まるで、私たちの戦力を測るために動いていたように見えて……」

老師は黙って耳を傾けていた。

「宮廷は勝利に浮かれています。でも、本当に安心していいのでしょうか」

キリークの表情は真剣だった。

しばらく沈黙した後、老師は静かに口を開く。

「……わしも、同じ考えじゃ」

低い声だった。

「23年前、レムリア帝国はカーメリア王国を滅ぼして勢力を広げ始めた。その後の内乱を制した二代皇帝は、アヴァニアとも友好的な関係を築いていたが……」

老師は小さく目を細めた。

「3年前、その皇帝が不自然な死を遂げたことで、すべてが変わった」

老師の言葉が、静かに室内へ沈んだ。

部屋の片隅で揺れる油灯が、壁に落ちた影をわずかに歪める。

キリークは無意識に膝の上で拳を握った。

三代皇帝。

暗殺の噂と共に帝位へ就いた男。

その名を聞くだけで、胸の奥がざわつく。

「即位してからの動きが、あまりにも早すぎます」

キリークは絞り出すように言った。

「カーメリアを呑み込み……ついにはピスパンニアまで……」

特に、アヴァニアの防波堤とも言われたピスパンニア王国の陥落は、周辺諸国に大きな衝撃を与えている。

今では、かつて国境を接していた二国も帝国の属州となり、旗は黒旗へ塗り潰されている。

市場の人々は平静を装っていたが、国境を知る者ほど顔色を失っていた。

老師は静かに目を閉じた。

「先帝が蓄えた兵と資源を、あの皇帝は一気に戦へ注ぎ込んだのじゃろう」

老師の深く沈んだ声が、キリークの胸に燻る危機感をさらに強く煽り立てた。

「あの皇帝は危険です。なのに宮廷の人たちは、昔の友好関係をまだ信じている……」

キリークは唇を噛み、視線を床へ落とした。

「あの魔物たちは、帝国の様子見だったのかもしれません。私たちは、意図的に勝たされたのではないでしょうか」

老師は深く息を吐いた。

「お前の直感は、おそらく間違っておらん。わしも、今回の件には裏があると思っている」

キリークは思わず顔を上げる。

「なら、父上や国王様に警戒を進言すべきでは――」

「それはできん」

老師ははっきりと言った。

「証拠がない。今の宮廷は長い平和に慣れきっている。根拠の薄い危機感で国庫を開き、さらに傭兵を増やそうとはせんだろう」

老師は窓の外へ目を向けた。

王都のざわめきが、皮肉なほど穏やかに風に乗って届いてくる。

「今の重臣たちは、不吉な話より安心できる言葉を好む。わしらのような古い『戦士アヴァニエ(※2)』の警告など、時代遅れの不安話としか思わんよ」

キリークは唇を噛んだ。

老師は静かな声で続ける。

「今は軽率に騒ぐべきではない。無用な混乱を招くだけかもしれん。だからこそ、備えるしかないのだ。いつ何が起きても動けるようにな」

国を守る立場にありながら、政治を動かす力はない。

その現実の重さを、二人とも理解していた。

キリークはゆっくり頭を下げる。

「……分かりました。鍛錬を続けます」


* * *


庵を出たキリークは、しばらく立ち止まった。

市場には香ばしい料理の匂いが漂い、子供たちは通りを駆け回り、人々は楽しそうに笑い合っている。

何も変わらない王都の日常。

海の向こうの帝国のことなど、まるで別世界の話だと言わんばかりだった。

キリークは胸のざわめきを押さえるように、軽鉄甲冑の感触を背中に感じながら家路についた。

やがて街の喧騒を抜け、静かな路地へ入る。

石畳を踏む軍靴の音が、静かな道に響いていた。


「戻りました」

扉を開けると、居間の奥から大柄な男が姿を現した。

アヴァニア国境防衛傭兵団『百色蠍サクラド』総隊長。

『鋼の蠍』の異名を持つ男。

そして、キリークの父――ハミルだった。

白髪混じりの髭と、戦場で刻まれた無数の傷。

その姿には、長年死線を潜り抜けてきた重みがあった。

キリークは背筋を伸ばす。

「ハミル総隊長。国境付近の魔物駆除任務、問題なく完了しました。周辺集落の安全も確認済みです」

娘の報告を、ハミルは黙って聞いていた。

その視線は厳しい。 キリークの鼓動がわずかに早くなる。

やがてハミルは腕を解き、大きな手でキリークの髪を乱暴に撫でた。

「よくやった。前線での働きは聞いている。『戦士アヴァニエ』として十分な戦果だったそうだな」

「――っ」

キリークは目を丸くした。

父は普段、誰よりも厳しかった。

『未熟な娘が戦場に立つなど危険すぎる』 そう言って、いつも突き放すように接してきた。

その父が、今は自分を認めている。

キリークは思わず表情を緩めた。

「……ありがとうございます。父上」

その一言だけで、胸の奥がじんと熱くなった。

「これくらいで浮かれるな。『戦士アヴァニエ』なら当然だ」

ぶっきらぼうに言うと、ハミルは背を向けた。

「今日は休め。国境の静けさも、いつまで続くか分からん」

キリークは深く一礼した。

「はい。ですが、その前にマイトレーヤに会ってきます」

母を亡くしたあの日から、彼女にとって10歳の弟は何よりも守るべき宝物だった。

甲冑を鳴らしながら歩く足取りは、家の奥へ進むにつれて、自然と小走りへ変わっていく。

先ほどまで張り詰めていた琥珀の瞳にも、今はわずかな柔らかさが戻っていた。

弟の顔を思い浮かべながら、キリークは家の奥へと向かった。



※1正統同盟

当時、大陸の半分以上を黒く塗りつぶしつつあったレムリア帝国と、辛うじて独立国の名を保っていたアヴァニア王国との間に結ばれていた軍事条約。 当時の宮廷記録には「対等なる国家間の絆」という美辞麗句が並べられているが、後世の歴史からこの時代を俯瞰すれば、それが小国アヴァニアを帝国の意のままに動かすための「見えない鎖」であったことは疑いようがない。 (編纂者註)


※2『戦士アヴァニエ

アヴァニア王国における正規兵を指す称号。 彼らは単なる国家の武装集団ではなく、己の肉体と精神、そして触媒ファルサを極限まで研ぎ澄ますことで武を成す、誇り高き求道者たちであった。 後世の軍事学において、無機質で圧倒的な物量を誇るレムリア帝国の「兵器」と比較し、彼らの属人的な戦い方を「前時代的」と切り捨てる学者も少なくない。だが、民の日常を守るという強靭な矜持を胸に、冷たい鋼の軍靴へ生身で立ち向かった彼らの生き様こそが、独立国アヴァニアが最後まで燃やし続けた「熱」そのものであったと、私は記しておきたい。 (編纂者註)


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