-金色の戦士- 第1話 暗流
『サンシャーラ神話物語』-金色の戦士-
帝国歴23年、サンシャーラ歴前1223年。
アヴァニア王国の早春。
吹き抜ける夜風には、まだ冬の冷たさが残っていた。
国境沿いにある赤土の広場では、戦勝を祝う巨大な篝火が夜闇を焦がす勢いで燃え上がっている。
荒くれ者たちの歓声と、肉の焼ける香ばしい煙が、星の見えない空へと真っ直ぐに立ち上っていた。
事の起こりは、近くの集落から持ち込まれた緊急の魔物駆除要請だった。
だが、馳せ参じた国境防衛部隊にとって、その戦いは拍子抜けするほどあっけない。
倒した魔物は20あまり。
辺境の戦としては、十分すぎる戦果だった。
だが、この宴で羽目を外しているのは、国を護るべきアヴァニアの正規軍ではない。
そのほとんどが、金で雇われた傭兵団『百色蠍』の者たちだった。
武勇を重んじるはずのアヴァニアだが、その内実は脆かった。
長すぎる平和に胡坐をかいた宮廷は兵を減らし、今や国防の大半を傭兵の剣に頼りきっていた。
共通銀貨『サマニ(※1)』が詰まった革袋を懐にした傭兵たちは、つい数時間前までの死線の緊張などすっかり忘れ、強い酒をあおって泥酔していた。
「おい、火が弱まってきたぞ! もっと薪をくべろ!」
酔った男の声に応じ、一人の傭兵がふらつく足取りで丸太の前に立った。
彼は足元の手斧を蹴りのけ、あえて腰から魔物用の軍刀を引き抜く。
そして、平民なら一生に数個しか手に入らないほど貴重な触媒『ファルサ(※2)』を手のひらに取り出した。
男が魔力を通すと、軍刀の刃は一瞬にして赤熱し、激しい火花を散らす。
そのまま烈火を纏った刃を丸太へ振り下ろした。
赤熱した刃が丸太を一息に断ち切り、炎を上げて篝火へと放り込まれる。
「ぎゃはは! 斧で割るより、こっちの方が手っ取り早くて気前がいいぜ!」
「贅沢な奴だ! だが今夜の俺たちは金持ちだからな、火花の一片くらい夜風の慰みさ!」
ただの薪割りに高価な触媒を使い捨てる蛮行に、周囲の傭兵たちはさらに手を叩いて狂喜する。
「カザフィル女神の泉も、今夜ばかりは酒に変わるさ!」
「だったら、ラーナ女神の『智慧の剣』で、この肉を切り分けてもらおうか!」
「女神様直々のお給仕たあ、とびきり豪華だぜ!」
「違いねえ! 帝国の堅物どもが攻めてくるって噂に怯えて損したぜ!」
姉神ラーナの『智慧の剣』や、妹神カザフィルの『慈しみの泉』が刻まれた正統刻印貨を鳴らし、彼らは大笑いする。
海の向こうの帝国の脅威を、本気で信じている者はもうほとんどいなかった。
傍らでは、巨大な騎鳥『クッカ(※3)』たちも重い鞍を外され、与えられた肉を貪り食いながら巨体を揺らしている。
そんな喧騒から一人離れ、暗がりの荷車に背を預ける少女がいた。
短く揃えられた藤色の髪。
実用性を追求したアヴァニア伝統の軽鉄甲冑を纏う彼女は、腰に短い直刀と数本の短刺を帯びている。
その琥珀色の瞳は、宴の炎を映しながらも決して熱に同調することはなく、どこか冷めた色を帯びていた。
彼女の名はキリーク。
王家と大地を護る正規の戦士階級『戦士』の一人であり、この防衛部隊の総隊長ハミルの娘である。
だが実働部隊の指揮は傭兵に委ねられており、17歳の彼女はあくまで一兵士として前線に立っていた。
「おいおい、キリーク。お堅い『戦士』様が、そんな隅っこでしけた顔をするなよ」
不意に、『百色蠍』の大柄な男が、なみなみと注がれたエールの杯を持って近づいてきた。
無骨な鎧も、派手な金髪も、炎の照り返しで赤く燃えている。
キリークは彼が肩を叩こうとするのをかわし、荷車の端を指した。
男は苦笑してそこに腰を下ろす。
「もう、そのあたりにされては? 明日は王都への帰還ですよ」
「硬いことを言うな。俺たち傭兵は命を張って稼いだんだ。王都の高級酒場からわざわざ取り寄せた極上のエールだぜ。ほら、お前も飲めよ」
差し出された酒杯からは、甘ったるい麦の香りが漂ってくる。
キリークは琥珀色の液体を冷ややかに見つめ、静かに首を振った。
「結構です。あなた方も勝利に酔うのは構いませんが、武器の手入れだけは怠らないように」
「ははっ、相変わらず隙がねえな。さすがは誇り高き『戦士』の家系だ」
男は悪びれずに酒をあおり、大げさにため息をついた。
「だがな、キリーク。レムリア帝国が海の向こうで二国を滅ぼしたってのは、耳にタコができるほど聞いてるさ。 だが、奴らも今はあっちの領土拡大で忙しいんだ。 わざわざ海を渡って、このアヴァニアまで攻め込んでくる馬鹿はいねえよ。 そんなにピリピリしてちゃ身がもたないぜ」
男が呆れたように笑うと、キリークはぽつりとこぼした。
「……腑に落ちないのです」
その声に、男はすっと笑顔を引っ込め、声を潜めた。
「何がだ? あっさりと勝ちすぎたと?」
キリークは思わず男を見た。
ただ酒に浮かれているように見えても、やはりこの男も死線を潜り抜けてきた傭兵なのだと。
彼女は炎から目を逸らさず、静かに語り始めた。
「あの魔物たちの動き……まるで、わざと私たちを特定の場所へ誘導しているようでした。 私たちは『意図的に勝たされた』のではないか、と」
「やつらが何かの囮だったと?」
「わかりません。 ですが事実として、この半年間、辺境の討伐のために私たちはあまりにも多くの物資とファルサを消費しました。 まるで……」
「誰かに振り回されてるみたいに、ってか?」
一瞬の沈黙。
パチッ、と大きな音を立てて篝火が爆ぜた。
やがて男は鼻で笑うと、大げさに身震いしてみせた。
「なんだ? じゃあその魔物の本陣とやらが、今頃王都に攻め込んでいるかもってか? おお、怖い怖い!」
彼は再び笑顔を浮かべ、キリークの危惧を笑い声で吹き飛ばした。
「考えすぎだ、キリーク! 本物の『戦士』としての腕は俺たちだって認めてるさ。 だがな、戦場じゃ生きて楽しんだもん勝ちだ。さあ、いつまでもシケたツラしてないで、お前もぐっといけ!」
男は酒杯を突き出したが、キリークが動かないとわかると肩をすくめ、宴の輪へと戻っていった。
キリークはため息を漏らし、直刀に添えた手で、使い切ったファルサを指先で弄んだ。
次の瞬間、ファルサはただの灰色の粉と化し、夜風に乗ってさらさらと流れだす。
闇に溶け、王都アヴァニアの方角へと流れていく灰を追うように、キリークもまた遥か遠い故郷の空を見つめていた。
地平線が不吉な炎に染まることなどあるはずがない。
そこにあるのはただ、星の見えない冷たい夜闇だけだった。
キリークは胸のざわめきを振り払えぬまま、冷たい夜空を見上げた。
用語集
※1サマニ銀貨 当時の民衆の日常を支えた商取引の中心貨幣。表面には妹神カザフィルの『慈しみの泉』が刻まれている。レムリアの軍靴に世界が踏み躙られる以前、宿場や市場を行き交うこの銀貨の音こそが、人々のささやかな平穏の象徴であった。(編纂者註)
※2ファルサ(魔導触媒) 当時の戦士たちが武器に宿して戦った使い捨ての魔導触媒。帝国が独占する永遠の魔石たる原晶『プーラ』とは異なり、一度力を放てばただの灰へと還ってしまう。その儚くも鮮烈な輝きは、圧倒的な暴力に対し、己の命を削ってでも抗おうとした人間たちの苛烈な意志そのものであった。(編纂者註)
※3クッカ(飛べない巨鳥) 当時のサンシャーラにおいて、人々の生活に最も深く溶け込んでいた一般的な巨鳥。物資の運搬や農耕といった日々の労働を支えるのみならず、時には祭事の競馬(鳥競べ)で民衆を沸かせるなど、豊かな日常の象徴であった。冷徹な帝国の機械的な軍靴に踏み躙られる以前、彼らの力強いいななきは、人間と命ある獣が共に生きた、血の通った温かな世界の証であった。(編纂者註)
本作では、執筆補助としてAIを活用しています。
構成・加筆修正は作者自身が行っています。




