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サンシャーラ神話物語 -金色の戦士-  作者: 宝田旗子
6章 神々の試練(試練編後半)
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-金色の戦士- 第25話 捨身

『サンシャーラ神話物語』

-金色こんじきの戦士- 捨身



アシュヴィンが歩み寄ってくる。


その手には、先ほどまでキリークの命を狙っていた鋭い槍が、無造作に下ろされていた。

女と男が、逃げ道を塞ぐように両脇に立っている。

完全に、囲まれていた。


キリークは片膝をついたまま、雪に突き立てた直刀の柄を限界まで強く握りしめた。

体が鉛のように重い。

荒い息が白く凍りつき、肺を焼くように痛めつけている。

女の短刺が掠めた肩から流れる血が、白い雪を黒く染めていく。

しかし、どれほど肉体が限界を迎えてても、頭は恐ろしいほどに冷え切って動いていた。


(女の動き……今まで正面から来ることは、ほとんどなかった……)

視界の端で、薄く笑う女を捉える。

(でも、六撃目は正面から来た……思い出せ、その時男はどこにいた?)

キリークはさっきの男と女の連携を、記憶の底から必死に手繰り寄せ……一つの明確な答えを見つけた。


機動力のある女が正面から派手に動き、こちらの意識を強制的に前へ向けさせる。

(男は、左から、きた)

そして、その死角となる左側から、重量のある男が致命的な一撃を叩き込むのだ。


(女が正面から来る時……男は必ず、別の方向にいる)

キリークは荒い息をゆっくりと殺し、雪に突き立てた直刀の柄を静かに、だが確かな力を込めて握り直した。


アシュヴィンが、キリークの数歩手前で立ち止まった。

「剣を置け」

甘く、そして絶対的な命令だった。

「……嫌」

「なぜそこまで意地を張る」

アシュヴィンは、理解できないものを見るように僅かに眉をひそめた。

「もう誰もいない。君が守るものは、もう何一つ残ってないじゃないか」

キリークは、血と雪に塗れた顔を上げる。

その瞳の光は、少しも死んでいなかった。

「マイトレーヤがいる。何度聞いても答えは同じよ」

アシュヴィンはしばらく黙っていた。

それから、小さく息を吐く。

「……そうか」

どこか残念そうな声だった。

「君はいつもそうだ」

「?」

「自分より、誰かを選ぶ」

アシュヴィンは静かに首を振った。

「だから傷だらけになる」

視線だけで女へ合図を送る。

「動けなくなるまでやれ」


女が動いた。

「本当に、聞き分けのない子ね」

風のプーラが雪を巻き上げる。

今度も、真っ直ぐ正面から来た。

(……来た)

キリークは動かなかった。

一歩、二歩、女が滑るように近づいてくる。

同時に、キリークの左側の死角から、岩のような男の気配が重く動いたのが分かった。

女の短刺が、キリークの急所を避けて左肩へと鋭く伸びてくる。

(今だ!)

キリークは、避けなかった。

「なに!?」

自ら前へ踏み込み、女の短刺を左肩で真正面から受け止めた。

刃が革鎧を貫き、肉に深く食い込む。

骨を削るような激痛が全身を駆け抜ける。

しかし、構わなかった。

痛みより先に、手が動いていた。

もうそういう体になっていた。


女の動きが完全に止まった。

刃が肉と骨に深く食い込み、すぐには引き抜けない。

風の推進力そのものが、キリークの肉体という檻に囚われたのだ。

至近距離で、女の細い目が驚愕に見開かれた。

「狂って……ッ!?」

その一瞬——左から迫っていた男の注意が、完全に女へ向いた。

「おいッ!」

仲間の異変に気を取られ、男の地のプーラの集中がわずかに、ほんのわずかに乱れる。

絶対の硬化に、致命的な隙が生まれた。


「止まったわね……!」

キリークは痛みを奥歯で噛み砕き、右手に残った全精力を込めて、直刀を振り抜いた。

鋭い刃が、無防備な女の胴を正確に薙ぐ。

血飛沫が雪山に舞った。

女が声も出さずに雪の上に倒れ伏した。

動かなかった。


重い沈黙が落ちた。

女の短刺が深く刺さったままの左肩が、焼け火箸を突っ込まれたように痛かった。

しかし、右腕は動く。

直刀を握れる。


男の目が、変わった。

それまで機械のように無感情だった男の目に、明確な怒りと憎悪が宿った。

「あ、ああ……ッ!!」

低い声が出た。

それは言葉ではなく、獣の咆哮だった。


男が動いた。

地のプーラを全開にして、キリークへ向かって真っ直ぐに突進してきた。

怒りに我を忘れたその動きは、先ほどまでの冷静な連携とは程遠い。

まるで巨大な岩が転がり落ちてくるような、ただの力任せの質量兵器だった。

足元の雪が、男の凄まじい突進の踏み込みで爆発するように吹き飛ぶ。


「死ねェェェッ!!」

キリークは、男の拳が届く寸前で横へ跳んだ。

「遅い……!」

すれ違いざまに落とされた、氷のような呟き。

自ら纏ったその岩の鎧の重さと、一直線のベクトルが完全に裏目に出ていた。

男は止まれなかった。

凄まじい推進力と、地のプーラによる異常な重量。

それが仇となった。

断崖の縁へ向かって、突進の勢いがそのまま突き抜ける。

足元の雪が崩れる音。

「なっ……!?」

男が己の致命的なミスに気づき、ブレーキをかけようとしたその瞬間。

キリークはすでに、男の背後に回り込んでいた。

もう直刀を振るう必要はない。

残った力を全部、両足に集めた。

崖下へ向かって前のめりになっている男の背中へ、キリークは渾身の体当たりをくらわせた。

「貴様ァァァッ!!」

男が縁の向こうへ傾く。

キリークは最後まで男の身体を押し続けた。

そして——二人の姿が、断崖の闇へ吸い込まれていく。

夜明け前の風だけが、雪を巻き上げていた。


猛吹雪の吹き荒れる奈落の谷底へ、白い空があっという間に遠ざかっていく。

断崖の縁には、アシュヴィンだけが立っていた。


崩れ落ちた雪煙が舞い上がり、冷たい風に流されてゆっくりと散っていく。

キリークの姿は、もうどこにも見えない。

アシュヴィンは動かなかった。

しばらくの間、ただ無表情で猛吹雪の谷底を見下ろしていた。


彼の手の中には、小さな革袋がある。

槍で貫いたガルの腰から引きちぎったものだ。


そこには土と水の守護石が二つ入っている。

しかし、残りの二つ——火と風の石は、キリークが持っていた。


奪えなかった。

奪う前に、彼女は自ら奈落へ落ちていった。

すべてを自分の支配下に置くという、完璧な計画は完全に崩れ去ったのだ。


それでも、アシュヴィンは怒らなかった。

目的の石を失った絶望も、微塵も感じていなかった。

ふと、頬に何かが触れた。

雪の冷たさではなかった。

アシュヴィンは、ゆっくりと自分の頬に手を当てた。

頬が、異常なほど熱かった。

理由は分からなかった。

ただ、胸の奥が狂おしいほどにざわついていた。

心臓の音が、雪山に響くほど大きく高鳴っている。

奪えなかった。

折れなかった。

またしても、手の届かない場所へ逃げられた。


それなのに。

キリークは、谷底へ消えていく最後の最後まで、一度も自分に対して剣を置かなかった。

三人で完全に囲み、肉体を削り、絶望を与え、それでもその心は折れなかった。

自分の手駒の動きを見切り、捨て身の罠にかけ、躊躇なく奈落へ身を投じた。

思い通りにならない。

自分がどれほど力を振るっても、どれほど追い詰めても、あの気高き戦士の魂だけは、どこまでも思い通りにならない。

それが——どうしようもなく、愛おしかった。


「……また、会いに行く」

谷底に向けて呟いたその言葉は、誰への命令でも宣言でもなく、ただ溢れ出た本音だった。

誰にも聞こえない、甘く溺れるような声で言った。

アシュヴィンは静かに踵を返した。


足音一つ立てることなく、猛吹雪が吹き荒れる雪山の闇の中へ、その姿は亡霊のように消えていった。

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