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サンシャーラ神話物語 -金色の戦士-  作者: 宝田旗子
6章 神々の試練(試練編後半)
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-金色の戦士- 第23話 喪失

『サンシャーラ神話物語』

-金色こんじきの戦士- 喪失



アルフェン山脈は、遠くから見ると美しかった。

万年雪をまとった峰々が、青い空に白く連なっている。

蒼天連峰という名前の通り、空と山の境界が溶け合うような景色だった。


近づくにつれ、その印象が変わった。

風が強い。

気温が低い。

足場が悪い。

白銀峰とは違う種類の過酷さがあった。

あちらは熱だった。

こちらは、すべてを削ぎ落とすような寒さだった。


「……本当に、帝都の近くにこんな山があるのね」

「だから誰も近づかない」

ガルが前を歩きながら言った。

「帝国にとっては天然の要塞だ。遺跡が残っているとしたら、それが理由だろう」

「人が来ないから、手が入らなかったの?」

「ああ」


アーシャが荷物を背負いながら後に続いた。

息が上がっていたが、珍しく文句は言わなかった。

「……アーシャさん、大丈夫?」

「大丈夫だ。これくらいは慣れている」

「嘘をついてる顔ね」

「慣れていると言ったら慣れているんだ」

キリークはアーシャの荷物を半分引き受けた。

アーシャは一度だけ反発して、それから黙って渡した。


二日かけて、山頂付近に辿り着いた。

アーシャが天球儀の計算と照合しながら、岩場を一つ一つ確認していく。

「……ここだ」

岩壁の陰に、石造りの構造物があった。

雪と氷に半分埋もれているが、表面の刻印は残っていた。

「遺跡の入り口か」

「そうだ。ただし」

アーシャは天球儀を取り出した。

「扉を開くには、明けの明星が特定の位置に昇る瞬間が必要だ。今夜の夜明け前、約三時間後がそのタイミングになる」

「三時間、ここで待つの?」

「そうなる」

ガルは空を見た。

雲がない。

星が出ている。

風は強いが、視界は悪くない。

「待ってろ。雪穴を掘る」


小さな焚き火を囲んで、3人が座っていた。

雪を掘って風を防いでいるが、それでも冷たい空気が首筋に入ってくる。

焚き火の熱が、顔だけを温めた。

アーシャはいつの間にか眠っていた。

古文書を胸に抱いたまま、規則正しい寝息を立てている。

キリークとガルだけが、起きていた。


「……弟を取り戻したら、どうするつもりだ?」

ガルが唐突に言った。

キリークは焚き火を見た。

「どうする、って……」

「旅が終わった後の話だ」

考えたことがなかった。

マイトレーヤを探すこと、守護石を集めること、前に進むこと。

それだけを考えてきた。

その先を、具体的に思い描いたことがなかった。


「……分からない」

正直に答えた。

「そうか」

「ガルは?」

「南の島へ行く。寒いのは苦手なんだ」

煙草をふかす横顔はひどく穏やかだった。

「傭兵は、やめるの?」

「長くはやれない。ここらが潮時だろう」

ガルは雪空を見上げた。

その横顔を、キリークは盗み見た。

いつもと変わらない顔だった。

それが、なぜか胸に刺さった。

「お前がまだ半人前だったら、もう少し面倒を見るつもりだった。今はその必要もないだろう」

「……一人前になったって言いたいの?」

「事実を言った」

キリークは焚き火の炎を見た。


奴隷船で戦った時のこと。

生贄の村でのこと。

絶海の牢獄島でのこと。

自然神の神殿でのこと。

そのすべての旅の隣には、常にこの不器用な傭兵の姿があった。

「……南の島に遊びに行く」

「来るな」

「行く。マイトレーヤと一緒に」

「……好きにしろ」


焚き火が爆ぜた。

雪の上に、小さな火の粉が散っていく。

しばらく、二人とも何も言わなかった。


夜明け前。

東の空が、わずかに白み始めた。

アーシャが目を覚ました。

天球儀を取り出し、星の位置を確認した。

「……もうすぐだ」

全員が立ち上がった。

焚き火を消す。

装備を確認する。

キリークは直刀の柄を握った。

ガルはメイスを手に取った。


東の空に、一つの星が輝き始めた。

他の星よりひときわ明るく、澄みわたる光を放つ。

明けの明星だった。


「……来た」

アーシャが岩壁の刻印に手を当てた。

星の光が特定の角度に達した瞬間、刻印が光を放った。

石造りの扉が、ゆっくりと動き始めた。

「開いたぞ!」

アーシャの声が、雪山に響いた。

その瞬間だった。


音がなかった。

気配もなかった。

ただ、空気が変わった。

キリークは振り返った。


アシュヴィンが立っていた。

帝国の将校服。

整った顔立ち。

虚ろな瞳。

その両脇に、二つの影がある。

港町の路地ですれ違った、小柄な女と大柄な男だった。


「……待ってたよ、キリーク」

穏やかな声だった。

静かに、まるで昨日も顔を合わせていたかのような感じで言った。

そして、その視線が、キリークの隣に立つガルへ向けられて……。


「ガル……」

言葉が出なかった。

ガルの手がメイスへ伸びる。

しかし、その動きよりも早く、アシュヴィンが動いていた。

槍が、空気を切った。

ガルが横へ動いた。


反応した。

避けようとした。

それでも届かなかった。

槍がガルの胴を貫いた。


キリークの世界が、一瞬止まった。

音が消えた。

寒さが消えた。

ガルの横顔だけが、やけに鮮明に見えた。


「ガル……!」

アシュヴィンは槍を引いた。

ガルの腰から、守護石の入った革袋を引きちぎる。

ガルが雪の上に膝をついた。

「……っ、行け」

低い声だった。

「キリーク……行け」

「何を……」

「行けと言っている!」

ガルはメイスを雪面に叩き込んだ。

辺りに轟音が響く。

足元の氷層に、亀裂が走った。

「ガル……!」

「行けッ――」

氷が、砕けた。

雪と瓦礫が崩れ落ちる音が、山を揺らした。

アシュヴィンとキリークたちの間の大地が割れ……ガルが、崩落の中へ消えた。


崩落の轟音が、ようやく遠ざかっていった。

雪煙がゆっくりと晴れていく。

断崖の向こう。

アシュヴィンは動かなかった。

その両脇には、小柄な女と大柄な男もいる。

三人とも、崩落など意にも介していないように立っていた。


キリークは崩落した場所を見ていた。

雪煙だけが舞っている。

「……」

声が出なかった。

ガルの姿は、もうどこにも見えない。


「石は二つか」

静かな声だった。

「残りは、君が持っているのか?」

キリークは答えなかった。

直刀を抜いた。

手が震えている。

「……アーシャさん」

「……なんだ」

「走って。ヴェネスへ戻って」

「お主を置いては……」

「走って」

キリークは前を向いた。

崩落の向こうに、アシュヴィンが立っている。

その両脇に、男女が並んでいる。


アシュヴィンの姿がブレた。

ガルが命を賭して割った大地の亀裂を、羽のように軽やかな跳躍で越えてくる。


「ファンネリアに伝えて」

「……なんと伝える?」

キリークは少しの間、黙った。

「今回は、お土産はないかも、って」

アーシャの足音が、雪を踏んで遠ざかっていった。


キリークは雪を蹴った。

迫り来るアシュヴィンを、真正面から迎え撃つために。

キリークは直刀を構えた。

(泣くのは後だ……今は前だけを見る)


夜明けの空に、明けの明星が輝いていた。



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