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サンシャーラ神話物語 -金色の戦士-  作者: 宝田旗子
5章 神々の試練(試練編前半)
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-金色の戦士- 第18話 旧縁

『サンシャーラ神話物語』

旧縁



属州アヴァニアの港は、記憶の通りだった。

いや……記憶より、少し変わっていた。

帝国の旗が増えていた。

検問所の木柵が、以前より頑丈になっていた。

兵士の数も多い。

港全体に、張り詰めた空気が漂っていた。


船が岸につく。

キリークは甲板から港を見下ろし、無意識に直刀の柄に手をやった。

あの日のことを思い出す。

マイトレーヤを追って海を渡ろうとして、帝国兵の木柵へ単身突っ込んで……。


「昔の話だ」

ガルが横から言った。

「顔に出てるぞ」

「出てない」

図星を突かれた苛立ちを、短く息を吐いて誤魔化した。

潮風が体ごと過去へ引き戻す。無茶だったとは思う。

だが、弟のために走り出したあの衝動だけは、今も微塵も後悔していなかった。

キリークは手を柄から離した。


後ろでアーシャが大荷物を抱えながら立ち上がり、船縁に足をかけようとして、また危うく落ちかけた。

「アーシャさん、待って……」

キリークが支える。

「うるさい、自分でできる」

「できてない」

「できる」

結局三人がかりで老人と荷物を桟橋へ下ろした。

それだけで体力を消耗した。


検問所は、港の出口に設けられていた。

帝国兵が二人、通行証を確認している。

列ができていた。

「ファンネリアの乗船証がある。問題ないはずだ」

ガルが前を向いたまま言った。

列が進む。

一人、また一人と通過していく。

キリークたちの番になった。


若い兵士が乗船証を受け取り、確認した。

「……通行証は問題ない。荷物の中身を……」

そこで兵士の目が止まった。

キリークの顔を見ていた。

何かを思い出すような目だった。

(まずい)

「お前……」

兵士が眉をひそめた。

「少し前に、この港の封鎖を強行突破しようとして暴れ回ったアヴァニアの残党じゃないか?」

「……人違いです」

「いや、顔が……」

「似た人間は世の中にたくさんいます」

「そういう問題じゃなく……」

後ろでアーシャが一歩前へ出た。

「わしはこいつらとは無関係じゃ! 荷物の検査だけ済ませてくれ!」

「アーシャさん!」

「わしは考古学者だ! 帝国兵に捕まって研究が止まったらどうしてくれる!」

兵士の目が、キリーク、ガル、アーシャと順番に動いた。

もう一人の兵士が近づいてくる。

手が武器にかかっていた。

(どうする……)


「あら」

横から、声がした。

「うちの可愛い従業員たちに、何の真似?」

振り返ると、籠いっぱいの果物を抱えた女性が立っていた。

ふくよかな体つき。

朗らかな笑顔。

しかしその目は笑っていなかった。

「ミラさん……!」

「久しぶりね、キリーク」

ミラは兵士たちへ向き直った。

「この子たちは私の商会の手伝いで来てるの。乗船証も揃ってるでしょう? なんか問題があった?」

「あ……い、いえ、その……」

若い兵士が言葉に詰まる。

港で顔役として知られるミラに逆らえば面倒になる。

それは、この辺りの兵士なら誰でも知っていた。

もう一人の兵士も、弾かれたように武器から手を離し、強張った顔でミラを窺っている。

「……こ、この女が以前、この港で……」

「あら、それは大変だったわね。でも乗船証は本物だし、荷物の中身も申告通りだった。それ以上何かある?」

キリークはミラの背中を見ながら、息を殺していた。

助けてもらっている。

その事実が、じわりと胸に重くのしかかった。

兵士は口を開きかけた。

ミラが、にっこり笑った。

笑顔だった。

しかし、その笑顔の奥に何か……一線を踏み越えれば面倒なことになる、という静かな圧力があった。

帝国兵の喉が、引きつったようにゴクリと鳴る。

帝国兵は一度キリークを見て、視線を外した。


「……通っていい」

「ありがとう。お仕事、頑張ってね」

ミラは果物の籠を抱え直し、何事もなかったように歩き出した。


路地を二つ折れ、三つ目の角を曲がった先に、古い石造りの家があった。


中へ入ると、思ったより広かった。

棚に瓶詰めの保存食が並び、隅に武器が立てかけてある。

生活感と、どこか張り詰めた空気が混在していた。


「座って。お茶を出すわ」

ミラが厨房へ向かった。

アーシャは荷物を下ろして、さっそく古文書を広げ始めた。

先ほどの一件など、もう頭にないらしい。

キリークはミラが戻るのを待って、深く頭を下げた。

「助かりました。ありがとうございます」

「だから、あんたが頭を下げることじゃないって」

ミラは茶を置き、椅子に座った。

「それより、話を聞かせなさい。随分と物騒な旅をしてるみたいじゃない」

キリークはガルを見た。

ガルは煙草を咥えて、頷いた。


王都を逃れ、港町の封鎖を抜けようとして失敗したこと。

騙されて奴隷船に乗せられ、そこでガルやファンネリアと出会ったこと。

生贄を喰らう魔物を退治し、牢獄島でラーナと出会い、守護石の使命を知ったこと。

……そして、アシュヴィンのこと。


ミラは黙って聞いていた。

話しながら、自分の声が思ったより平坦なことに気づいた。

まだ、整理できていない。

たぶん、しばらくは整理できない。


「……アシュヴィン」

ミラが呟いた。

「今は帝国の将校になってるの」

「そう……あの子が」

ミラは窓の外を見た。

しばらく、誰も何も言わなかった。


地図を広げたのは、ガルだった。

「次の目的地を探している。火の神の遺跡だ。この辺りで心当たりは?」

ミラは地図を覗き込んだ。

アーシャが古文書を持って割り込んできた。

「火山だ。神代文明期の排熱構造と一致する火山が条件だ。この地域で……」

「南東の荒野の果て」

ミラがすぐに指を置いた。

「白銀峰でしょ。万年雪をかぶった死火山。あそこには昔から近づかない方がいいって言われてる。熱気が漏れ出してて、雪が溶けてる場所があるから」

「それだ」

アーシャが古文書と地図を交互に確認した。

「排熱経路と一致する。93パーセント間違いない」

「行き方は分かる?」

「大荒野をクッカで横断するしかないわね。ただ……」

ミラは地図から顔を上げた。

「あそこは、一人や二人で行く場所じゃないわよ。荒野の魔物も厄介だし、山に近づくほど環境が変わる。道を知らないと迷う」

「……一緒に来てもらえますか」

キリークが言った。

ミラは顔を伏せた。

「覚悟が決まらないなら来るな」

ガルが短く言った。

「迷うようなやつを連れていく気はない」

吐き捨てるようなガルの言葉に、ミラとキリークの視線が向かう。

ミラはガルをじろりと見た。

それから、余裕のある笑みを浮かべた。

「あなたがガルね。中々凄腕だと評判らしいじゃない」

「7年剣を置いてたんだろ?」

「ガル!」

キリークが割り込んだ。

「ミラさん、ごめんなさい。私、そんなつもりじゃあ……」

「キリーク」

キリークはミラを見た。

声は穏やかだった。しかしその目は、真剣だった。

「7年前、アシュヴィンに負けた」

「……」

「13歳の子供に、手も足も出なかった。それが怖くて、私は剣を置いた。戦士を辞めた。ここまで逃げてきた」

「ミラさん……」

「でも、あんたはまだ立ち向かってる」

ミラはキリークを見た。

「アシュヴィンに剣を折られて、それでも新しい剣を持って旅を続けてる。弟のために、神々の遺跡まで乗り込もうとしてる」

キリークは答えなかった。

「私が逃げたあの日から、ずっと引っかかってた。あの子はまだ13歳だった。何かがおかしかった。でも怖くて、見ようとしなかった」

過去の呪縛を振り払うように、ミラは真っ直ぐにキリークを見据えた。

「もう逃げるのはやめたの。あんたが逃げないなら、私も逃げない」

キリークは無言で視線を逸らした。

勇敢なわけではない。

ただ、立ち止まれば、マイトレーヤの顔が浮かんでしまうから、無理矢理に足を動かしているだけだ。


ミラは立ち上がり、棚の奥から布に包まれた古い武器を引っ張り出した。

重い音がした。

布を解くと、傷だらけの剣が現れる。

「白銀峰までの道も知ってる。荒野の魔物の癖もね」

キリークは止めようとした。

しかしミラの顔を見て、言葉を飲み込む。

笑っていた。

あの頃と同じ、姉御らしい笑顔だった。

しかし今度は、その奥に確かな覚悟があった。


短い沈黙の後。

ガルが煙草の煙を吐いた。

「それで」

全員の視線が向く。

「実力はどうなんだ」

キリークが眉をひそめる。

「ガル!」

「白銀峰は遊びに行く場所じゃない」

ガルはミラを見る。

「覚悟の話は聞いた。だが、足手まといは要らない」

ミラは数秒だけガルを見返した。

それから肩を竦める。

「あんた、思ったより嫌な男だね」

「よく言われる」

「でもまぁ、傭兵ならそれぐらいでちょうどいいわね」

呆れたように息を吐きつつも、彼女の顔には頼もしい余裕が戻っていた。

「安心しな。じいさん一人守るぐらいなら、まだできる」

そう言って、隣のアーシャの肩を叩いた。

「私がじいさんのお守りをしてやるから、あんたはキリークを守りな」

「わしを介護老人扱いするな!!」

アーシャが古文書から顔を上げて怒鳴った。

「それに! わしはさっきから一人で作業しておったのに、なぜ急に肩を……」

ミラがにっこり笑った。

アーシャの口が閉じた。

鼻の下が、かすかに伸びた。

「……まあ、その、案内役として同行するのはやぶさかではないが」

キリークは天を仰いだ。


「……荷物は自分で持て」

それが、ガルなりの了承だった。

「当然でしょ。あんたたちに運ばせる気なんてないわ」

キリークとガルは、揃ってアーシャを見た。

当の本人は古文書を読んでいた。

「出発は明後日にしましょう。雪山用の装備が必要だから」

「仕切るのが早い」

「慣れてるからね」

ミラはそう言って、また果物の籠を手に取った。

「今夜はここに泊まりなさい。ご飯ぐらい作ってあげるわよ」

「……ありがとうございます」

「だから、あんたが礼を言うことじゃないって」


窓の外、港の灯りが揺れていた。

あの日、必死に抜け出そうとした場所に、今は仲間と一緒に立っている。

同じ場所なのに、見える景色が違う気がした。

少しだけ、前に進めた気がした。


明後日、一行は荒野へ出る。

その先の白銀峰に、火の神がいる。

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