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サンシャーラ神話物語 -金色の戦士-  作者: 宝田旗子
3章 理不尽(生贄の村編)
13/21

-金色の戦士- 第10話 正論

『サンシャーラ神話物語』

正論


宿場の夕食は、思ったより悪くなかった。

麦のスープに、固めのパン。

干し肉を炒めたものが小皿に添えられている。

旅の途中に立ち寄る辺境の村にしては、十分すぎるほどだ。

ガルはそれを黙々と平らげていた。

パンをスープに浸し、干し肉を噛み、水で流し込む。

感情の読めない顔で、ただ食事をこなしている。

向かいに座るキリークは、スープに口もつけていなかった。


「冷めるぞ」

ガルが言った。

「……分かってる」

「分かってるなら食え」

キリークは答えなかった。

テーブルの木目を見つめたまま、指先でパンの端をちぎっては戻す、を繰り返している。

頭の中で、エルザの声が繰り返されていた。

——私が行けば、みんなが助かるから。

あの笑顔が。震えていた手が。

「……ガル」

「なんだ」

「助けるべきだと思う」

ガルはスープの最後の一口を飲み干し、椀を静かにテーブルへ置いた。

「やめとけ」

「——っ」

「感情で動く前に整理しろ」

ガルは指を一本立てた。

「お前の目的は何だ」

「マイトレーヤを探すこと。分かってる」

「分かってるなら話は早い」

二本目の指が立つ。

「この村の生贄問題は、この村の問題だ。俺たちが首を突っ込む義理はない」

「義理の話をしてるんじゃない」

「じゃあ何の話だ」

キリークは口を開きかけて、止まった。

反論の言葉を探す彼女へ、ガルは畳み掛けず、ただ静かに言葉を継いだ。

「魔獣の強さも数も、まだ把握できていない。万が一お前が死んだら、弟を探す者がいなくなる。万が一俺が死んだら——」

「あなたはそう簡単には死なないでしょう」

キリークはガルの横顔をまっすぐに見つめ、静かに息を吐き出すように言った。

「少なくとも私より長生きしそうだけど」

「買いかぶるな」

ガルは煙草を取り出し、火をつけた。

「命を賭ける価値があるかどうかは、別の話だ。正義感と無謀は違う」

部屋に煙草の煙が漂う。

キリークはテーブルの木目を見つめたまま、唇を引き結んでいた。

反論できない。

それが余計に、胸の奥を焦がした。


「——エルザはまだ14歳よ」

しばらくの沈黙の後、キリークは静かに言った。

ガルは煙草を指に挟んだまま、こちらを見た。

「知ってる」

「マイトレーヤと4つしか違わない」

「……」

「村の人たちは悪人じゃない。帝国に属州にされて、助けも呼べなくて、それでも生き延びようとしてる。誰も望んでこうなったわけじゃない」

キリークの声は、怒鳴っていなかった。

静かだった。

だからこそ、言葉の一つ一つに重さがあった。

「今夜、このまま私たちが眠ったら——エルザが死ぬ。それは確実なの」

「ああ」

「それでも、関係ないと言えるの?」

ガルは煙草の煙をゆっくりと吐き出した。

「言える」

キリークの目が、わずかに細くなった。

「冷たいわね」

「現実的と言え」

「同じことでしょう」

「違う」

ガルは煙草を灰皿に押しつけた。

「感情で動いて死んだ奴を、俺は何人か知ってる。全部助けようとした奴から先に死ぬ。世の中の理不尽を全部相手にしてたら、身が持たねぇ」

それだけ言って、ガルは口を閉じた。

それ以上は、語らなかった。

語る気もないのだろう、とキリークには分かった。

彼の言葉の端に、何か——経験の重さのようなものを感じたが、追及する気にはなれなかった。

「だから見捨てろというの」

「捨てるも何も、俺たちが最初から関わっていない」

「屁理屈だわ」

「合理性と言え」

キリークは視線を落とした。

ガルの言葉は正しい。

だからこそ腹が立つ。

やがて椅子を引いて立ち上がった。

「ガルの言ってることは正しいと思う」

「なら——」

「正しいけど、納得できない」

ガルは黙った。

キリークは窓の外へ目を向けた。


夕闇が村を包み始めている。

遠く、北の森の稜線が黒く浮かび上がっていた。

その深い闇から目を逸らさず、彼女は凛とした声で告げた。

「正論と、正しいことは、違う。私は戦士だから戦える。エルザは戦えない。それだけのことよ」

「——それだけのことで命を賭けるのか」

「そうよ」

間髪入れずに答えた。

ガルはしばらく無言だった。

何かを測るような目だった。

やがて、短く息をついた。

「……好きにしろ」

「協力してくれるの?」

「そうは言ってない」

ガルは立ち上がり、自分の荷物へ手を伸ばした。

「お前が何をするかは、お前が決めることだ。俺はそれを止める義理もない」

「……」

「ただ」

荷物を整えながら、ガルは付け加えた。

「死ぬな。それだけだ。お前が死んだら、弟を探す旅が終わる」

それだけ言うと、ガルは自分の寝床へ横になり、こちらへ背を向けた。

会話は、終わった。


夜が、深くなった。

ガルの寝息が聞こえている。

傭兵らしく、横になった途端に眠れる男だ。

キリークは眠れなかった。

毛布を被ったまま天井を見上げ、目だけが冴えている。

窓の外から虫の声が聞こえた。

どこかで風が木の葉を揺らす音がした。

静かな夜だった。


——今頃、エルザは何を考えているのだろう。

村長の家の一室で、白い儀式用のローブを前にして、眠れずにいるのだろうか。

怖いと泣いているのだろうか。

それとも、あの気丈な笑顔のまま、覚悟を決めようとしているのだろうか。

14歳の少女が、今夜の死を受け入れようとしている。

キリークはゆっくりと目を閉じた。

瞼の裏に、マイトレーヤの顔が浮かんだ。

川べりで魚を抱えて笑う弟。

「お姉ちゃんを守ってあげる」と言った弟。出発の朝、腰にしがみついてきた弟。

もしもマイトレーヤが、エルザと同じ場所に立たされていたら。

答えるまでもなかった。

胸を締め付ける痛みに急かされるように、キリークはゆっくりと身を起こした。


窓の外、夜空に満月が昇り始めていた。

青白い光が、北の森の稜線を縁取っている。美しいと思う余裕は、今は持てなかった。

森は、黙っていた。

静かで、深く、暗い。

あの森の奥に、今夜の生贄を待つ魔獣がいる。

キリークは窓枠に手をかけ、満月を見上げた。

ガルの言葉は正しかった。

合理的で、論理的で、反論できる部分がなかった。

それでも。

「——放っておけるわけ、ないでしょう」

呟きは、誰にも届かなかった。

虫の声が、静かに答えた。


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