35.約束の末
朝日が昇ると同時に、即行動を開始した。
草木を掻き分け、深い森の中を歩き続ける。ゆけどもゆけども大樹の群れ。少し霧ばった空気が薄着の肌を冷やしてくる。
背後から聞こえる小さな吐息と、枯れ草を踏み躙る軽い足音がせっせと着いてくる。
「はぁ……はぁ……ちょっと待って……歩くの速いよ」
ユウの後を着いてきていたアルテシアが疲れた顔で言った。
アーティファクトを失ったイライラは収まらず、ユウの足取りを速めていた。
「おせえぞ、早く歩け」
ぶっきらぼうに突き放す。
ユウは彼女を王都まで連れ帰るつもりでいた。元は厄介事などごめんだと、彼女をここに置き去りにする予定だった。だが手首に刻まれたミーティアの紋様が気にかかる。これが何なのか分からないまま彼女をここへ置き去りにするのは得策じゃない。それにもしかすれば腕輪を元に戻す方法が見つかるかもしれない。
「もう……乙女の扱いがなってないね君。そんなんじゃモテないよ」
「大きなお世話だ」
「はぁ……ねえ、少し休も?このペースじゃ持たないよ、私が」
「ちっ」
舌打ちしたものの、このままへばられても困る。
ユウは仕方なく近くにあった岩場の影に腰を下ろし、休息をとることにした。
ユウはガサゴソと鞄の中から取り出したボトルの蓋を開け、翳した手から魔術によって生成した水を注いでいく。
小さな水粒がぽとぽととボトルに溜まっていく。
その様子を覗き込んだアルテシアが、
「へ〜便利だね魔術って」
と感心した顔を見せた。
現在ユウの体内に残存するマナの総量は、凡そ30パーセント程度。これだけあれば、このレベルの魔術何千回だって行使できる。
先日のドラゴンとの戦闘によって、体内マナの殆どを消費したわけだが、一晩でここまで回復することができた。
生物が枯渇したマナを回復する手段は基本的に休息以外にない。体内に徐々に湧き上がるマナと、体外から吸収される微弱なマナ。それらが合わさり、体内のマナが回復されるメカニズムだ。
しかしユウの場合は少し特殊だった。
体内マナの凡そ3パーセントを下回ると、疲労感や倦怠感が現れ始めるが、ユウの天恵によってその疲労や衰弱は打ち消される。体外から取り込まれたマナがユウの体内マナを一定以上に保とうとするのだ。そのため実質的にユウにはマナの枯渇自体が起こりえない。
とはいえそれで全快するわけではなし、元々のマナ総量が多いぶん全快には相当な時間がかかるようだった。
「ふぅ〜生き返る〜」
ボトルの水に口をつけて、アルテシアが大袈裟にリアクションをとる。
それを横目に見たユウが、溜息をついて言った。
「おい、そろそろ行くぞ」
「……」
彼女はあからさまに無視をした。
「おい、聞いてんのか」
「ふん。オイとかソイとか、私には名前がありますから」
「ああ?」
「ああでもありません。名前で呼んでくれるまで動かないからね」
「っ、こいつ……」
彼女の態度に苛立ちはするものの、こんなくだらないことでモタツクのも嫌だ。
ユウは彼女の名前を呼ぼうと口を開いた。しかし、肝心の名前が出てこない。
「あ〜その、名前、なんだっけ?」
その瞬間彼女は信じられないものを見た顔をする。
「ひっどい!?忘れたの……!?」
「お、お前だって、自分のこともろくに思い出せないくせに……」
あの時はこの少女とはあの場で別れる予定だったし、名前なんてどうだってよかった。
彼女はむくれた顔でそっぽ向いて言う。
「……アルテ。そう呼んで」
「アルテ?そんなだったか?」
「そんなで悪かったですね」
「んじゃアルテ、さっさと行くぞ」
「……」
しかし彼女の様子がまだおかしい。
「ん?どした?」
「も、もっかい呼んで?」
そっぽ向いたまま、照れくさそうに言う。
「はあ?」
「あはっ、人に名前を呼ばれるのってなんだか新鮮……」
さっきまでむくれてたくせに、今ではわかりやすく口元を緩めていた。
なんだこいつ、とユウは眉間に皺を寄せる。
「行かないなら置いてくからな」
「ああっ、待ってよ!」
背を向けたユウの後ろに慌ててアルテが引っ付いてくる。
再び山道を歩き始めた。
「ねえねえユウ君」
「んだよ」
「ところでなんだけど、今ってどこに向かってるの?」
思わずズッコケそうになる。
「はあ?それも理解せず着いてきてんのか……?」
「だって教えて貰ってないし。言ってくれなきゃわかりませーん」
「ゲートだよ。迷宮ゲート。俺達はいま迷宮内に閉じ込められてんだんよ」
「ゲート?迷宮?」
「はあ、もういい。とにかくこの森から抜け出すにはゲートっつう白いモヤみたいなのを探す必要があるってことだ」
「白いモヤ……」
「はっ、急いだ方がいいぞ?俺は平気だが、お前はいずれ食うもん無くて餓死するかもな」
ユウが軽く脅すつもりで言ったその時、
「ねえ……そのゲートってさ、あれのこと?」
「あ?」
彼女が指さすのその先には、木々の奥の合間に白い靄が渦巻いていた。
それは紛れもなく、ゲートだった。
「まじ、か……」
しかしおかしい。さっき見た時は無かった気がするのに。まさか、今現れたのだろうか。ということは、今目の前で消えたって不思議じゃない。
「おい、行くぞ!ゲートが消える前に」
「えっ、せっかく見つけてあげたのにお礼もないの?」
「いいから早く」
二人は慌てて走り出し、その靄の前で立ち止まった。
始めて見るゲートを前に、アルテが隣で息を呑んだ。
「なんだか、ちょっと怖いね」
するとユウは構わず彼女の手を握った。
「へっ!?な、なに!?」
ユウの突然の行動にアルテの頬がちょっぴり染る。
「なにって、こうしなきゃ別の場所に飛ばされるかもしれないだろ」
「え、ああ、そ、そう……なんだ」
このゲートを潜ればおそらく遺跡の迷宮に戻ることになるとユウは考えていた。入ってみなければどうなるかはわからないが、来た時と同様に無作為な場所へ飛ばされる可能性は高い。手を繋いでおいた方が安全は確かだ。
「うし、いくぞ」
「えっ、あ、ちょっとま」
アルテの手を引っ張り、ユウはゲートへ飛び込んだ。
*
迷宮探索の傭兵募集が行われてからふた月が経つ。集まった傭兵の数は全七十六名。依頼主の意向により依頼受注時の階級制限は設けられなかった。これにより集まった傭兵は経験豊富なベテランから駆け出しの命知らずまで、幅広い実力の者が集まることとなった。
故に起こった悲劇であると、王都フェルマニスのあちこちで噂されている。
迷宮の危険度を示す迷宮難度は推定S級。迷宮から無事帰還したものは七十六名中の四十一名。その他三十五名の傭兵が行方不明、死亡したと報告されている。
迷宮からの帰還後、ギルドの酒場でやけ酒に浸る男がいた。A級傭兵のオルドラゴであった。
迷宮内で負傷、呪毒により一時は生死の境を彷徨った。しかし偶然居合わせた傭兵の解毒薬により一命を取りとめ、仲間の助けもあって無事に帰還し今に至る。
彼はビールの入った木製ジョッキをバンとテーブルに打ち付け、真っ赤な顔で苛立ちを顕にした。
周囲のヒソヒソ声と嫌気のさす視線にうんざりして睨み返すと、誰もが身を竦めて目を逸らす。
「ちっ……」
舌打ちを鳴らしたところで、彼に声を掛けた女がいた。
マキナだ。
「ちょっとオルドラゴ、あんたまた酒飲んでんの?ちょっとは体を休めなさいって言ったでしょ。まだ万全じゃないんだから」
「うるせえ……ほっとけ」
「なっ……」
ぶっきらぼうな彼の態度に腹を立て、マキナは腰に両手をあてて憤慨した。
叱りつけてやろうと彼女が腹に力を込めた時、彼女の肩をポンと誰かが叩いた。
振り返るとカインがそこにいた。
「やめとけよマキナ……こいつ女に振られてヤケになってんのさ」
カインが苦笑する。
「女……?てもしかして、あのマレって子?」
「そうそう。ありゃ可愛かったもんな〜気持ちはわかるぜオルド」
「うっ、うるせえっ!!」
冷やかすカインにオルドが真っ赤な顔で叫ぶ。
しかし再び失恋の痛みを思い出しオルドは机に縮こまった。
目が覚めた時、オルドラゴは王都の診療所のベッドにいた。カイン達から話を聞く限りだと、どうやら魔物の呪毒にやられ死ぬ寸前だったとか。しかし偶然にも居合わせた傭兵、マレとユウの所持していた解毒薬で命を救われたらしい。
運命だと思った。好意を寄せていた彼女が、まさか自分の命の恩人とは。その事実だけで、オルドラゴは短絡的に彼女への告白を急いだ。
しかし、現実はそう甘くは無い。
首を横に振る彼女。それでも諦めきれないオルドは、せめてパーティーへの加入くらいはと彼女へ迫った。しかし、
『私はユウさんとパーティーを組んでいますから』
その一点張りで、彼女は頑なに首を縦には振らなかった。
彼女の心にはユウという一人の傭兵の存在が強く焼き付いている様子だった。
だから、言ってしまった。
「あんな奴放っておけ」と、「あいつは死んだんだ」とも言ったし、「いくら待ったって無駄だ」とも言った。
迷宮から彼女やオルドラゴ達が帰還して、はや一週間になる。それだけの期間なんの音沙汰も無いのだから、死んだに決まってる。たった一人で、あの過酷な環境下で生き延びられるはずが無い。きっとカインやマキナだってそう思ってるはずた。
けれど彼女は泣いた。オルドラゴの言い放ったその言葉で。
儚く美しく涙を零し、走り去る彼女の姿が忘れられない。
「マレちゃん……」
小さく呟いた彼の声は、酒場の喧騒に呑まれて消えた。
そんな頃――マレは馬を走らせてひとり、野山を猛スピードで駆け抜けていた。
オルドラゴに話を聞いて、すぐに街を飛び出した。厩舎で銀貨を積んで馬を借り、ペレリス領の山間地帯を目指す。
ウェーブの掛かった桜色の髪がなびき、頭の上のリボンが風で暴れる。馬の蹄がリズム良く地を鳴らし土を蹴り上げた。
村にいた頃はよく馬に乗っていたし、扱いは心得ていた。
行きは馬車で二日掛かったが、今回は馬での一人乗り。飛ばせば一日で辿り着けるはずだ。
呪毒の影響で意識が戻るのに四日、まともに動けるようになるまでは二日掛かった。それだけの期間、彼をあの迷宮で独りにしてしまった。早く彼の元へ向かわなければ。
きっと彼は今頃、迷宮内で動けないに違いない。毒か怪我か、あるいはトラップか。約一週間も迷宮から脱出できてないのだからきっとそうだ。
あの時、自分が毒で動けなかったせいで。
――私のせいだ……。
滲んだ涙が風で置き去りにされてゆく。
自分や他の傭兵達を逃がすため、命を懸けて魔物の群れに立ち向かった彼の背が、記憶に焼き付いて離れない。
「ユウさん……」
きっと生きている。マレはそう信じていた。
いや、信じたいのだった。頭の奥にこびりつく猛烈な不安に目を瞑り、ただ彼を想う一心だけで突き進む。
野道を進み、森を抜け、峠を越えてようやくペレリス領山間部へと辿り着いた。
既に夜は明け、周囲は朝焼けに包まれている。
馬の速度を落としゆっくりと進む。
確かこの辺りだったはず。
すると少し離れたところ、山間部の奥地に設営された野営地が見えた。オズマン伯爵に使わされた哨戒兵数人が作業をしている。
ようやく人気を見つけてホッとしたのも束の間、野営地に近づいた途端にマレの背筋は冷えた。
「なに、これ……どうなって……」
兵士達は野営地のテントを解体していた。まるでこの野営地を撤収しているみたいだ。
ゾッとしてマレが視線を移すと、そこにゲートは無かった。
「うそ……そんな……」
ついこの間まではあったはずのゲートが無い。まるで最初からそこには何も無かったかの様に、澄んだ空気だけが鎮座する。
馬から降りて、震える手で手網を握り覚束無い足取りで野営地に近づいた。
すると手前の兵士がマレに気がついたようで声を掛けてきた。
「君、こんなところで一体なにを……ん、君は……」
マレは飛び付くように慌てて兵士に詰め寄った。
「あ、あのっ、迷宮は……ゲートどうなったんですか!?」
「すまないがもう迷宮探索の依頼は打ち切らせてもらったよ。丁度昨日、ゲートが閉じてしまったんだ」
「ゲートが、閉じた……?」
「ああ、なんの前触れもなく突然ね。だからもう」
「仲間がっ……ユウさんがまだ迷宮から戻ってないんです……!」
必死なマレの様子を見て、その兵士は何かを察した様子で言った。
「そうか……しかしもうゲートはどこにもない。まだ中にいたのだとしたらおそらく……」
「く、く……黒髪の……男性です、歳は私と同じくらいで……背丈はこのくらいっ、い、一週間前です……私と彼が一緒に迷宮に入って、私は怪我をして、それでっ」
「お、落ち着いて……」
「か、彼を見ませんでしたか……!?もしかしたら入れ違いなのかも!め、迷宮から出てきた人でユウって名前の」
「残念だが、そのような人物に心当たりはない……」
「……ぇ」
「君のことは覚えている。確か魔物の毒にやられて担がれて来た子だろう。覚えていないかもしれないが、君はここでも一度治療を受けたんだ」
「そ、」
「ハッキリ言おう。あのあと迷宮から抜け出してきた傭兵は一人もいない。生還者は、君達が最後だった」
兵士にしがみついていた手がゆっくりと離れ落ちる。
まるでその言葉だけしかこの世に存在しないみたいに、頭の中でくるくると回っている。
放心状態のマレを哀れんだのか、兵士は彼女の肩に優しく手を掛けた。
「君の仲間のことは残念に思うが、今は自分がここに生き残った女神の奇跡に感謝すべきだろう。近くの街まで送ろう。この森にも魔獣は出る。君一人では」
そこから先、兵士の言葉はすっかり入ってこなかった。
あのあと、結局彼らとどのように話をつけたのか良く覚えていないが、今ではテントも物資も片付けられ、あの野営地は跡形も無い。
判然としない意識のまま、マレは木の影に座り込み、森の風を感じながらただ時を待った。
そこにはもう、マレ独りしかいない。
「ユウさん……」
呟いた声が木々のざわめきに呑まれる。
膨らんだ涙が頬を伝う。
『人は死ぬ』ということをマレは知っている。彼女の両親は死に、親しかった友人は死に、お隣のパメラおばさんも死んだ。
誰か身近な人間が死ぬ度に、彼女は自分を責める悪癖があった。誰のせいでもないことを、誰かのせいにしたくなる。けれど誰を責める勇気もなくて、結局は自分の責に帰結する。
私が傷を負ったからだ。私が足を引っ張ったから。私がもっと強ければ。そもそも迷宮探索なんてしなければこんなことには。私がもっと彼を止めてれば。
私が、関わらなければ。
――結局、私はあの頃と何も変わってない……。
マレは頭の上で風に揺られるリボンを外し、手に取った。
年季の入った白いリボンが所々解れている。
これをこう結べば、兎の耳みたい。
これを着けていれば、ママみたいに強くなれる。そんな気がした。
ただの一度だって、そんなことはなかった。
「うっ……うぅ…………っ…………」
溢れて止まらなくなった涙が、手のひらのリボンを濡らしていく。
「っ……ゆぅ……さんっ…………」
あの日彼と交わした約束が今も胸の奥に刻まれてる気がする。彼の笑顔、優しさ、手の温もりまでもが、この胸の中にある。
「約束っ……したのにっ……」
彼女はいつだって、失って初めて気がつく。
自分の気持ち。本当に大切なもの。
「ひとりにっ……しないで…………」
掠れた声が虚しく鳴ったとき、へたり込む彼女の膝元に誰かの靴が近づいた。
雑草を踏む微かな足音が目の前で止まる。
その気配に無意識につられたマレは、涙でぐずぐすの顔をゆっくりと上げた。
目が合った。
「ゆ、ゆう……さん?」
涙でぼやけた視界の中に、はっきりと彼は存在した。
「な、何してんの……マレ……」
彼はそこに立ち、惚けた面でこちらを見下ろしていた。




