34.喪失せしアルテシア
その世界にも夜は訪れた。
夜の闇に包まれる大樹の森。その中を蛍のように飛び回る光粒の群れが、深淵を幻想的に彩っていた。
鈴の音のような虫の声。そしてどこからか梟のような怪しげな鳴き声が聞こえてくる。
目の前で燃える焚き火がぱちぱちと弾け、暖かい炎が倒木の丸太に寄りかかるユウの身体をゆらゆら照らしていた。
その身に纏うのは鞄の奥に押し込んでいた予備の旅服。
連戦に次ぐ連戦で、元着ていた旅服はボロ雑巾より酷い物に成り果てたので捨てた。王都を出る前日、着替えなんて荷物になるから要らないだろと散々マレと言い合ったが、あの時彼女の押しに負けて替えの服を持ってきておいて本当に良かったと心底思う。
隣で布の擦れる音がした。
「ん…………」
ユウのすぐ側で、硬い地面に横になり眠っていた少女が小さく呻いた。
素っ裸だった彼女の上には薄い毛布が掛けられている。目のやり場に困ったユウの、せめてもの情けであった。
結晶漬けにされていたとは到底思えない、艶やかで美しいプラチナブロンドのロングヘアが、焚き火の光に当てられて淡く光って見える。
その煌びやかな髪が一際目を引くので、ユウの手は無意識にそれに伸びた。
絹のようにきめ細かく、驚く程にサラサラと指の間をすり抜ける。
――この女は一体……。
そう思ったところで、彼女の瞼がピクっと動いた。
ユウは慌てて彼女の髪から手を離す。
すると、彼女はゆっくりと目を開けて覚醒した。
徐な動作で身体を起こした彼女が、ゆっくりとこっちを見やる。
目が合った。
ブレることなくこちらを捉える、星を閉じ込めたようなスカイブルーの瞳。それはまるで闇夜に浮かび上がる星明かりのよう。
思わず息を呑むほど整い過ぎている彼女の顔立ちは、幼くも見えるし大人びても見える。しかし誰もが思うだろう。絶世の美少女だと。
この世の全ての美愛を集めたような存在。彼女がそうだった。
何をどうしたら、これほどの美少女がこの世に生まれ落ちるのか。神が本当に存在するというのなら、紛れもなくその手によって作られた存在に違いなかった。
少女は惚けた顔で言った。
「ここは……」
心を撫でられる様な綺麗な声。
それと同時に、体に掛かっていた毛布がずり落ちる。
ユウは大層気まずい顔で視線を逸らした。
そんなユウの様子に気づいた彼女は、徐に自分の身体を見下ろして二秒くらい固まったあと、
「ひゃあっ……!?」
膝元に垂れ下がった毛布を慌ててたくし上げた。
赤らむ頬が、潤んだ瞳が、見る者の心を惑わせる。それほどの美貌だった。
乱れそうな思考をユウは首を振るって振り払う。
彼女が言った。
「君……だれ?」
耳に残る綺麗な声。
「それはこっちのセリフだ。お前は何者なんだ。なぜあんな場所に囚われていた」
「囚われる?」
「結晶漬けにされてたろ。それもドラゴンの守護付きで」
「ああ〜……そーだったんだ」
「そうだったって……知らなかったのか?」
「知らなかったって言うか、なんか動けなくて苦しいな〜って思ってた、気がする」
「気がする?」
「だって、殆ど意識なんて無かったんだもん」
彼女はこの見た目に反して、意外と間延びするような軽い口調で喋る。
掴めない奴だ、とユウは思う。
「でも、君が助けてくれたんだよね。それだけは何となくわかるわ」
「別に、助けたわけじゃ」
「暗くて……寒かった」
突然彼女は神妙な面持ちで語った。
「真っ暗で何も見えない夢の中にいるようだった……私はそこでずうっと一人ぼっちで、本当に心細くて……ああ私、この暗闇から永遠に出られないのかな……なんて思ったこともあったかも。そこにいるだけで、自分が自分でなくなっていく様な……」
その言葉には重く深い哀しみが滲んでいた。
「だからね…………本当に、ありがとうっ……」
彼女は瞳を潤ませ、どこか感情を堪えたように泣き笑った。
「あはは……ごめん、なんか涙出ちゃった……」
彼女は恥ずかしそうに瞼を擦った。
そんな少女の姿を見て、ユウは思う。彼女は一体、どれほどの時間をあの結晶の中で過ごしたのだろう。もし自分だったらと考えると、きっと半月とて持たない気がする。
しかしユウは慌てて首を振って思考を掻き戻す。
――何を同情しようとしてんだ俺は……こんな見ず知らずの女に……。
「はぁ……それで、結局お前は何者なんだ?」
「なにもの……?」
「わかんねえのか?名前は?」
「なまえ……」
彼女は惚けた顔で首を捻る。
まさか、覚えてないとでも言うのだろうか。
すると、
「アルテシア……そう呼ばれてた気がする……」
「また気がするかよ」
「ごめん、あんまり思い出せないや」
「歳は?いくつなんだ」
「ん〜覚えてないけど、多分君よりは年上かな」
「何でそう言い切れる」
「なんとなく?だって君よりはお姉さんって感じするでしょ?」
彼女は人差し指をたてて笑った。
「はぁ……他は?何か思い出せることは無いのか」
「ん〜……特には」
「自分が何者で、何で結晶に入ってたのか、ここがどこなのかもわからない?」
「うん、そうみたい」
彼女は澄まし顔で言った。
ユウは肩をがくっと落とす。
「はぁ……あんだけ散々苦労したのに、宝は目の前で消えるわ、帰り道はわからんわ……ほんと最悪だぜ」
「たから?」
ついさっきまで、ユウは億万長者だった。
少女が封じ込められていた黄金色の結晶石は、きっと高く売れたに違いない。けれど結晶は砕け散った。そして砕け散って地面に転がった破片達は見る間に光の粒となって蒸発し、消え失せた。
ユウは裸の少女を抱えたまま、熱に当てられた氷の様に消えゆくお宝を目の前に、ただ呆然唖然と立ち尽くすしかなかった。
ショックなんてものじゃない。ここがどこかもわからぬ迷宮で、瀕死の思いでようやく見つけたお宝は目の前で消滅し、助け出した少女は記憶喪失で結局帰り道すら分からない。骨折り損のくたびれ儲けとはよく言ったものだ。実際骨を折るより酷い仕打ちを受けたわけだが。
「ねえねえ、君の名前」
「はあ?」
「はあじゃなくて、まだ聞いてないよ。人に名前を聞いておいて、自分は名乗らないつもり?」
「ちっ……ユウだ」
「ちっユウくんて言うんだへえ〜」
「お前……バカにしてんのか」
「あっはは、うそうそ!ユウ君だね、これからよろしく」
彼女は無邪気に笑った。
怒る気にもなれないで、ユウは心底深い溜息を吐き出した。
「これからって……お前とはここでお別れだ。じゃあな」
「おわかれって……ええ!?」
暗い森の中に少女の声が響く。
辺りは恐ろしいほど静かで、奇妙な鳥の鳴き声くらいしか聞こえてこない。
少女は周囲をキョロキョロと見渡したあと、怯えた顔で「あはは」と笑った。
「こ、こんな森の中にか弱い女の子をひとり残してどこかへ行こうなんて……さ、流石に嘘だよね」
「いいや本当だ。誠に残念ながら」
「なっ、なんで……!?」
「厄介事はごめんなんだよ。お前は見てないから知らないだろうけどな、結晶漬けになってたお前を守ってたのはクソクソクソクソ化け物みてえなドラゴンだったんだぞ。何回死にかけたと思ってんだ。お前を閉じ込めた奴はよっぽとお前を逃がしたく無かったんだろうよ。てことはそいつが、これから襲いかかってくる可能性あるだろ。たく、何やらかしたらああなんだよ」
「え、えぇ……そんなこと言われても覚えてないよう」
「てことで、俺はお前を置いていく。せめてもの情けでその毛布はくれてやるから、とっととどっか行け」
「うっわ……酷い!それでも男の子……!?」
「俺が女に見えっかよ!そうゆうの今の時代は男女差別って言うんだ知らなかったか」
少女はむくれて、毛布に潜る様に体に巻き付けた。
しかし何処へも行くつもりはないようだ。
「ねえ……せめて服か何かないの?私これでも乙女なんですけど」
「はぁ……」
流石にこのまま追い出すのは忍びない気がするので、ユウは仕方なく自分の着ていたシャツを脱いだ。
「ほれ、これでも着てろ。お前にしてやれる最後の施しだ」
「え、あ、ありがと……」
意外な顔をして少女がシャツを受け取る。
しかし、薄布の下着一枚になってしまったユウの姿を見て、彼女が首を傾げる。
「君……寒くないの?」
「だったら返せ」
「ああっうそうそ!ありがとね」
少女は毛布の中でもぞもぞしたあと、ユウのシャツを着て立ち上がった。
ちょっと大きめのダボッとしたシャツが、彼女の太もものギリギリのラインまで隠している。
「お〜意外とおっきいな……」
「んじゃどっか行ってくれ」
しかし少女は毛布を膝にかけて姿勢正しく座ったまま動こうとはしない。
ユウは呆れてため息をついて、倒木に背中を預けて目を瞑った。
沈黙が続く。
「ねえ」
沈黙を彼女の声が遮った。
「……なんだ」
「君はさ、何で私を助けてくれたの?私にどっか行けって言う割には優しいし。そもそも私を置いて一人でどっか行っちゃえばいい話なのに。もしかして……女の子に甘いタイプ?」
「バカ言うな。お前なんか助けた覚えはねえ。欲しかった宝石にお前がひっついて来たんだ。それにこの暗闇の中で森を彷徨くのはリスクが高いんだよ」
この森で戦ったのは鎧の騎士とドラゴンだけだが、いずれもユウが死の寸前まで追いやられるほどの強敵だった。あんなのがまだ他に潜んでない保証は無い。
「心配しなくても朝になったらお前なんて置いて一人で出口を探すさ」
「ふ〜ん」
彼女は別になんてことないって顔で相槌する。
やっぱり掴めない。
ユウは諦めて再び目を閉じた。
するとすぐ隣に気配が。
目を開けると、彼女はいつの間にかユウの隣に陣取っていた。
「なっ、なんだよ……!」
「あはっ、おはようございま〜す」
思わず顔を引き攣り仰け反るユウと、対処的にニコニコ笑っている少女。
「離れろっ……何のつもりだ……!」
「何って、このままじゃ寒いじゃない?ほらこんな薄着だし、ユウ君だって寒いでしょ?」
意味がわからない。ほぼ初対面にもかかわらずこの距離感と無防備さ。ユウには彼女が本当に理解し難い生き物に思える。
「ほら、毛布半分こ……する?」
彼女は実にあざとく、毛布の端を摘んで言った。
ユウの顔が更に引き攣る。
「ふざけるのも大概にしろ。俺をおちょくってんのか」
「え……そんな、別にそういうつもりじゃ……」
「じゃあどういうつもりだ」
「君が服、貸してくれたから……お返し、と思って……」
彼女の語尾がしりすぼむ。
「やっぱり迷惑……だよね。ごめんね……何だか人と話すのってすっごく久しぶりに感じたから……」
「……」
「私がいると君が危険な目にあうかもだもんね……あはは……なんかはしゃいじゃってバカだね私……」
彼女は次第に萎む様に元気を失い、悲しげな表情を浮かべた。
そんな彼女を前に、ユウは何だかバツが悪くて視線を逸らすしかなかった。
すると少女が毛布を落っことして立ち上がる。
「わ、私もう行こっかな……恩人の君に迷惑掛けたくないし……毛布、ありがと」
そう言って彼女は裸足のまま、ざらついた地面を歩き出す。
その背中を見つめたまま、ユウは物凄く溜め込んだ唸りを爆発させた。
「だあああっ!くそっ!勝手にしろ!その代わり!朝までだからな!朝になったら俺はお前を放って行くッ!いいな……!」
「……!」
振り返った少女のとびきりの笑顔が、焚き火に照らされて美しく煌めく。それを見て、ユウは自分がおかしくなってる気がした。
こんな女、突っぱねてしまえばいいのに。いつもそうだ。肝心なところで自分は情に流されてる気がする。
――朝までだ。絶対それ以降は関わらない。
飛びつくように、嬉しそうに再び隣に陣取る少女。
何でまた隣なんだよと思ったが、ユウは呆れて何も言えなかった。
「ふふっ……やっぱり君、優しいね」
「朝までだっつってんだろ。勘違いするなよ」
「は〜い」
彼女は右手を上げて適当に返事する。
ちっ、と心の中で舌打ちしつつ、ユウはまた目を閉じた。
彼女から感じられるマナは極端に弱い。マナを制御して抑えてるにしても弱すぎだ。多分寝てる間に襲われる心配も無さそうだ。警戒すべきは彼女を捕らえていた奴らの方だ。
ここまでほぼ寝ずに迷宮を彷徨い続けた。肉体的疲労は天恵によって回復しているが、精神的にかなり疲労してる気がする。せめて目を閉じて少し休みたい。
そう思っていたのだが、
「ねえねえユウくん、あの光の粒って何なのかな〜?」
「……」
「何だかお腹減っちゃったね。ねえ、何か食べるものってないの?」
「……」
「ひゃっ……なっ、今何か鳴き声しなかった!?」
「……、」
「ねえ……ねえってば」
「うるせぇえええっ!!」
我慢の限界が来て、ユウは目をかっぴらいて怒鳴りつけた。
少女は度肝を抜かれた顔で体を仰け反る。
「な、なに!?」
「なにじゃねえ!隣で騒がれちゃ休まらねんだよ!」
「だ、だって……ひとりじゃ怖いんだもん」
「知るか!寝ろ!」
「そんなこと言われても眠くな……あっ!」
今度はなんだと思ってみると、彼女の視線がユウの手に向かっていた。
「その腕輪……」
「あ……?腕輪?」
ユウの両手には迷宮で見つけた二輪の腕輪が嵌められていた。細身の黒鉄に金の紋様が刻まれている。
「何だか不思議な感じがする腕輪だね」
「……っ、わかるのか?迷宮の宝箱から見つけたんだ。俺の仲間の話だとアーティファクトかもしれないって。だが腕につけてみたけど何も起こらなかった」
「もしかして、両腕につけるものじゃないんじゃない?」
「ん?どういうことだ?」
「ちょっと貸してみて」
言われるままにユウは片方の腕輪、左腕に嵌めていた腕輪を外して彼女に手渡した。
すると彼女はその腕輪を自身の左腕に装着してこう言った。
「じゃ〜ん、お揃い……な〜んちゃっ……て……」
その瞬間、二人の腕に嵌められていた二つの腕輪が眩く光を放った。
余りの眩しさに二人の目が眩む。
そしてやがて光が消え去り、二人が目をゆっくりと開けたその時、なんと腕輪は消失し、代わりに腕輪に記されていた紋様が両者の手首にくっきりと黒く焼き付いていた。
思考が停止する。
脳が理解を拒んでいた。
手首を触って確認する。
しかし腕輪はどこにもない。
ふざけるな。
「うわぁああああッッ!!」
「きゃあああああ――――――!!」
「なんでお前が叫んでんだぁっ!!」
「驚かすからでしょおッ!!」
「どうしてくれんだてめぇ!!俺の腕輪どうなったんだよ……!!」
「し、しし知らないよっ!ピカっと光ってヒュってどっか行っちゃったんだもん……!」
「ふざけんじゃねえぞてめえ!!あれが一番金になる宝だったんだぞっ!!この黒い模様はなんなんだよ!!」
「わ、わかんないよっ……!」
ユウは膝を着いて崩れ落ちた。
消えた腕輪はどこへやら。戻ってくる気配はまるで無い。
あまりの落ち込みように、少女は心配になってユウの肩に触れた。
「だ、大丈夫……?なんか、ごめんね……こんなことになるなんて思ってなくて……」
「…………」
「あ、ああっでも!この黒い模様!なにか意味があるのかもよ?もしかしたら凄いパワーアップしてるとか、超能力に目覚めたりとか……!」
「…………おまえ、パワーアップしてるか?」
「わ、わたし……は、してない、かも……」
「おれもしてねえよ……」
ユウの放つズンと重い空気に少女は困り果てる。
何か彼を元気づける言葉ないかと思って、
「で、でもでも、この模様にはきっと何か凄い意味があるのかもよ?もしかしたら元の腕輪に戻すことだって出来るかもしれな」
それを聞いたユウは海から這い出た屍のような目つきで少女に掴み掛った。
「もし元に戻せなかったら……その時は……どうなるか……わかってるな……」
「ひっ……そ、そそそうだね…………そそその時はその、わ、私がべべ弁償いたします……」
ユウの呪いじみた圧が少女を背筋から震え上がらせた。
運命は思わぬ方向へと舵を切り始める。




