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33.とある一夜

『大河くん……』


 声が聞こえた。

 深い、底の見えない闇の中から、ひどく懐かしい声が呼びかけてくる。

 耳の奥に直接触れるような、柔らかく、それでいて逃げ場のない声だった。

 桐山が振り返るとそこには、何も無いはずの真っ暗な空間にぽつりと佇む、ひとりの少女の姿があった。


 彼女だ。

 あの頃と変わらない、あの制服姿。夜闇を映したような黒髪。穏やかで、どこまでも優しい瞳がまっすぐにこちらを見つめている。

 目を疑った。自分が遂におかしくなってしまったのだと思った。

 少女は依然として優しい瞳をこちらに向けて微笑んでいる。

 あり得ない。

 いるはずがない。

 頭では理解しているのに、胸の奥が勝手に名前を叫んでいた。


「すず、はる…………鈴春ッ、何で、何でお前がここに……!」


 桐山は酷く取り乱した。

 無理もない話だ。彼女がここにいる筈などない、そんなことは決して有り得ないことなのだ。


『大河くん』

「鈴春……っ」


 涙が滲み、少女の姿がぼやけて見える。

 だが確かに今彼女は目の前にいて、懐かしい匂いがして、あの優しい声と眼差しで自分の名前を呼んでいる。

 忘却した彼女との日々が、その笑顔が、そしてあの日の出来事が鮮明に思い出される。

 膨らんで消えた涙、誰かの叫び、身体中の痛み、血塗れの両手――。

 その全てが現実のように今も鮮明だった。


『大河くん』


 また、あの優しい声が響いた。


「鈴春っ……おれ」

『あなた、また人を殺したのね』


 心臓を鷲掴みにされた。

 酷く冷えきった声で、たったその一言だけで、桐山にとって最大の恐怖が呼び起こされた。

 吹き出す汗が止まらない。

 騒ぐ心臓の鼓動が止まらない。

 しかし口だけは凍りついたように固まって動かず、喉が無くなったみたいに声が出ない。

 何か、何か言わなければ。誤解を解くために。


「ち、ちがう……違う!俺は殺してなんか、俺は……俺はただ……!」

『ただ、何だよ』


 背後から別の声がした。

 振り返った瞬間、桐山の背筋は凍りついた。


「あ、雨宮……」


 そこには死んだはずの彼が虚ろな目をして立っていた。

 穴の空いたような不気味な表情で、生者ではあり得ない作り物めいた静けさを持って。


『桐山、何で置いて行ったんだよ』


 彼の声は次第に歪み、荒れていく。


『仲間だったろ。友達だったろ。それなのに、なんで……なんで俺を見捨てた』

「ち、ちがっ」

『見捨てたんだろォォォッ!!』


 彼は憎悪に満ちた声で叫び、嫌悪に溢れた目で桐山を睨みつける。

 その目に気圧され、桐山は後ずさる。


「ち、違う……そうじゃねぇ……!俺はお前を、お前達をッ」

『違わねえだろ……裏切ったんだから』


 違う、そうじゃない。裏切った訳じゃ無い。あの時ベルザムが星野を人質に取ったから、だから助けに行けなかったのだ。仕方が無かったのだ。

 説明しなければ。誤解を解かなければ。そうして桐山は口を開くが、


「――――ぁ」


 言葉が出てこない。

 どんな言い訳も心の奥で崩れ落ちていく。

 何を言ったところで、仲間だった彼を見捨てたことに変わりはない。信じていた彼を裏切り見殺しにしたのは紛れもなく他の誰でもなく、桐山大河なのだから。

 彼はどんな気持ちで死んで行ったのだろう。助けが来ると信じて、それでも最後の最後には見捨てられたのだと悟って、怒りと苦しみの中死んで行ったのだろうか。考えただけで猛烈な吐き気に襲われる。弁解の余地なんてない。

 耳の奥で誰かが叫んでいる。


『あんたのせいよ!あんたが殺したッ!!』


 この言葉には聞き覚えがある。ヒステリックに叫ぶ女性の声。


『お前が殺した……この人殺し!』


 頭の中から、誰かの声が聞こえてくる。脳内の奥にこびりついている。


『人殺し!』

『人殺しッ!!』


「やめてくれ……」


 耳を塞いで蹲る桐山を追い詰める様に、二人の少年少女が見下ろしている。

 そして聞きたくなかった、二人の暗く冷たい声だけが耳元で聞こえた。


『『この人殺し』』

「あ゛ぁあああああッ――――!!」


 布団を蹴飛ばし大声で飛び起きた。


「はぁっ、はぁっ」


 肩で息をし、滅茶苦茶に荒んだ呼吸を整える。心臓は暴れ回り、全身が汗でびしょ濡れで、まるで溺れていたかのようだった。

 やがて呼吸が整ってきて、少しずつ現実が戻ってくる。

 すぐ隣から雨音が聞こえている。

 視線をやると窓の外で夜雨が絶え間なく降り続いていた。

 水滴が幾つも張り付いた暗い窓ガラスに、自分の酷い面が映り込んでいる。

 徐に視線を落とすと両の手がぶるぶると震えている。


「くそっ」


 小さく吐き捨てるように桐山は呟いた。

 雨は嫌いだ。


 *


 夕方頃から降り始めた雨は次第に強まり、すっかり日が落ちた今でも地面を濡らし続けていた。

 夜空は淀んだ黒雲に覆われていて、時折雷が音も無しに小さく光っている。

 そんな中、止むことのない雨音を切り裂くように、鋭い風切り音が一定の間隔でなり続けていた。


「――っ、――っ」


 鋼の剣を真っ直ぐに振り下ろして空を斬る。再び振り上げては、同じルートをまた斬り裂く。素振りと呼ばれる鍛錬法のひとつだ。

 かれこれ二時間になるだろうか。一神光汰は訓練場の隅で、雨に打たれながらずっとこれを繰り返していた。

 言うまでもなく全身はずぶ濡れで、日本人にしては色素の抜けた茶金の髪が顔に張り付いている。

 ただそんなことお構い無しに、一心不乱に一神は剣を振り続けていた。


 今も頭の中に蔓延る靄は彼の事ばかり。

 いつだったか、彼は笑顔で一神に礼を言った。

 その時の表情を覚えている。忘れるはずなどなかった。


「――っ、――っ」


 剣は雨を斬り続けた。


『俺は光汰と仲良くなりたいと思ってるけど……』


 少し照れくさそうに彼は言っていた。

 その言葉に自分はなんと答えたのだったろうか。


「――ッ、――ッ」


 剣を握る手に力が入る。

 このままではダメだ。

 邪念を払うために、より一層力強く剣を振った。


「――ッ、――ッ、――はッ」


 息が上がって、吐く息に声が混じる。

 何て言った。自分は彼に何て言った。


『心配するなよ、ユウは僕が絶対に守るから。だって僕達は』


「くそおッ!!」


 力任せに叩き付けられた剣が地面を斬り裂いて突き刺さる。


「はぁっ……はぁっ……」


 肩で息をして、剣を握る手を見つめていた。

 そんな時、背後から気配を感じた。

 一神はゆっくり振り返る。


「愛風……」


 黒い傘を差した星野愛風が、どこか哀しそうな瞳でこちらを見つめていた。近頃では見慣れた表情だ。


「光汰、少し休んだら?」

「……もう少しだけ」

「でも」

「強くッ……!強くなりたいんだ……」


 力強い声で星野の言葉を遮ったことで、星野の身体がビクッと揺れる。

 何を言われるかなんて分かっている。自分がヤケになっているのも自覚している。それでも立ち止まりたくはなかった。それだけは。

 それでも星野の瞳は変わらず曇っていて、何か言いたげな表情をしている。

 申し訳ない、とそう思った。

 彼女が自分のことを気にかけて心配してくれていることは分かっているのに、彼女だって辛いのは同じだと分かっているのに、自分はいま生意気にもその優しさを突っぱねようとしている。

 それでも、


「僕は彼に、ユウに、守るって言ったんだ。そう約束したんだ」

「光汰……」

「ユウは友達で、仲間で、だから……僕が守るのは当たり前なんだ。当たり前だったんだ……」


 守るはずだった。

 約束した言葉に嘘は無かった。

 友はこの危険な世界であまりにも弱く、彼の助けとなる剣が、彼を守る盾が必要だった。そしてその役目を果たすのは自分であると勝手に思っていた。

 しかし現実は、


「守れなかった。あの場にいて、なんにも出来なかった……僕がもっと強ければ」

「ち、違うよ!光汰のせいじゃない!だってあれは私が……」


 星野は俯く。まるで自分のせいだとでも言いたげだ。きっと人質に取られた自分の責任だと思い詰めているのだろう。


「愛風は悪くない。あの時人質に取られたのが僕だったとしても、同じ結果になっていたはずだ。当然桐山や千代、アリスも同じだよ」

「…………」

「かと言って、ベルザムさんが悪い訳でもない。あの人の言っていたことは正しかった。僕らじゃあのドラゴンには到底適わなかったはずだから……」

「じゃあ……」


 じゃあ、一体誰が悪いのか。

 その答えは誰にも分からない。しかしひとつだけ分かることが一神にはあった。


「僕らには力が無かった。あのドラゴンを倒せるだけの、友達を守れるだけの力が……だから」


 だから、力がいる。どんな敵が来ても蹴散らして、大切な人達を守れるだけの力が。


「だから僕は強くならなきゃいけない。もう二度と……誰も失わないために……」


 鋭い金属音を立てながら地に刺さる剣を勢いよく引く抜くと、柄を握る手に力を込めた。


「分かった……無理はしないでね」


 そう言うと星野は静かに踵を返す。そんな彼女を背に、再び空気を裂く音が辺りに響いた。

 また雲と雲の合間で、雷が音を立てず光る。

 悪天はまだ続きそうだった。


 *


 部屋の扉をノックする音がした。それに気づいたアリスは扉の方へ視線を移すと、一息置いて「どうぞ……」と声を掛けた。


「失礼致します」


 部屋に入ってきた男は室内だと言うのに腰に一本の長剣を差していて、筋肉質な身体を隠すように白く大きなマントを羽織っていた。

 彼がこの部屋に入るのは初めてのことではない。むしろこれまで何度も足を運んだ部屋であるはずだ。だと言うのに、彼の表情はどこか強ばっていて少しばかりの緊張が伺えた。


「ベルザム、どうだった……?」


 無機質にも聞こえる声でアリスは問いかけた。わざとそうした訳では無く、自然とそうなったと言った方が正しい。それは一国の王女として、世界を救う一人の聖女として、荒れた感情を押し殺した結果でもあったのだが。


「やはり、アマミヤ・ユウの姿は発見できませんでした。例のドラゴンの消息も不明です」

「そう……」


 アリスは表情を崩さぬようそっと瞳を閉じた。

 今回も、雨宮優を見つけ出すことは叶わなかった。

 あの事件が起こった翌日、勇者アマミヤを捜索するための部隊が編成され『アルデラの森』にて捜索活動が行われた。赤竜、並びにその召喚者である術士が出没することも想定されたため、部隊はフェルマニア王国騎士団総団長ベルザム率いる近衛騎士隊――王華剣舞隊、並びに烈火紅蓮隊、狼哭戦奔隊を統合した即席の大部隊が駆り出された。

 しかし結果は勇者アマミヤどころか、精霊の痕跡すら発見に至ることなく終幕。代わりに見つかったモノは、大量の血痕。そして切断された人間の手足であった。しかもその手足には雨宮優の着用していた衣服もついている。これ以上の無い決定的な証拠だった。

 雨宮優が死んだという事実は電撃的に城内に広まり、そして同時に、彼の捜索はその日を持って打ち切りとなった。

 しかしアリスだけは諦めなかった。何度も父である国王バハマドの前に赴き、捜索続行の抗議を行った。しかし結果は同じ。いくら娘の申し出であろうとも、死亡がほぼ確定している人間の捜索に貴重な兵を貸すことは出来ない。

 やけになったアリスは自ら彼の捜索に向かおうとするのだから、見かねたベルザムが個人で捜索を行っていたという訳だった。


「それでは私はこれにて……」

「まって」


 報告を終え、その場を去ろうとするベルザムをアリスは引き止める。


「皆さんの様子は……どう?」


 皆さん、とはもちろん一神たちのことである。ユウがいなくなってから殆ど会っていない。せめて様子だけでも知りたいと思ったのだ。


「……一神は、彼は焦っています。しかし決して勇者としての責任を忘れているわけではありません。他の者も落ち込んではいますが大丈夫です。ただ……」

「ただ……?」

「成村に関しては、正直分かりません。もしかすると、もう戦士として戦うことは難しいかも知れません」


 成村はあれ以来ずっと自室に篭っていた。星野がたまに彼女の部屋に入っては何やら話をしてすぐに出て行くを繰り返している。星野が言うには食事は取っているし問題ないとのことらしいが、流石に成村が勇者パーティーを抜けるとなっては世界にとっても大損害である。国王も冷や汗をかきながら「慎重に対応しろ」と部下達に言いつけてあるようだ。


「そう……」


 アリスがそれだけ言った。

 沈黙が続く。

 ベルザムは落とした視線を上げられず、アリスの足元ばかりに目をやる。しかしそんな自分の不敬に気がつき、視線を戻して彼女の顔を見た。


 驚いた。

 彼女のその凛とした眼差しに。

 辛いはずだ。きっと自分を恨んでいるはずだ。そう思っていた。雨宮優の件も、一神達の状況も、伝えれば涙を浮かべるくらいはすると思っていた。けれどその眼差しは真っ直ぐに、王女としての威厳を保っていた。


 ――姫様……お強くなられた。


 ベルザムは感慨し、頭を下げた。


「申し訳ありません……これも全て私の不徳と致すところ」

「ベルザム……顔を上げて」


 言われるままにベルザムは顔を上げる。


「あなたを恨んでいないと言えば嘘になる。けれどあなたはあの日、成すべきことを成した……ただそれだけのこと。私も同じよ。私はフェルマニアの王女として、聖女として、責務を全うする。そしてあなたも……この国のマスターナイトとして、下を向くことは許さないわ」

「姫様……」

「勇者アマミヤの捜索は本日をもって……終了とします。あなたには他に成すべきことがあるはずです。前を向きなさい……ベルザム」


 アリスはまるで自分に言い聞かせるかのように一喝する。

 その強き心を前にベルザムは己の未熟さを恥じた。


「御意に……」


 噛み締めるように出たその言葉には、彼女への尊敬の念と揺るがぬ忠義が込められている。

 するとアリスは何かを決意したように凛々しい表情で言った。


「ベルザム、あとで大臣達を招集して。女神様による新たな神託が示されたわ」

「……っ」


 聖女の神託。それは彼女が眠りの中で、女神によって授かるお告げ。


「そのご神託とはどのような……」

「魔の王目覚めは間もなく。聖天の四騎士よ集え、汝ら神の子なれば。さすれば新たな道が示される」

「聖天の四騎士……」

「あなたのことよ、ベルザム」

「……っ、」

「世界四大国の――マスターナイトを招集します」


 女神の新たな神託により、世界は動き始める。



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