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32.囚われし少女

 舞い降りたドラゴンのその堂々たる佇まいは、まるで神を思わせるほどの神秘と畏怖を彼に抱かせた。

 神に創られし祭壇の守護者、神竜アウレリウスであった。


 その竜と相対したその瞬間、ユウの身体は勝手に動いていた。


「うわぁあああああ――――ッ!!」


 剣を握りしめ、みっともなく大声を張上げて巨竜の懐に飛び込んだ。

 力任せに大きく振りかぶった刀身が高密度のマナ付与により光り輝き、ドラゴンの首筋に目掛けて迫る。

 ここで倒してしまいたかった。空を飛ばれたらきっと手も足も出ない。この一撃で確実に仕留めなければ。

 ほんの一瞬対峙しただけで、嫌でも理解させられた絶望的な力の差。全身を支配する尋常ではない恐怖が、ユウに先制攻撃という手段を選ばせた。

 全身全霊。全てを掛けた渾身の剣撃がすまし顔で佇む巨竜の首に直撃した。


「――ッ!」


 名剣サンクレイブは即座に砕け散った。

 輝く純白の鱗は、その剣撃の一切を容易く退け、その刀身に致命的な代償を負わせた。

 まるでスローモーションに映る視界の端を、砕け散った鋼片が横切る。それを呆然と眺めながら、驚愕と絶望の淵に目を見開いた。

 無機質で気怠げで、けれど神々しいその眼光がこちらを射抜いている。


 耳の奥から肉が引き裂かれる音がした。

 視界は黒く染まり、ユウの身体はありえない速度で弾け飛ぶ。

 飛ばされた肉体が大樹を幾つも突き破り、ようやくその勢いが止まった。

 彼が意識を取り戻したその時には、大樹の幹に身体を預けて座っていた。


「ぶっ……」


 吐き出した泥の様な血の塊が地面にへばり着く。

 自身の身体を見下ろすと、千切れかけた体が見る間に修復されていく様があった。

 何をされた。

 それすら理解出来ない不可視の斬撃により、ユウの身体は引き裂かれたのだ。狙われたのが頭部だったら即死していたかもしれない。

 修復された血塗れの身体を起こし立ち上がると、前方から大気を揺るがす咆哮が響き渡る。

 奴がいる。木々に隠れて見えずとも感じ取れる。


「……っ……くそっ」


 手足の震えが止まらない。

 以前にもこんなことがあった。同じようにドラゴンに襲われ、ルーナスという絶対的強者に蹂躙されたあの瞬間に似ている。その身体に刻み込まれた恐怖が今再び呼び起こされている。

 出会った瞬間からそうだった。ずっと頭の中で本能が泣き叫んでいる。つい口から零れそうになる。

 勝てない。

 きっと勝てない。明々白々な事実であるが、はいそうですかと受け入れてただ殺されるわけにはいかない。


 ――どうすればいい……どうすれば……。


 ユウの強靭な肉体をいとも容易く切り裂く攻撃。渾身のマナブレイドを受けて尚、傷ひとつ赦さない強靭すぎる鱗。それに剣はたった今目の前で砕け散った。まさかあれを素手で倒そうだなんて、そんな馬鹿な話はない。

 希望は強力な魔術による攻撃のみ。しかし果たして効果があるだろうか。

 ドラゴンに纏わる本を城の図書館で読んだことがある。

 竜の鱗は鉄より硬く、マナによる攻撃を散らし効力を弱める。さらに種族によっては特定の属性魔術すら無効化すると聞く。

 剣が無い以上、ユウの手札は限られる。竜の鱗がある限りマナブラストの類はきっと効果を得られない。だとすると対抗策はやはり魔術のみ。

 現状ユウが最も火力を出せる魔術はエアキャノンとフレアバースト。どちらも強力だが一定の溜めが必要となる。


 巨大な足音がゆっくりと近付いてくる。

 完全に舐められている。空を飛ぼうとしないのがその証拠だ。癪に障るが今回ばかりはラッキーと考える他ない。

 足音が近い。出会い頭に強力な一撃を叩き込む。

 両の手にマナを掻き集めた。

 半端な威力じゃ勝負にならない。限界ギリギリまで溜めて大火力を浴びせる。

 両手の前に生成された高酸素濃度の空気が一点に集約していく。

 更にマナを込め続ける両の手が、ピリピリと痺れ始めた。両手のマナ耐久度を大きく超えてマナが集約されていく。


 ――まだ……もっと……。


 その時、眼前に生い茂る大樹の群れが一瞬にして根元から吹き飛んだ。

 魔術の構築を維持したまま、ユウは何事かと目を見張った。

 吹き飛んだ大樹の幹が綺麗に切断されている。


 ――この斬撃は……俺がさっき受けた……。


 神竜アウレリウスの天恵〈視断の竜爪〉。一定範囲内の目視した対象に、自身の竜爪と同質の斬撃を浴びせる能力である。


 木々が切り開かれたその先で、こちらを見据える純白のドラゴンが口元を動かした。奴の牙の合間からゆらりと白光の炎が揺れる。

 ブレスが来る。

 そう悟ったユウは構築中の魔術を即座に撃ち出した。

 ほぼ同時に、ドラゴンブレスが白光を放ちながら一直線に飛来する。

 強烈な爆炎と白き光線が激突し、その余波で周囲の森林に甚大な被害が齎される。


「……ぐっ」


 歯を食いしばってマナを送り込んだ。

 衝撃により大地が捲れ、脚が浮く。

 火力の拮抗はわずか三秒だった。その後すぐにユウの撃ち出した火炎は打ち破れ、掻き消され、地盤ごと抉るような壮絶な破壊に呑み込まれた。


 視界が白く染まり、耳鳴りが聞こえる中ぼんやりと意識が戻るが、上手く身体が動かせない。


「あ゛……」


 すぐに分かった。胴体部に大きな空洞が出来ていて、右脇腹の部分が辛うじて上半身と下半身をつなぎ止めている状態だった。顔面の皮膚は消失し目玉や骨筋肉が剥き出しになっている。

 初めは全く痛みを感じなかったが、次第に肉体の修復が進むにつれ信じられない激痛が襲い来る。


「がぁっあ゛あ゛」


 身を捩り抉れかけの喉から声を漏らす。

 何度繰り返しても、この痛みというものに慣れる気配はまるで無い。


「はぁっ……はあっ……」


 激痛の波を越え再び立ち上がり奴に目を向けると、既に次の砲撃が奴の牙の隙間から漏れ出していた。

 白光一閃。

 たかだか一撃のそれによって、森林は消し炭となり地形は別物に作り替えられる。


「げほ、げほっ……じょ、冗談じゃねぇッ……」


 砂埃で噎せ返るも何とか直撃を免れたユウだったが、見開いた目から飛び込んだ光景を脳が拒絶していた。

 ドラゴンの攻撃は止んでいない。両の翼を大きく広げ、その周囲から無数の光線が打ち出された。

 細かいレイザー状のマナの塊は高速で周囲の地面や大樹に着弾し、片っ端から木っ端微塵に粉砕していく。

 ユウは慌てて背を向けて走る。

 しかし向けた背の真後ろで、光線の一つが地面で爆ぜ、脊椎を破壊されながら数十メートルの距離を弾き飛ばされた。

 転がった先で大樹にぶつかりようやく勢いが停止する。


「し、死ぬ……」


 まるで子供が悪戯に羽虫でも弄んでいるようだ。

 戦ってみれば嫌でもわかる。奴はまだ本気を出していない。ユウのことなんて虫ケラ程度にしか思っていない。

 全身の痛みが引いてきたが、しかし立ち上がる気力は湧いてこない。ただうつ伏せのまま地面の砂利を眺め続ける。

 力の差は絶望的で、対抗策は無くて、逃げることも叶わない。何かの間違いで奴が突然死するか、あるいはドラゴンが懐くなんてことはないだろうか。ないに決まっている。

 せめてあの硬い鱗をどうにか出来れば。

 その時、視線の先の、胸に大穴の空いた漆黒の鎧の残骸に気がついた。その手元に、散々彼を苦しめた漆黒の剣がある。

 一か八か。

 立ち上がって駆け寄り、鎧の手から剣を引っぺがす。


「これ……」


 名剣とは握ったその瞬間に分かるものらしい。ユウの使っていた剣がちゃちな玩具に思えるほど、その剣には確かな重みがあった。

 サイズ感は以前のものと同じ一メートルと少し。刀身に限らず鍔、柄の握りに至るまで、全てに漆を塗ったような漆黒剣である。物理的に考えて、このサイズの剣でこの重量は有り得ない。一体どんな金属を用いて、どれ程の密度で精錬すればこの様な傑剣が出来るのか。ユウでなければ持ち上げることも難しいだろう。

 だが、


「丁度いい……」


 握った感触はこれまでにない程しっくりくる。

 この剣の斬れ味は身をもって知っている。これならばひょっとして。

 またあの悪魔の様な重たい足音が近づいてくる。

 見れば真正面からすました顔でゆっくりとドラゴンが歩いて来ていた。そのまま口からブレスでも何でも吐き出せばよいものを、随分余裕をこいて無防備を晒している。


「バカにしやがって……」


 頭にくる。だが絶好のチャンスでもあった。


「やってやるよ……!」


 黒剣を強く握り、刀身にマナを付与した。

 手元の感触が良い。マナの流動が滑らかで、まるで水が流れるようにマナが剣に浸透する。


 ――すげえ……これまでとまるで違う……。


 いける、そう思った。

 ユウは腰を落として剣を構え、大地を踏み砕いて飛び込んだ。

 カウンターを警戒して、的を絞らせぬよう左右に動きを散らしながら凄まじい速力でドラゴンに差し迫る。


「うぉあああッ!!」


 振り翳した黒剣が青白く光る。


 ――この剣でダメならいよいよ打つ手がない……頼む……!


 神に祈るような、そんな心意気で、再び奴の首筋にマナブレイドを振るった。

 抜き身の黒刃が触れた瞬間、火花が散った。


「……!」


 魔剣グリムキャベル。名も無き打ち師が生涯をかけて打った漆黒の魔剣。斬れ味と強度のみを追求し鍛え上げられた刀身には、打ち師の呪いの如き執念と魂が宿っている。特殊効果こそないが、その恐るべき斬れ味は伝説剣に追随する。


 手元に残る硬い感触――しかし、確かにその一撃は純白の鱗を打ち破り竜の肉を斬り裂いた。

 宙に舞う鮮血を目にした竜の瞳が大きく広がり、驚愕を顕にしたかの様な表情を見せた。


「ぐっ……」


 空中で白竜の前脚がユウを跳ね除けた。

 地面に転がりつつ体勢を立て直したユウは、薄ら笑を浮かべて白竜を睨み付ける。

 口から垂れた血を手の甲で拭って言った。


「ようやくお前の血が見られたぜ」


 白竜の傷は浅い。差してダメージを与えられた気はしない。だがそれでも、この絶望的状況に間違いなく変化が起こった。


 ――いける……勝てる……!


 頭の中に浮かび上がる微かな希望。だがそれすらも、奴は目の前で叩き伏せた。

 勢い任せに両の翼を大きく広げ、大地が引き裂けそうな大絶叫を解き放った。

 突風が吹き荒れ、空気が歪み、大地がヒビ割れていく。

 ユウは咄嗟に腕を上げて顔を隠し、突風に耐えながら細めた眼で白竜の姿を捉えた。


 ――め、めちゃくちゃキレてやがる……。


 おそらく長い歳月、傷を負ったことなんて無かったに違いない。奴の目付きが先程と違う。

 すると、白竜は巨大な翼をはためかせて突如空へと飛び上がった。


「まずいっ」


 ユウは剣を握ったまま空を見上げるが、奴は既に手の届かぬ上空に滞空していた。

 最も恐れていた行動を取られた。

 地上ならば勝機を見い出せた。実際にあの巨体相手ならスピードではユウに分があったはずだ。しかし空中戦となれば話は別。

 単純明快な話だ。ユウは空を飛べない。ここからでは攻撃が届かない。仮に跳躍で奴の元まで届いたとて、そのような単調な攻撃が通る相手では無い。そもそもユウが跳躍で届かない範囲まで高度を上げられたら無意味だ。あとは雨の様に降り注ぐドラゴンブレスによって地上ごと消し炭にされて終いだ。


 翼を振るい上空に浮遊する白竜が歪な咆哮を発した。

 ブレス攻撃が来る。


「くそ……!」


 走った。

 全速力で森の中に逃げ込む。

 気配を殺し、木々の合間をすり抜け、この場所から離脱を図る。


 ――大丈夫だ……俺は速いっ……きっと逃げ切れる……きっと


 背後上空がカッと白く光った。

 次の瞬間、白光を放つ特大のブレスが地面を撫で上げるように森を一掃した。

 その白炎は地にあるもの全てを根こそぎから吹き飛ばし、焼き尽くす。それはまるで神の一撃。

 爆発に巻き込まれたユウは森の中に吹き飛ばされ力無く転がった。その全身には重篤な火傷、そして左腕と左足が消失する致命的な状態であった。

 神竜の白炎は、天恵〈滅殺〉により対象の状態や耐性に関わらずそれを焼き尽くす。当然ユウの熱耐性など容易く貫通した。


 途切れた意識が呼び戻され、ユウの身体が即座の修復を開始する。

 慣れることの無い激痛に身を捩りなが、右手に握られた漆黒剣を地に突き立て何とか立ち上がる。がしかし、踏み出した足が縺れ仰向けに倒れ込んだ。

 見上げた木々の合間から嫌味なほど青い空が覗いている。

 ぼーっとそれを眺めながら、ユウは言葉を漏らした。


「いや、無理だろこれ……」


 どうやって倒せば良いと言うのか。

 今もそこかしこで轟音爆音が響き渡っている。

 白竜はユウの姿を見失っていた。ただ怒りに任せ手当たり次第にブレスを吐き乱れている。

 ひょっとすれば今なら逃げられるだろうか。

 しかし逃げてどうなるのだろう、と思う。この迷宮から抜け出す方法も分からぬまま、奴に怯えながら彷徨い続けるのか。もしかしたら、何年経っても出口は見つからないかもしれない。ユウが出口を見つける前に、奴がユウを見つけ出すかもしれない。


 強くなったと思っていた。あれだけ無能だなんだと蔑まれた自分が、今ではミノタウロスだって倒せる様になった。

 正直嬉しかった。高揚した。この世界に来てようやく、独りで生きて行ける力を手にしたと思っていた。

 それだというのに。

 頭の中にこれまで散々ユウを馬鹿にし蔑んで来た奴らの顔が浮かんでくる。


 ――また負けるのか……。


 ユウを見下すルーナスの顔が頭を過ぎる。


 ――ふざけんな……どいつもこいつも、俺を見下してんじゃねえ……。


 心の底から腹が立つ。

 ユウの折れそうな心を、怒りと意地がだけが支えていた。


 ――まだ、試してないことがある。せめて一矢報いてやる。


 ユウは仰向けに倒れたまま黒剣を腰の鞘に仕舞い、両手を上空へ突き出し全身のマナを掻き集めた。


「俺の全力……見せてやるよ」


 体内のマナが強引に両手の先に集められていく。

 今やろうとしていることが物理学的にどれほど無謀なことか理解はしている。だが出来ないとは思わない。残存するマナを全て使い果たしたとしても、この魔術を完成させてやる。

 視界に映るその大気。直径約百メートル球状範囲の大気を掴み取り、それを強烈に圧縮していくイメージを頭の中に描いていた。

 集められたマナは両手のマナ耐久度を大きく超えて、即座に皮膚から崩壊へと導く。がしかし、彼の持つ天恵がその崩壊を片っ端から修復し阻止していた。


 異様な風が吹く。大気が吸い寄せられるように靡く。

 その範囲にある大気が徐々に中心部へと引かれ、圧縮されていく。

 マナを込めている感触としては非常に重たく、硬い。思うように圧縮は進まないし、少しでも気を抜けば圧力が乱れ暴発するだろう。


「……っ、」


 額に汗が滲む。

 力んだ手が震えている。

 体内のマナが凄まじい速度で削り取られていくのがわかる。

 それでもユウは構わず空気圧縮を続け、ジリジリと大気を歪ませ続けた。

 圧縮を強める度に質量は増し、それを維持する為にマナの流れが乱れる。耳鳴りがして、呼吸さえも乱れてくる。

 そんな時、


「なんだ……」


 そんなユウに寄り添うように、森林内を浮遊していた金色の光の粒子達がわらわらと集まってくる。

 集った光の粒子達はユウの身体の周囲に張り付いて、小さく泣くように点滅を繰り返した。

 不思議とマナの乱れが抑えられている気がする。


「手伝って、くれるのか……」


 ユウは更にマナを込め続け、そして遂に直径一メートルの球状空気塊が上空に誕生していた。これを維持するだけでも莫大なマナが必要であるが、


「まだっ……いけるッ……」


 更なる圧縮を重ねられ、約百メートルあった大気の塊は遂に手の平に収まるサイズにまで圧縮された。

 このレベルまで超圧縮された空気は、もはや気体ではない。それは超高圧のプラズマ・超臨界流体に近い。

 肉眼による目指可能。膨大な密度と質量によって空間が歪み、極端に密集した分子が強く光を散乱している。加えて電離によるプラズマ化とアディアバティック圧縮による超高熱化。事実それは太陽内部に近しい現象、あるいは白色矮星の内部に近い超圧縮物質と成り果てていた。

 上空百メートル付近に存在しても尚、凄まじい光と熱を放つその物質は地面に寝そべるユウの肌を刺すほどである。

 これを解き放てばこの地一体は壊滅するだろう。だがもう、そんなの知ったことじゃない。

 半ば投げやりな気持ちがユウの身体を動かしていた。


 悍ましい咆哮が響き渡り、地面ごとユウを覆い隠す巨大な影が上空に飛来した。

 突風を巻き上げ、眼前にようやく白竜の姿が現れた。

 奴の怒りに満ちた鋭い眼光がこちらを見下ろしている。

 奴の頭上数十メートル先にはユウの魔術によって生み出された、超圧縮物質という名の星が浮遊している。


「よお……どっちが死ぬか試してみようぜ」


 迷いはなかった。


 解放されたその瞬間世界は握り潰され、全てが白く反転した。それはまるで空間密度が一度ひっくり返る様な災害だったのだ。

 爆発は超音速を超え、爆心地では摂氏数千度の熱が放出される。そして全方位に爆轟による壊滅的な衝撃波が全てを呑み込み押し流す。

 それはまるで森を押し倒す透明な津波。衝撃はもはや原子爆弾にも到達しうる規模であった。


 ――――――

 ――――

 ――


 パキパキと木の軋む音で目が覚めた。

 青い空が目の前に映っている。

 ユウは心底安堵した。絶対に死んだと思ったからだ。


「ははっ……はははっ」


 安堵と同時に笑いが込み上げる。


「勝ったぞ……俺の勝ちだッ!ざまあ見ろクソドラゴンッ!!」


 誰もいない死滅した森の中に、ユウの声だけが高く響いた。

 身体を起こすとボロッボロになった服が辛うじて局部を隠している状態だった。

 ズタズタになった腰のベルトに取り付けていた革のポーチはどこかへ行った。ただ運良く生き残った剣の鞘。そこに収められた漆黒の剣は無事だった。

 サンクレイヴが無い今、この剣すら失えば再び強敵と出くわした際に危険だ。


 ユウは身体についた泥をはたき落とし周囲を見渡した。

 円状にどこまでも広がる倒木の群れと、大きくヒビ割れ歪んだ地形が衝撃の威力を物語っている。

 近くにあの白竜の気配は無い。多分、いや確実に死んだだろう。

 奴はあの爆心地にいたのだ。天地開闢が如き衝撃を無防備な頭上から受けた。あれで無事なはずが無い。


「しっかし運が良かったのか……奴が俺の真上にいて助かった」


 そう、ユウは白竜の巨体の真下にいたことで爆発の直撃を免れた。それでも常人なら即死しているのだろうが、ユウの身体は特別製。崩れながらも常に超速で治癒される。一命さえ取り留めれば再生できる。


「あっ……!」


 ユウは唐突に思い出してゾッとした。

 祭壇は、宝は、俺の荷物は。

 荷物は確か祭壇のところに置きっ放し。

 しかしこの規模の大爆発だ。祭壇諸共消し飛んでいるかも――そう思って見渡したその先に、


「マジ、か……」


 祭壇は無事だった。

 巨大なクレーターの中にぽつんと、まるで何事も無かったかのように揺るぎなく佇んでいる。そしてその祭壇の上に浮遊する黄金色の巨大結晶もまた、時が止まった様に変わらずそこにあった。

 絶対におかしい。あの爆発で祭壇だけが無傷だなんて。

 ユウは息を呑んで、ゆっくりと祭壇へと歩み寄った。


 古びた石で出来た階段の付近に投げ置かれたユウの鞄が目に入る。

 ユウは慌てて鞄を拾い上げ、中身を漁った。


「……よかった」


 ユウは心底安堵し胸を撫で下ろす。

 中に入っていた二輪の腕輪、そして黒騎士から剥ぎ取った鉱石は無事だった。

 これらは迷宮内で苦労して回収した唯一の宝だ。特に腕輪はマレの話では特殊な宝具アーティファクトであるとか。もし失くしたり壊しでもしたら目も当てられない。杞憂に終わってよかった。


「これは無くさないよう腕に着けとこう……」


 ユウは黒鉄の腕輪を左右の腕に嵌めてみた。

 特に何か変わったことが起こるわけでもない。


「もしかしてパワーアップとかすんのかと思ったけど何も起きねえな……まあいいか。あそうだっ、それより……」


 ユウは古びた階段をゆっくりと上り、壇上に浮かぶ結晶体に近づいた。

 やはりまだ彼女はそこにいる。

 長い髪の少女が、半透明の結晶の中で祈るように眠っている。


「一体、この子は何なんだ……」


 あの二体の黒騎士も白竜も、この祭壇を、いや彼女を守護していたのだろう。


「どう見たって封印されてるよな……」


 封印されてるってことは、悪い奴かもしれない。


「冗談じゃねえ……厄介事はごめんだぞ」


 しかし、目の前の黄金結晶が気になって仕方がない。

 こんなにも目を引く巨大な結晶物が高値で売れないはず無い。鞄に入るだけでも詰め込んで持って帰りたいところだ。

 ユウは顎に手を添えて考える。


 ――どうする……この結晶物は持って帰りたいけど……少女入りの結晶なんて売れないしな……。


「よし、決めた」


 ユウは腰に差した黒剣を音を上げて引き抜いた。

 あれだけ苦労して化け物共と戦ったのだ。相応の報酬があったって良いじゃないか。そう思う。


「……っ!」


 ユウは意を決して剣を振るった。

 カンッと乾いた金属音が鳴る。


「硬っ……」


 剣越しに伝わった感触に思わず声が漏れる。

 その物体は普通の硬さじゃなかった。


「……ッ!!」


 次は思いっきり剣を叩きつける。が、まるでビクともしない。


「っ、どーすりゃいいんだ……」


 この漆黒剣は白竜の鱗すら斬り裂いたというのに。

 こうなれば。

 ユウは漆黒の刀身に高密度のマナを付与した。


「マナ……ブレイドッ!」


 中の少女を傷付けぬよう注意を払い、結晶の上部に上手く叩きつける。

 だが、それでも結晶は無傷を貫いた。


「くそっ!何なんだよ!」


 腹が立ったユウは黄金色の結晶を素手で殴りつけた。

 その瞬間――。


「なっ……」


 殴りつけた拳からギュンとマナが吸い取られる感覚があった。

 ユウは思わず引っ込めた自身の手を見つめ、恐る恐る結晶に触れてみた。


「俺のマナが……」


 吸われていく。恐ろしいスピードで。

 マナとは生命エネルギーそのものである。一般的に体内に留まるマナが三パーセントを下回ると、急激な肉体疲労が訪れ、やがて生命活動に支障をきたす。

 しかしユウの天恵〈超回復〉はその疲労すら許さない。生命活動に支障が出る範囲までマナが枯渇した場合、周囲の大地草木から自動的にマナを供給し平常を保とうとする。ただし、ユウ自身はそのことを自覚していない。


「な……んだこれ……」


 理解の及ばぬ状況にユウが戸惑いを顕にしたその時、森中を飛び回っていた光の粒子が一斉にユウの元へと押し寄せる。


「な、なんだよマジでっ」


 慌てたユウだったが、不思議と嫌な感じはなく、結晶に触れるその手は離さなかった。

 やがて集まった粒子はユウの身体だけではなく、結晶そのものを多い尽くし、そして遂に結晶体に小さな亀裂を走らせた。

 その亀裂は見る間に結晶全体に広がっていき、眩い黄金の輝きが亀裂の合間から飛び出すように辺りを包んだ。

 そして、巨大な結晶体は粉々に飛び散った。


「…………、」


 崩れゆく光の中から、少女が風に吹かれた綿のようにゆっくりと舞い落ちる。瞳を閉じたまま、長く美しい金髪を靡かせ、艶やかな白い肌が光る。

 砕け散った結晶から放たれる眩い輝きに目がチカチカして、頭がぼーっとする。

 判然としない意識の中、ユウは少女を受け止めようとそっと両手を広げた。

 その柔らかな肌に手が触れた。

 それが彼女との出会いだった。


 止まっていた全ての歯車が、音もなく回り始める。



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