31.光の森の祭壇
眩い陽射しが瞼を刺した。
小さな野鳥の鳴き声がどこからか聞こえてくる。
眉間に皺を寄せ、小さな呻き声と共にユウは目を開け、むくりと起き上がった。
ゆっくりと周囲を見渡す。
「ここ、どこだよ……」
口をついてこぼれた。
そこは大樹の森だった。不気味に淀んだ静寂の中に、時折奇妙な何かの鳴き声だけが聞こえてくる。
更に木々は一本一本が異様なほど巨大に畝り聳え立ち密集して、この深い森を形成している。おかげで見上げれば空が高く感じる程だ。
そして極めつけは、そこかしこに飛び回るこの光の粒だ。金色にほんわりと淡く、時折ほんのり白く滲む粒子が、まるで呼吸するようにゆっくりと漂っている。
それらは不規則に舞っているはずなのに、どこか意志を持っているようにユウの周囲を旋回し、やがて一方向へと流れ始めた。まるで着いてこいと言わんばかりに。
ユウは後ろを振り返りもう一度周囲を見渡したが、当然のように帰りのゲートなんて見当たらない。
意図せずこんな場所に迷い込んでしまったわけだが、帰る宛てもない。今は前へ進むしかないようだ。
ユウは諦めた様にその一歩を踏み出した。
足元の草は見たことのない形をしていた。葉の縁が淡く発光し、踏みしめるたびに、微かな光紋が地面に広がる。
幹の細い樹木は枝先がゆっくりと蠢き、まるで眠りの中で夢を見ているかのように自律的に動いている。
気を引いたのは紫の怪しい光を放つキノコの束だ。大樹の根元にその根を張り、触れると星屑のような粒子をふわりと撒きあげる。
ここはまるで異世界と言うより別の惑星みたいだ。
どれくらい歩いただろうか。
光の粒に導かれるまま、長い時間ユウは森の中を彷徨った。そんな最中、草木を掻き分けたその先でそれを見つけた。
木々が不自然なほど整然と並ぶ空間――そこに静かに佇む巨大な石の祭壇だ。
円形の広場の中心に鎮座する、苔と蔓に蝕まれたその祭壇は、白と灰の石を何層にも重ねた古代の意匠を持つ構造物。表面には意味の分からない模様に、星と円を組み合わせた紋様が刻まれている。
そしてその祭壇の中央。
宙に張り付く様に据えられた、黄金色の巨大な透明結晶が浮かんでいた。まるでその存在だけが、この森のすべての中心であるかのように。
「はは……まじか……」
思わず笑いが零れた。
すぐに祭壇に駆け寄った。
わけもわからずこんな場所に飛ばされはしたが、探し求めた宝が目の前にある。あんな巨大な結晶体が高値で売れない筈がない。
嬉しさのあまり足取りは軽く、どうやって持って帰ろうかと考えながら祭壇に向かった。
その足が止まる。
祭壇の左右、結晶を守るようにそいつらは存在した。
漆を塗った様な真っ黒な鎧騎士が二人、祭壇の右と左に静かに佇んでいる。
顔のない兜。光を吸い込むような黒鉄の装甲。
右の鎧騎士の手には、その鎧と同じ漆黒色の剣が握られている。
左の鎧騎士の手には、地面に突き立てられた漆黒の長槍が。
「……っ」
思わず息を飲んだ。
完全な静止。だがそれは、眠っているだけだと本能が理解してしまうほどの張り詰めた気配である。
思わずユウが一歩後退った。
その瞬間、金属が擦れる音がした。
同時に鎧騎士の兜の奥で、赤い光がフッと灯る。
漆黒の剣が持ち上がり、槍が地面から引き抜かれた。
武器を構えた二体の亡霊が放つ、言葉にならない圧が空間を満たす。
周囲を漂っていた光の粒がざわめき、逃げ出すように一斉に後退した。
森が息を潜め、鎧との合間に風が吹き抜ける。
戦いの火蓋は突如として切られた。
先手を打ったのは槍を手にした鎧だった。
弾丸の如き速度で間合いが潰れ、漆黒の長槍の先端が目先数センチにまで到達して、間一髪でユウの頬を掠めた。
吹っ飛ぶようにバックステップで後退するユウ。
頬の傷は自身の天恵によって即座に塞がったが、頬に残された生暖かい血が顎先まで垂れ落ちて理解した。
「おいおい……」
全身から汗が吹き出す。手足が痺れるように重い。全身を凄まじい恐怖が絡め取る。
その一太刀で理解した。
過去最強の相手。全身に重くのしかかる圧に吐き気がしてくる。
一瞬でも首を傾げるのが遅れたら即死だった。
死んでいた。その事実が今も脳髄に張り付いていて、手足の震えが止まらなくて、心臓が破裂しそうなほど緊張している。これまでの戦いが、まるで全てお遊びだったかの様な桁違いの緊張感。
無意識に下がる足が、石畳の隙間から生えた葉を踏み躙った。
――どうする…………逃げるか、逃げ切れるのか……。戦って勝つ……無理だ。さっきの攻防も紙一重だった。一体だけでもギリギリなのに、もう一体いるなんて
迷いを切り裂く圧槍が眼前に差し迫る。
八連撃。
正面からの超速の突き。
これを咄嗟に引き抜いた剣と、反射的に動いた身体が連続的に弾き上げる。
がしかし、七撃目が頬を掠め、八撃目に脇腹を貫かれた。
痛みと衝撃で体幹が崩れた所に、長槍の柄に側頭部を殴打され、続く穂先による回転斬りを何とか剣で受け止め後方に吹き飛ばされた。
剣で受けて尚、なんという重みか。
砂利を磨り潰しながら体勢を整えた頃には既に、超回復によって傷が完治していた。
だが顔を上げたその先には、遠方で剣を高く掲げるもう一方の鎧騎士の姿があった。
剣の騎士の掲げたその刀身は、眩く光を放っている。
まさか。
「おい、冗談じゃねぇぞ……!!」
爆発の如く斬撃が飛来した。
光剣を振り抜いた先の地面が割れ、空間の揺らぎが凄まじい速度で押し寄せてくる。
これぞ正しく、騎士の奥義マナブレイドの本領であった。集約した高密度のマナの斬撃。天上の域にある騎士だけが、それを飛翔させることが出来ると聞く。
ユウは素早くその場を飛び退き、地面に転がる様にこれを回避した。
地震みたいな振動が胸に伝わってきて振り返ると、斬撃の軌道のその先で大木が次々と薙ぎ払われて行く光景があった。
「マジかよ……」
しかしぼうっとしてる暇なんて無く、また高速で接近した槍の騎士の連続攻撃が始まった。
ユウは食らいつく様に必死に剣でそれを受け止める。
槍がグルグルと回転して攻撃の軌道が読みにくい。
常人離れしたユウの動体視力ならば、追えない速度じゃないはずだ。しかし慣れない長物と言うのもあるが、単純にこの鎧達の武器捌きが達人の領域にある。剣を握って数ヶ月のユウとでは、熟練度に計り知れない差があった。
パワーやスピードではユウに部があると言えど、尋常のものではない圧倒的技術差によって、攻防に一歩遅れが出る。
黒槍の連撃が少しずつユウの肉を削いでいく。
踏ん張る足が地面をすり減らしながら押し込まれる。
防戦一方。
その最中、背後から悍ましい殺気と共にもう一方の鎧が斬り込んでくる気配が背筋を襲う。死の感覚が脳裏に過ぎる。
打開策は、
「マナブラストッ……!」
周囲の地盤が捲り上がる程の、強力な全方位マナブラスト。
自身の体を中心とし、周囲全方位に強力なマナ放出を行ったのだ。マナブラストと呼ぶには余りに粗雑で纏まりのない力技だが、その判断は正しかった。
地面ごと抉る衝撃波に二体の鎧騎士の動きが静止する。
その刹那を突いた。
全身に施したマナ強化。
地面が割れる程の踏み込みで、
「オッ……ラアッ!!」
前方、槍の騎士の土手っ腹に重い突き蹴りを叩き込んだ。
常軌を逸した破壊的な蹴りの威力が、槍の騎士を列車に跳ねられたが如く弾き飛ばし、地面を抉りながら森の中へと引き摺り込んだ。
更に続け様、
「……ッ!!」
背後に立つ剣の騎士の頭部目掛けて、振り向きざま渾身のマナブレイドによる回転斬りを振り抜いた。
ズガンッ――とド派手で耳障りな音が鳴り、鎧の兜が空中へと跳ね上がった。
――は……?
刀身から伝わった異質な硬さに思考が止まる。
斬れない。マナブレイドを持ってしても。
まるでスローモーションの様な視界の中で、兜の取れた空っぽの鎧騎士が剣を振り翳している。
その剣閃は目撃すら敵わない、正に人外の境地。
全身が瞬く間の斬撃で切り裂かれ、腹は横一文字に開かれた。
大量の血が地面を濡らし、吐血で噎せ、深刻なダメージによって膝が落ちる。
グラつく意識の中、黒剣の追撃が目に映る。
咄嗟に身体を動かしその剣を転がり避けた。
しかしその先で更に追われた振り下ろしが来る。
ユウは反射的に右手の剣で受けに掛る。
剣と剣が衝突した。
その刹那の一瞬、僅かゼロコンマの世界で感じ取った確かな感触。
――剣が折れるッ……!
即座の判断で刀身の角度を斜めに逸らし、衝撃を受け流した。
逸らされた鎧騎士の斬撃が大地を大きく切断する。
だが、それは隙だ。
「はぁああッ!!」
再び輝く必殺の剣。
マナブレイドが黒騎士の装甲に一太刀を浴びせた。
火花を散らし、騎士の身体が仰け反る。
されど傷一つとてありはしない。
「まだだ……!」
敵の体勢が崩れている。
連撃で勝機を掴む。
しかし振るった刃は空を切る。
兜のない鎧騎士は体勢を崩しながらもユウの斬撃を見切り、強引な斬り上げによる鋭いカウンターを合わせてきた。
ユウの頬が僅かに斬れる。
両者互いに飛び退くように距離を開けた。
「……くそ」
絶望的な戦力差に言葉が出ない。
そんなのありかよ、と叫びたくなる。
右手に握るこの剣では奴の鎧に傷一つ付けられない。加えて兜を吹っ飛ばしたのに平気な顔で剣を振り回してくるし、やっと攻撃が当たったと思ったらカウンター。
奴を倒すには、いっそあの鎧をバラバラにするしか方法は無いのだろうか。そんなことをしても終いには片腕一本で攻撃してきそうな気さえする。
魔術を行使しようにも、その隙すら与えて貰えない。
森の奥からもう一体の鎧の軋む音が聞こえる。槍の騎士がこちらへと向かっている。
――考えろ……どこかに弱点があるはずだ……。
だが考える間もなく、目の前の鎧は影に溶け込み超速移動で突如眼前に躍り出た。
またあの漆黒の剣が振り翳される。
この斬撃をまともに剣で受けてはいけない。斬れ味に差がありすぎて、ユウの剣がお釈迦になる。既にユウの握る剣の刀身部には若干の切れ目、その部分から小さなヒビ割れが生じていた。
次に受ければ確実に剣は破壊されるだろう。
全ての攻撃を防ぐのではなく躱す必要がある。
――集中しろ……見えるはずだ……。
ユウは目を見開いた。極限まで高められた集中力と反射神経が身体を動かす。
左下から斬り上げ、斬り下げ、突き、横薙ぎ、そのまま回転斬り。
敵の攻撃を紙一重で次々に躱していく。
さっきはまるで奴の剣筋が見えなかったというのに、今はギリギリ目で追えている。集中すれば避けられる。
いや違う。ユウが今見ているのは剣じゃない。無自覚に奴の身体のほんの僅かな予備動作、空気の振動、マナの流れを感じ取り、無意識的に身体を動かしていた。この距離は危険、この距離ならば外せる。その刀身の届く範囲が感覚的に理解るのだ。
彼の内に眠る潜在的な何かが静かに解放されていく。
その時、背後から突如バチバチと歪な放電音が鳴り響いた。
視線を移すと、後方に迫った槍の騎士が自身の黒槍に青白い電撃を纏わせ、何かを打ち出そうとしている。
悪寒が背筋を冷やしたその時、目の前の黒剣がユウの左腕を跳ね飛ばした。
――しまっ……
更に追撃が膝を深く斬り裂いて、腹を抉り、とどめに首筋に迫る。
「……くそっ、があッ!!」
口から血を吐き出しながら、目の前の鎧にしがみつく。
ジタバタと暴れ回る首無しの鎧を押さえ付け、背後に回って羽交い締めにする。
単純な力比べならユウの方が上だった。
鎧を押さえたまま正面を見やると、槍の騎士が悲鳴の様にけたたましい雷槍を投げの体勢で構えていた。
身の毛もよだつ膨大なマナがその雷槍に宿されている。
脳内麻薬が吹き出したユウの口が身勝手に叫ぶ。
「撃ってみやがれこの野郎ぉお!!」
目の前が青く染まった。
回避不能。対物ライフルのような速度で飛来した漆黒の雷槍は、あの頑強な剣騎士の漆黒の鎧をものともせず穿ち、その騎士の背後に張り付いていたユウの土手っ腹に絶命不可避の大穴を開けて尚突き進んだ。
雷槍の放たれた一直線上の大地は大きく崩れ、木々は根こそぎ薙ぎ倒され、されど勢いを止めず雷槍は彼方へと消え失せた。
羽交い締めにしていた鎧と一緒に、ユウはその場へ力なく倒れ伏した。
しかし、彼の意識が戻るのに時間はかからなかった。
自らの武器を放り投げて仲間ごとユウを倒したと思い込んだ槍の騎士は、ガチャガチャと鎧を軋ませながら、元いた祭壇の前へと戻って行く。
ユウの指先がピクリと動いた。
次の瞬間、地面が壊れるほど全力で飛び込み、背を向けた槍の騎士の身体を全力で押さえ付けた。
胴体から兜を無理やりに引き剥がし、ぽっかり空いた首元から鎧の内部に手を突っ込む。
「バカがっ……さっきもう一匹押さえ付けてる時に見つけた……お前ら中に何か入ってるだろッ」
鎧の中に突っ込んだ手が何かを掴み取る。
遠慮無しに勢い良くそれを引き抜いた。
その手に握られていたのは、
「石……」
青紫色の美しい石だ。
それを認識した途端、あれほど暴れ回っていた鎧は死んだ様にぐったりと動かなくなった。
ユウの思った通り、やはりこの石を核として動いていたに違いない。
もう一方の鎧、剣の騎士はきっとあの雷槍の一撃によって核が破壊されたのだろう。
「狙ってやったわけじゃないけど、結果オーライってやつだな……」
全身の力が一気に抜け落ちる。
「ふはっ……」
ユウはその場で大の字に寝転がって、しばし呼吸を続けた。
想像以上の苦戦に点数を付けるとするなら二十五点。しかしよく生き延びたものだと自分に拍手を贈りたい。
ユウは身体を起こし、転がっていた自分の鞄に黒騎士から奪った石を突っ込んだ。
これも一応は戦利品だ。もしかすれば高値で売れるかも。そう思った時、
「あっ……」
ようやく思い出した。この激戦を強いられた最大の理由を。
すぐに駆け寄って、祭壇前に続く古びた階段を立ち止まって見上げた。
息を飲む。
肩にかけた鞄をその場に放り、ユウは恐る恐る一歩を踏み出して階段の一つ目に足を掛けた。
しかし不安になって振り返り、本当に死んでいるよな、と地面に転がる二体の鎧を確認した。
黒騎士はきっちり二体とも活動を停止している。
ホッと安堵の息を吐いた。
ユウは祭壇に向き直ってゆっくりと階段を上る。そうしてようやく頂上まで辿り着いて、ユウは目を見開いた。
祭壇の中央に音も無く浮かぶ、巨大な金色の透明結晶。
その中に、少女がいた。
衣服はない。
淡い光を透かす結晶の中で少女は目を閉じ、膝を抱える様に身体を折り、胸元に両手を重ね、祈るような姿勢で静かに眠っている。まるで彼女の時だけがそこで止まっているかのように。
予想だにしない光景に思わずユウの足が一歩下がった。
その時だ。
極めて理解し難い、異質な気配を背筋に感じ取った。
空気が変わったのがわかる。それほど圧倒される存在感。
嫌な予感がする。しかし誰も何も、コレを守る存在があの鎧騎士だけだなんて言っていない。
強ばる身体が、引き攣ったように首を捻って後ろを見た。
その瞬間に、脳裏に焼き付けられた痛ましい恐怖が腹の底に蘇る。
光を反射するような純白の翼を広げて、突風を巻き起こしながら、神々しき一体のドラゴンがこの地に舞い降りた。
輝く純白の鱗に覆われた巨躯。猛々しい角の生えた頭部から、背中を通って長い尻尾の先に至るまで、無数の鋭い棘の列が天へと向かって並んでいる。それらはただの突起では無い。一本一本が磨かれた水晶の刃のように透明感を帯び、内側から淡い光を宿していた。
その身から漏れ出る計り知れないマナに、身も心も気圧されそうになる。
首をもたげるだけで、空気が震える。
あれはまるで、神そのものだ。
そしてその神秘の生物が今、物言わずこちらをジッと見ている。まるで湖の様に澄んだ翡翠の眼光が、ただ静かにこちらを見据えているのだ。
そしてその眼光は、突如として敵意へと変わった。




