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29.門番

「はぁっ……はぁっ……」


 背後からマレの乱れた呼吸音が聞こえてくる。

 横目に彼女に目をやると顔色が悪く、額に汗が滲んでいる。


 ――かなり疲弊してる……少しペースを上げすぎたか?


 だがついにたどり着いた。

 足を止め、目の前に聳え立つ巨大な神殿を見上げた。


「マレ、ほら見てみろ……神殿だ。入口はどこにあるんだろ……ここの裏手にあるのかな」


 しかし返答がない。


「マレ?」


 変に思って振り返ったその瞬間、マレが突然前のめりに倒れ込んだ。


「マレ……!」


 倒れた彼女に掛けよって抱き起こす。

 よく見れば、彼女の顔は真っ青だった。それに異常な発汗、発熱、呼吸の乱れ。


「おいマレっ、しっかりしろ」


 彼女の身体を揺さぶるが返答は無く、返ってくるのは荒い呼吸だけ。


 ――なんだ、何が原因だ……感染症?いや、いくら何でも症状が出るのが早すぎる。まさか毒……?


 もしも毒ならユウ一人では対処しきれない。一度迷宮の外へ出て、伯爵の使用人達に協力を仰ぐ必要があるが。

 ばかな。ここから外へ繋がるゲートまでかなり遠い。

 ユウ達は先を急いで帰りのゲートの位置を把握してない。事前情報では目印を辿れと言っていたが、まずはそれを見つけるところから始めなきゃいならない。マレのこの様子からして、そんなことしてたらとても間に合いそうにない。


「くそ、どうする……」


 少し悩んだ末にユウは決断し、マレを担いで神殿の聳える敷地内へと踏み入った。


 ――どこだ……どこかに人はいないのか……。


 ここは迷宮最深部の神殿前だ。腕の立つ経験豊富な傭兵たちが近くにいる可能性は十分にある。そいつらなら対処法を知ってるかも。今はそれに賭けるしかない。

 その時、少し離れた場所から激しい金属音や爆発音が耳に届いた。

 マレを抱え音のする方へと急ぐ。

 道なりに進むに連れ、地面に残された複数人の靴跡が増えていく。戦闘音が近い。

 するとすぐ近くで、気魂しい叫び声が響き渡った。

 ユウは足に急ブレーキをかけ、咄嗟に壁裏に身を潜め、その先を覗き込んだ。

 そこには予想通り数名の傭兵が巨大な魔物と交戦中の姿があった。

 しかし、その魔物の様相にユウは思わず言葉を失う。

 巨人の様な人型の肉体に、牛の頭部がすげ替えられた様な悍ましい怪物だ。異常な肩幅、黒褐色の毛に覆われた皮膚の下では岩のような筋肉がうねっている。その恐ろしい形相には背筋から寒気を感じる。

 確か王城の図書館で見たことがある。あれはミノタウロスだ。ギリシャ神話に登場する伝説上の怪物だが、あれはこの世界でも伝説として語られる魔物だったはず。こんな場所に棲息しているなんて。

 ミノタウロスは濡れた鼻孔から白い息を噴きながら、歪んだ鉄の大斧を狂った様に振り回している。

 そしてその背後には、神殿内に入る為の大きな鉄門がある。奴が門番なのかもしれない。

 ユウは躊躇していた。


 ――どうする、加勢するか……。


 ミノタウロスはこれまで相対した魔獣魔蟲魔物の中で明らかに最強だ。桁違いのマナをあの巨体に秘めている。それに奴を倒せたところで、あの傭兵どもが手負いのマレを担いだユウに素直に手を貸してくれるとは考えられない。マレを治療する代わりにせっかく手に入れた宝を要求されるかも。

 ユウはマレを影にそっと寝かせ、彼女の顔をじっと見つめた。この症状の進行速度から見て、放置すれば半日と持つまい。

 別に助けたいわけじゃない。この女にはまだ利用価値がある。ここで死なせるには惜しいってだけだ。

 ユウは剣を抜き、左手に強力なマナを込めた。

 三十センチの空気圧縮によるエアキャノンを三つ同時に生成し、手元に滞留させる。


「やってやる……」


 地面が割れる程の凄まじい速力でミノタウロスの背後に飛び込んだ。

 ミノタウロスの意識は他の傭兵達へ向かっている。

 完全な不意打ちだった。


「うぉおおおっ!」


 左手を振りかざし、エアキャノンが炸裂する。

 ミノタウロスの巨体が空気圧縮爆発によって三連続で弾かれ、完全に体勢が崩れた。

 続け様、右手に握った剣の刀身に青白い閃光が灯る。


「マナ……ブレイド!」


 渾身の一撃を振り翳した。


 ――これでダメなら一度引いて、さらに強力な技で対抗する……。


 予定だった。

 斬光一閃。渾身の斬撃はミノタウロスの牛頭から股下に掛けてを、実にあっさりと両断した。

 身体が縦真っ二つに両断されたミノタウロスは、左右に血みどろを引き伸ばして力無く転がり、即座に物言わぬ骸へと成り変わった。

 そこにいた誰もが口をあんぐりと開け、呆然と立ち尽くす。

 ミノタウロスを殺害したユウ本人ですらこのとおり、思った以上の瞬殺劇に言葉が出ない。周囲を見渡すと唖然とした男女の傭兵が四人ぼーっと突っ立ていて、地面には二人の男が力尽きた様に転がっている。

 それを見てあれ、とユウは気づいた。

 顔整いの金髪に、紫髪のいかした女、よく見ればそこでヒトデみたいに転がっている大男はあいつだ。間違いない。

 金髪男と紫髪の女も、ユウを見て気がついた様子を見せた。


「あ、あんた一昨日の……」


 金髪が言う。


「あんたは確かカイン……だったか。それにそっちはマキナさん」

「え、ええ。覚えててくれたのね」

「そっちの人達は?」


 ユウは顎を使って尋ねた。カインとマキナの後ろに二人、名前も知らない男の傭兵が二人突っ立ている。


「ああ、彼らは私たちのパーティーメンバーでは無いのだけど、魔物に襲われていたところを助ける形で合流したの」

「そうか……」


 どっちのパーティーも熟練の傭兵達なんだろうが、身なりはボロボロで満身創痍が伺える。

 彼らを見渡して、ユウはくそっと心の中で舌打ちした。

 せっかくミノタウロスを倒して彼らを助けたと言うのに、よりもよってコイツらとは。彼らとは先日喧嘩まがいの会話で別れたばかりだ。あの日彼らになんて言ったかなんて覚えちゃいないが、結構酷いことを言った気がする。そんなヤツらが、素直にユウやマレを助けてくれるはずが無い。あてが外れたか。

 そう思った矢先、カインが勢いよく頭を下げた。


「すまない、助けてもらったのに驚いちまって、礼が遅れた。助かったよ」


 思ってた反応と違う。ユウは呆気に取られて言葉を失う。

 すると続けてマキナが、


「私からもお礼を言わせて。本当にありがとう。まさかあのミノタウロスを一撃で倒しちゃうなんて……驚いたわ」


 よく分からないが、助けたことに恩義を感じてはくれてるのかも。これならば。

 するとカインが慌てた様子で言った。


「それより、今は怪我人の手当だ。マキナ、手伝ってくれ」

「わ、わかった」


 無事に生き残った四人は転がってる二人の仲間を抱き起こし、手当を始めた。

 倒れてる一人はユウの知らない傭兵だ。腕や胸に外傷があるが、急を要する怪我では無い。

 二人目の巨漢の顔は嫌でも覚えてる。確か名前はオルドラゴ。再三にわたりユウに突っかかってきた奴だ。

 オルドラゴは真っ青な顔で目を閉じ、今にもくたばりそうな様子だ。まさかと思いカインに尋ねる。


「何があった?」

「さっき戦ったサハギンの群れにやられた」

「サハギン?」

「水辺にいる槍を持った魚人だ。奴ら自分の血を槍に塗ってやがる」

「血……?」

「奴らの血は俺達にとっちゃ猛毒さ」


 マレと同じ。やはり毒だ。


「くそっ、ここの魔物は聞いてた情報より遥かに強い。ミノタウロスがいるなんて聞いてねーよ。迷宮の難易度はA級……いやそれ以上だ……」


 嘆くカインにユウは申し出た。


「すまない、こんな状況でなんだが、実は俺の仲間も彼と同じ状態なんだ。見てやってくれないか?」

「なに?どこにいる?」


 ユウは急いでマレを抱え、カイン達の元まで彼女を連れてきた。

 カインとマキナは青白い顔をした瀕死のマレを見つめて唸る。

 カインが言った。


「時間は?どれくらいたった」

「倒れてから三十分くらいだ」

「てことは、オルドとそれほど変わらないな」

「何か助ける方法は無いのか?」

「……あるにはある、が」


 言葉につまるカイン。

 すると代わりにマキナが答えた。


「ムーンディスペル薬が必要よ」

「ムーンディスペル薬……?」


 その名前にどこか聞き覚えがあった。


「強力な解毒薬よ。でも、私達もそんなもの持ってない……一度迷宮外へ戻るにしても間に合うかどうか。伯爵の使用人たちが解毒薬を持ってるとも限らないし……」


 カインが「くそっ!」と乱暴に地面に拳を打ち付けた。その様子を見ながら、ユウは腰に取り付けた革のポーチからとある薬瓶を一本取り出した。


「なあ、ひょっとしてこれ使えたりしないか?」


 細い薬瓶に詰められた少量の緑の液体が揺れる。

 それを目にしたカインは目を丸くして、


「これ……ムーンディスペル薬か……!」

「この前受けた依頼の報酬で貰った薬だ。薬品名までは覚えてないけど、月治草で作った解毒薬らしい」

「それがそのムーンディスペル薬よ!やったわ……!」


 マキナが嬉しそうにはしゃいだ。


「多分マレのカバンにも1本入ってるはずだ」

「ついてるぜ……!さあ早く、その薬を!」


 カインとマキナはマレとオルドラゴにムーンディスペル薬をゆっくりと飲ませた。


「これで解毒出来るはずだ」


 そう言ってカインが額の汗を拭い、マキナが少し溢れた涙を拭って「ありがとう……本当に助かったわ……」と笑った。

 続いてカインがユウの手を強く握った。


「ありがとなあんた……えと名前は」

「ユウだ」

「ユウ、ミノタウロスから助けてもらっただけじゃなく、薬まで……おかげで俺も仲間も助かった。本当に感謝する」

「あ、ああ」


 ユウは視線を逸らしため息を漏らした。

 なんだこの反吐が出る展開は。こいつらに恩を売れたのはいいが、仲良しこよしをしたい訳じゃないし、変に仲間意識を持たれても困る。

 するとカインがオルドラゴの身体を肩に担ぎあげた。


「さあ、解毒も済んだことだし、怪我人達を連れてここを出よう」

「ちょっとまて、ここを出るって迷宮をか?」

「……?そうだが」


 カインは言うまでもないなんて顔をするので、ユウは驚いてしまった。


「宝は、神殿は目の前にあるのに……」

「気持ちはわかるけど……怪我人を三人も抱えた状態で迷宮最深部に挑むのは無理だ。ここは撤退するしかない」


 ――撤退……だと……。


 冗談じゃない、と思う。あれだけ苦労したのに、こんなところで引き下がれるか。最悪一人ででも神殿に、そう思った矢先のこと。

 ズガンッと神殿の鉄門が鳴り響いた。

 見ると鉄門の中心部が、内側から巨大な何かに殴り付けられたようにベッコリと歪んでいる。

 まさか。

 ズガンッ、ズガンッ、と音を立てて門が揺れ動く。そして四発目にしてついに、鉄門が派手に破られた。

 神殿内の暗闇からぬるっと姿を現したのは、真っ黒な毛並みと分厚い筋肉に覆われた人型の巨獣。そいつの頭部からは悪魔の様に捻れ曲がった角が突き出し、獅子のような凶悪な牙と爪が威圧的に剥き出しとなっている。

 黒き魔物は吠えた。その恐ろしい顎から強烈な炎と威圧を解き放つ様に。

 全員の身体が痺れるほどの恐怖と絶望が撒き散らされる。


「ま、まさかあれは……バルログッ……?伝説の悪魔だぞ……!?」


 カインが上擦った声を上げると、バルログの足元から無数の骸骨がわらわらと蛆の様に這い出てきた。


「こ、今度はなんだ……何なんだ……」


 背筋も凍る絶望的な光景に、名も知らぬ一人の傭兵が悲鳴をあげて逃げ出した。


「お、おい待て……!」


 カインが止めるが、逃げ出した男は止まらず走り抜ける。

 その先で、男の悲痛な叫び声が響いた。

 見れば数十体近い魚人の群れが槍を構えて躙り寄って来ているのが見えた。


「か、囲まれてる……!」


 マキナが酷く動揺した声を漏らす。

 背後からはバルログの重い足音が近づいてくる。

 前方からは奇っ怪な鳴き声を発する魚人の群れ。

 万事休す。まさにその状況に、全員の鼓動が早まる。

 そんな最中、


「全員伏せろ」


 呟く様にユウがそう言った。

 次の瞬間、強烈な爆炎が魚人の群れを一瞬で焼き払った。こいつらに炎が有効なのは知っている。散らばる前に火と風の複合魔術で一掃するのが手っ取り早い。

 しかし安心するのも束の間、背後からは既にバルログと骸骨兵の大群が迫って来ていた。

 負傷者三名を抱えていてはきっと逃げきれない。

 ユウは抱き起こしたマレを半ば押し付けるようにマキナに預けた。


「マレを頼む」

「ちょっと、あなたは……!?」


 ユウは静かに剣を抜き、魔物の群れに相対した。


「俺が時間を稼ぐ。その間に行け」

「でも、あなた一人では」

「行ってくれ。時間が無い」


 その覚悟の見えるユウの背中に、誰もが息を飲んだ。

 するとマキナに抱えられていたマレが微かに目を開けて、消えそうな声で言った。


「だ……だめ……ユウさん……」


 ユウは振り向くことなく剣を構え、その刀身から光を放った。


「行けッ!」


 叫ぶと同時に、魔物の群れに飛び込んだ。

 パーティーリーダーであるカインは歯を食いしばり、大声で指示する。


「行くぞ、全員撤退だ!」


 負傷者を抱えた傭兵達は魔物達に背を向け走り出す。

 マレは遠ざかる彼の背に弱々しく手を伸ばすが、その手は虚しく空を切る。


「ユウ……さ……」


 最後に振り絞った掠れた声は、直後に起こった爆発音に飲まれて消えた。



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