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28.遺跡上層部

 コツコツと響く革靴の音。湿りを含んだカビっぽい空気。

 長い長い階段を上ると、その先から微かに外気が流れ込んでいた。


「やったぞ、出口だ」


 ユウの声が小さく反響する。

 マレが顔を上げると、確かにその出口から外の空気が入り込んでくるのがわかる。しかしその空気は冷たく湿っていて、どこか澱んでいる。

 けれど外へ出られることに変わりない。ようやく外へ出られるのだ。その思いでマレは疲労の溜まった足を無理やりに動かした。


「――っ」


 階段を登り切り、やっと外の空気にありつけた。

 しかし苦労して這い出た外気は、激しい雷雨に見舞われていた。更に夜の暗闇も相まって恐怖心が撫でられる。時折上空に走る雷が、疲弊しきった身も心も竦ませるようだった。


「大荒れだな……」


 ユウが外套のフードを被って呟いた。

 走った。激しさを増す雷雨の中、水溜まりを踏み付けて廃墟の街を駆け抜ける。

 突然、ユウは近くにあった廃民家の前に向かって立ち止まり、目の前のボロボロに半壊した扉を乱雑に蹴破った。

 マレは突然の彼の行動に驚きはしたものの、すぐにその意図を察して彼の背中に続いた。

 踏み入った民家内は埃っぽくて、じめじめとかび臭い。けれど建物自体は運良く風化に耐えきっており、壁も天井もまだ生き残っている。おかげでここなら雨風は凌げそうだ。


「ここで今夜は凌ごう」


 そう言ったユウは足で乱雑に瓦礫やガラクタを押し退け、その場に腰を下ろした。マレもその動作を真似るようにゆっくりと座り込んだ。

 濡れた衣服を限界まで脱いで、壁に吊るしたロープにぶら下げる。朝までに乾くだろうか。マレがそんな心配をしながらふと隣に視線をやると、短パン一丁の半裸になったユウがいた。

 服の上からじゃわからなかった鍛え上げられた筋肉は美しさすら感じる。思わずマレは見惚れて口を開け、続いて薄着になった自分の身体を見下ろして、何だか胸の内側から羞恥心が込み上げてくるのを感じた。

 マレが羞恥に頬を染めている頃、ユウは先程蹴り壊した入口扉前で既に作業を開始していた。

 練り上げたマナで地魔術によって石壁を作り上げる。

 魔術によって出現した岩の塊がゆっくり、またゆっくりと膨れ上がり、上手い具合に壊れた入口を塞いだ。


「はぁ……」


 思わず息がこぼれる。

 やはり地魔術は苦手だ、と思う。

 地魔術はユウの特に苦手とする魔術だ。マナで固形物質を作り出すなんて等価交換に反すると言うか、イメージがしづらいのだ。加えて構築速度、マナの変換効率、どれもとってもお粗末極まりない。使い勝手の良い属性だし、早く苦手意識を克服したいところだ。

 入口を塞ぎ終えたユウは素足でぺたぺたと鞄に歩み寄り、ごそごそと中を漁る。

 あった。


「ほら」


 ユウは鞄から取り出した携帯食料の干し肉をマレに向けて放り投げた。

 彼女は危うくそれを取り落としそうになるが、何とか両手でキャッチ。「ありがとうございます」と呟いて噛み付いた。

 ユウも右手に持つ干し肉をパリッと噛みちぎった。

 硬いグミのような食感。干されて尚も残る羊の臭みが癖になる。


「疲れただろ。それ食ったらもう寝な」

「でも、ユウさんは?」

「俺は一応、周囲を警戒しておくよ」

「でしたら交代で……」

「大丈夫。俺はそんなに疲れてないから」


 ユウとしては彼女に見張りをさせるなんて信用ならない。せっかく見つけた宝を持ち逃げされたらどうする。


「そんな、疲れてないはず無いですよ……!あんなにずっと戦ってらしたのに……それに高度な魔術だっていっぱい……心配だったんです。きっとマナも限界に近いのでは……?」


 マレはそう言うが、実際には体内のマナは有り余っている。超回復によって体力も全快だし、本当に休息を取らなくとも平気だった。こればっかりは天恵に感謝している。


「大丈夫だよマレ。俺に任せて、今は休みな」

「ユウさん……」


 マレは困り顔のまま、渋々と小さく頷いた。


 室内はしんと静まり返り、外で鳴り響く雷雨の音だけが残った。

 毛布に包まったマレが壁に靠れるように目を閉じている。彼女が寝床についてどれくらいたっただろう。もう寝ただろうか。そう思った矢先、背後からクシュンっと可愛らしいくしゃみが聞こえて、彼女がまだ寝付いていないのだと気づいた。

 ユウは溜息を漏らしながら彼女の側へと赴き、掌の上に小さな炎を灯した。

 小さく揺れる炎が二人の間を暖める。


「ありがとうございます……」

「いいさ。ちょうど俺も身体が冷えてたところだ」


 そう言ったあと、ユウは何も言わず炎をただじっと見つめた。

 この淡い光を見つめていると何だか落ち着く。暖かい熱が心を穏やかにするようだ。

 沈黙が続く。その最中、


「ユウさん」


 マレが炎を見つめながら囁くように言った。


「私あの時、勇気をだしてユウさんに声を掛けて良かったです」

「え?」

「だって今まさにこの状況が、私が子供の頃に憧れていた夢そのものですから。ずっとこんな日を思い描いていました。傭兵になって、ユウさんみたいな素敵な方と仲間になって、危険がいっぱいで、けれど心躍るような冒険に挑むんだって」


 マレは穏やかな表情でそう言った。


「けれど今日ここへ来て、私一人じゃとても無謀な夢だったなって、改めて実感しました。ユウさんがいてくれなければ、私は迷宮に踏み入った最初の一歩で死んでましたからね…………だから、心から思います。あなたがいてくれて本当によかった。私の夢、叶えてくれて……本当にありがとうございます」


 彼女は笑った。彼の心臓を握り潰すかのように。

 炎色に淡く照らされた潤んだ瞳、柔らかな微笑み。その全てが暴力的に彼の心を揺さぶってくる。嘘も偽善も建前も無く、彼女は心から言葉を述べている。そうでなければ、こんな顔出来るはずない。


 ――うるさい黙れ。情なんて殺せ。誰も信じるな。また、同じ過ちを繰り返すつもりか……。


 彼女がどんな気持ちで、どんな言葉をかけようと無駄だった。もう手遅れだった。あの日の呪いがある限り、あの日の誓がある限り、ユウは誰も信じることは出来ない。

 ユウは炎を握り潰すように消して言った。


「もう寝よう」


 その言葉は寂しげに響いた。


 ――


「晴れましたね」


 嘘みたいな快晴を見上げてマレが微笑んだ。

 昨夜の嵐が嘘のように空は晴れ渡っている。つい忘れそうになるが、ここは上空に浮かぶ島だ。天候の移り変わりは激しいのかもしれない。

 そして何よりもの変化は目の前のこれだ。見上げた先に聳える巨大な神殿。昨夜は夜闇と雷雨で気づかなかったが、地下道を通ってきた二人はかなり神殿のある迷宮最深部へと近づいていたみたいだ。


「宝も手に入ったし、神殿にも近づいた。結果的に地下道を通ってきて正解だったな」

「ですね。あと少し、頑張りましょう!」


 マレの張り切った声を合図に、遺跡探索は再開された。


 それから暫く進んだ頃、突然ユウは足をピタリと止めた。


「ユウさん?」


 隣でマレが首を傾げる。

 常人離れしたユウの聴力が確かにそれを捉えたのだ。


「水の音だ……」


 そう言い残して走り出したユウを「あ、待ってください……!」とマレが追いかける。


 やっとの思いでユウの背に追いつき、マレが肩で息をしながら顔を見上げると、そこには轟音と共に流れ落ちる大きな滝があった。

 滝はこのすぐ真上から大量に流れ落ち、すぐ隣の大水路に川を形成していた。

 ここまで来て二人はようやく遺跡の構造に気づいた。遺跡は上層と下層の二つに別れていたのだ。二人がこれまで進んでいたのは下層の遺跡。これより先の神殿に向かうには上層へと登らなければいけない。

 今もとめどなく流れ落ちるこの青い滝水は、上層の遺跡のどこかから来ているのだろう。

 二人が周囲を見渡したところ、パッと見で上層へ続く階段などは見当たらない。


「ユウさん、どうしますか?」


 マレが尋ねるとユウは少し考えた素振りの後、マレに視線を向け、そして徐に彼女に歩み寄った。そして、


「え?なに?え、え!?」


 マレの身体をお姫様抱っこで軽々担ぎあげた。

 顔を赤く染めて、ミニスカートを抑えるマレ。


「いまさら階段なんて探してられない。飛び越えよう」

「ほえ!?」


 見上げた上層。距離を見るに約三十メートルといったところ。飛べない高さじゃない。


「しっかり捕まれよ」

「ちょっとまっ」


 マレが目をぎゅっと閉じてユウにしがみつく。

 ユウはマレを抱えたまま、両足を揃えて大きく飛び上がった。

 突風のような勢いに二人の髪や衣服が掻き乱れ、すぐ真下、空中でその目に映り込んだのは迷宮上層の廃墟と巨大な水源だった。

 遅れてぶわっと浮遊感が襲い来るが、マレが悲鳴をあげるまもなくスタンと上層の地に上手く着地を決めた。

 地に足着いても尚、目をぎゅっと閉じているマレ。


「マレ、見てごらん」


 その声を聞いて腕の中でしがみつくマレが、ゆっくりと目を開いた。

 彼女が吐息を出して驚いた。

 上層の街の中心部には広大な湖があったのだ。青く澄んだ湖の中心部には大きな翡翠の石が浮かんでる。よく見るとその大石からは今も透き通った水が溢れ出ていた。

 まさか何百年もの間、この街が滅んでも尚あの石は湖を枯らすことなく水を産み落とし続けたのだろうか。

 神秘的な光景に二人は思わず息を飲み、しばらくの間立ち尽くした。


 二人は上層の廃街を、水路の縁を沿うように歩いた。神殿は目前にまで迫っている。あと少しで迷宮最深部に辿り着ける。

 あと少し。期待に早まる足取り。周囲への警戒が疎かになっていた。


「ユウさん!」


 彼女の声でハッとしたその時には既に敵の接近を許していた。

 水飛沫を上げて水辺から這い上がってくる魔物の群れ。手に錆び付いた三叉槍(さんさそう)を持った魚人の様な怪物が八、いや九体。全身の鱗をギラギラと光らせ、嫌悪を感じる醜悪な顔面で叫び声を上げた。

 一斉に襲い来る魔物の群れは容赦なく二人に槍を向ける。


「下がれマレ……!」


 マレを庇うように立ち塞がり、敵の攻撃を剣でいなす。

 隙をついて先頭に立つ魚人の身体に剣を振るった。

 ガキンと強烈な斬撃が鱗を削り、魚人は後ろの仲間を巻き込んで弾け飛ぶ。

 がしかし、


 ――傷が浅い……こいつら硬ぇ!


 吹き飛んだ魚人は腹から血を流しながらも両断を退け、即座に戦闘に復帰してきた。

 奴らから感じ取れるマナも強い。これまで対峙して来た魔物よりも数段強い。


 ――数が多い。マレを庇いながら一匹ずつ仕留めるのは厳しい。


 だが敵の群れは待ってくれない。

 即座に判断したユウは左手にマナを練り上げ、風魔術を発動した。

 発生した突風が周囲の魚人達を押し除け、吹き飛ばす。

 マナを練ってから即座の発動でこの威力。やはり風魔術だけは他に比べ飛び抜けて手に馴染む。

 ユウは更にマナを込めて多量の酸素を生成、圧縮し、槍を構える魚人の群れに向けた。


「フレアバースト……!」


 轟音を上げて、指向性を持った高熱の爆炎が前方に放射される。今回は周囲への被害を考慮していない。そのため地下道でグールに放った時とは火力の桁が違う。

 強力な火炎は前方にいた魚人達を一瞬で吹き飛ばし、尚も止まらぬ熱風でユウとマレの肌を刺した。

 熱風に揺らめく黒髪と外套のマント。その背中を見ていたマレは、ただただ口を開けてその強さに驚く他なかった。

 ユウにとって火魔術は決して得意では無かったが、成村のように風魔術を複合すればこの様に強力な一撃に昇華できる。その感覚を掴んできた。

 ユウは魔術の出来栄えと魔物の一斉討伐に「よし!」と拳を握った。

 この爆発だ。敵は全滅した。きっと誰もがそう思うだろうし、当然ユウもそう思っていた。

 突如、爆煙の中から飛び出した黒焦げの一匹。奴は壊れかけた三叉槍を突き出してユウの顔面、いやその後ろにいたマレを捉えていた。


「――――ッ!?」


 小さく肉が抉れる音が耳に届き、ユウの肝が冷える。

 即座に剣を振るって魚人の身体を斬り飛ばし、追撃で奴のかっぴらいた口内に剣の切っ先を捩じ込んだ。

 喉から脳みそを破壊された魚人は剣に突き立ったままぐったりと生命活動を停止した。

 ユウが額に汗を滲ませ即座に振り返ると、そこには右肩から血を流し膝を着くマレの姿があった。


「マレ……!」


 すぐに駆け寄る。


「す、すみません……」

「謝るなっ……それより怪我を……」


 ユウは慌てて鞄から水の入ったボトルを取り出し、キャップを開けて、ありったけを彼女の傷口にぶっ掛けた。

 傷口に水が染みるのか、マレは歯を食いしばって眉間に皺をつくる。

 傷口の洗浄を終えたあと、ユウは鞄の中を漁って薬の入った小瓶を幾つか取り出す。どれも先日薬屋で購入した物品だ。

 一つ目に使用したのは塗り薬の入った瓶だった。ケイライの葉と発酵したペカの実を潰し調合した軟膏だ。殺菌作用を持ち、傷の治りを早める効果がある。

 薬を傷口に塗り終えたあとは包帯を取り出し、キツく彼女の細腕に巻き付けた。止血が間に合わず、巻き付けた包帯に血がじわりと滲む。深い傷では無いが油断出来ない。

 次に取り出したのは飲み薬だ。ケイライ、ペカ、ヘタイロ、タンケロスの樹皮などを混ぜ込んだ煎じ薬だ。鉄製のボトルに煎じ薬の葉粉を入れ水で浸し、火魔術でボトルを熱し煮詰める。

 少しすると煮詰まった汁が茶色く濁ってきた。


「これを飲んで……」

「……っ」


 マレは眉をひそめながらボトルの中身を一気に飲み干した。

 きっと物凄く苦いんだろうと思うが、そんなこと言ってられない。

 傭兵の死因の多くは怪我による感染症だ。これらの薬はそれを防ぐ為に作られたもの。どれ程の効力かは知らないが、これに救われた人間は多いと聞く。


「どうだ?平気そうか?」


 そう聞くとマレは怪我した腕をゆっくりと回して笑った。


「もうへっちゃらです。ご迷惑をおかけしました」

「いや、迷惑だなん……て」


 そう言いかけたところで、ユウはまたしてもハッと気づく。彼女の怪我を見て随分慌ててしまった。これでは何だか、自分が彼女を心配しているみたいじゃないか。今この女に死なれるのは困るのだ。彼女は弱いし足でまといだが、この先で人手が必要になることがあるかもしれないし、迷宮や魔物についてはユウよりも多少知識がある。それに迷宮から帰還したら腕利きの鑑定士を紹介してもらう約束もある。まだここで使い捨てるには勿体ない。

 ユウが自分の行動に整合性を求め首を振ると、


「ユウさん……」


 マレが妙な上目遣いで言った。


「その、心配してくださって……ありがとうございました。凄く、嬉しかったです……」


 彼女が少し頬を染めて笑った。

 ユウは歯を食いしばり、彼女から視線を背けた。

 そして何も言わず立ち上がる。


「先を急ごう。敵が強くなってきてる。ここに留まるのは危険だ」


 ユウは彼女から視線を逸らしたまま、苛立ちを押さえて足を進めた。




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