【第3話】小人の青年
『人間は、私たち小人に嘘をついている。』
『自ら命を絶つことにする。』
ティナは思わず手記を落とした。
角が床に当たって硬い音を立て、開いていたページを見せたまま手記は床に転がる。
それでもティナはクリスティーナの筆跡から視線を外すことができず、呼吸がどんどん浅くなっていく。
(本物のクリスティーナが死んだのは、事故じゃ、ない…?)
(ケイは、嘘を、ついている…?)
そこはかとない恐怖が、ティナの心を急激に支配した。
力が抜けて床にへたり込み、肩で息をする身体は震えが止まらない。
「何か物音がしましたが、大丈夫ですか」
ギイッと音が鳴り、様子を伺いに来たケイが扉から顔を出した。
「…大丈夫。ちょっと、物を落としちゃっただけ」
声が上ずりそうになるのを必死に抑えて取り繕う。
今ケイに顔を見られたら、動揺が伝わってしまいそうだった。
「そうでしたか…お気をつけください。では、失礼しました」
幸い彼は小人邸の中を探ることなく、自室に戻ってくれた。
深く息を吐いたティナは、小刻みに震える両手を合わせて自分に落ち着くよう言い聞かせる。
ケイはあんなに小さな物音でも聞き逃さない。だから、手記の先に何が書いてあっても、声を出したり、物音を立ててはいけない。
床に広がった手記のもとへ屈み、ティナは意を決してインクの滲むページの端を掴み、めくった。
『あなたが真実を知りたいというのなら、』
『まずは図書室に行きなさい。ただし、そこでは誰にも見られてはいけない。』
『きっとそこで、真実の一つを知ることができるでしょう。』
「『こびと様』用の本、ですか? ティナ様のお邸内の書斎にもございますが」
「……もっと勉強したいの。伯爵邸に行くまでに、早く学ばないと…でしょう?」
翌朝、ケイが持ってきた朝食のクロワッサンを食べながら、ティナは交渉に挑んでいた。
ちなみに、かじる度に軽い音を立てるクロワッサンは、綺麗な三日月形でパイの層も焼き目も完璧な逸品だ。ほのかに焦げたバターの香りが食欲をそそる。
人間には小人用の小さな料理作りに特化した人物がいるのだろうかと考えながら、ティナはさくっと軽い触感を楽しむ。
だが、重要な交渉であるためにしっかりと気を引き締めていた。
たとえどんなにクロワッサンが美味しくても。たとえ、あれからティナへの呼称を「クリスティーナ様」ではなく「ティナ様」に代えてくれていたとしたも―――ケイを完全に信用してはいけない。
手記の内容が本当ならば、彼はティナに嘘をつく人間なのだ。
「勉強熱心なのは、とても素晴らしいことでございます。では、私が何冊か見繕ってお持ちしましょう」
「あ…そうじゃなくて……自分で本を選びたいの。いろんな本を見れば、何か故郷の手がかりを、思い出せるかもしれないから」
ケイは口元に手を当てて悩む姿勢をとった。
手に持ったクロワッサンを見つめて緊張しながら返答を待っていると、頭上から「かしこまりました」という承諾の言葉が降ってきた。
ぱっと顔を上げると、ケイは「ですが」と続ける。
「図書室にご案内できるのは、ご夕食後です。それまでは他の『こびと様』や『こびと付き』―――こびと様にお仕えする者たちの出入りが多いので」
ティナが頷くと、ケイはひとつ忠告をした。
「それから、もし誰かに遭遇したとしても、決してお名前を名乗らないようにしてください」
「どうして? …クリスティーナって、言えばいいんでしょう」
「いいえ、名乗らずに誤魔化すのです。クリスティーナ様はお部屋で過ごされることが多かったため、そのお顔を明確に知る屋敷の人間は私のみです。―――が、万が一にも『クリスティーナ』と名乗るあなたに疑念を抱かれることがあってはならないからです」
どうやらケイは、ティナの素性が露わになることを恐れているようだった。
まだクリスティーナとしての振る舞いが身に付いていないティナを、そのまま人前には出せないということだ。
「奇跡的に回復した『こびと様』として、今あなたは屋敷の注目を集める存在です。下手に目立つことは極力避けましょう」
「…わかった」
「では、図書室は後ほどご案内するとして、今日もお勉強の続きをいたしましょう」
今日もにこやかに分厚い教科書を広げ始めたケイに、ティナは苦々しい表情をした。
夕食後、ケイがティナの前に置いたのは、ティナの背丈と同じ大きさの綺麗な箱だった。
上部には手持ちランプのような取っ手がつき、本体は金の装飾で縁取られ、こちらに向かって開かれた一面のみがガラスで作られている。
箱の中を覗くと、柔らかそうな小人用の椅子が鎮座していた。
「こちらにお乗りください」
箱の中へと手を向けたケイに従って中へと入ると、ガラス面がゆっくりと閉まりカチャという音とともに固定された。
不思議と居心地のよい箱の中を見渡していると、ガラス面の上側に布がかけられて視界が半分遮られる。おそらく、ティナの顔を隠すためのケイの計らいだろう。
クリスティーナの顔を知るのはこの屋敷でケイだけだと言っていた。それでもこんな措置までとるなんて、彼はかなり警戒心が高いようだ。
「少し揺れるのでお気をつけください」と言われた直後、箱が地面から離れて浮きあがる感覚がした。
その後は大した揺れもなかったが、ガラスを通して見える景色から、絨毯の敷かれた薄暗い巨大な通路を進んでいることが分かった。
ティナが初めて見る部屋の外の景色を注意深く見ていると、突然、背後から声がかかった。
「ケイ、こんな時間に『こびと様』を連れて何をしているんだ」
どうやらケイが同僚に呼び止められたらしい。
くるりと後ろに回転したガラス越しの景色は、人間の大きな革靴を写した。
初めて見るケイ以外の人間にティナが身体をこわばらせる一方で、ケイは落ち着き払って自然に返答する。
「少し気分転換されたいとのことだったので、屋敷の中を散策していたんです。…もうすぐ出立を控えて、緊張されている『こびと様』でして」
「…そうか」
うまく言い訳を並べたケイが「それでは」と言って再び歩き出そうとしたとき、男はケイを制して徐々にティナの方へと歩み寄ってきた。
声は出していないし、顔も見られていない。
何かまずいことをしてしまっただろうかと、迫りくる巨大な存在にティナの緊張が高まる。
しかし、男はティナの前で止まると、徐に頭を下げた。
「せっかくの散策をお邪魔してしまい、申し訳ありませんでした。失礼いたします」
そう言い残して男は去っていった。
ケイはまた廊下を進み始めるが、ティナの心臓は未だに早鐘を打っていた。
そのせいだろうか。ガラス越しに見える廊下の景色が、先ほどより早く動いているようにも感じた。
「ここは『こびと様』しか入れないので、私は少し離れたところから他の者が入ってこないよう見回って参ります。30分ほどしたらお迎えにあがりますから、それまでに本をお選びください」
図書室の入口に降ろされたティナは小さく頷き、目の前にある小人用の扉を引き開ける。
いってらっしゃいませ、というケイの声は、閉まった扉の向こうに取り残された。
木と紙の香りに包まれたそこは、見渡す限り本で埋め尽くされていた。
壁にそって並ぶ棚は2階構造になっており、上階の棚には一つ一つに柵と床が取り付けられている。そこへは、部屋の中心にある回転式の階段を使って登ることができるようだ。
しんと静まり返った幻想的な図書室に少し見惚れたのち、すぐにティナは気を取り直して懐から手記を取り出した。ケイに見つからぬよう隠し持ってきたのだ。
昨日夜が更けるまで読み込んだページを、再度開き直す。
『図書室の入口から見て、2時と3時の方向にある本棚の間を調べなさい』
その指示通り、ティナは下段にある2つの本棚の微かな隙間を手で探る。
しかし、特別なものは何もないようだった。
(もしかして、上…?)
このままではすぐに迎えの時間が来てしまうと感じたティナは、すぐに試行を切り替える。
部屋の中央に行き、重たいレバーを力いっぱい回す。すると、徐々に階段が回転し、目的の棚付近へと近づけることができた。
タッタッと階段を駆け上がり、柵から身を乗り出して棚の間を探ってみる。と、ただの壁のように見えたそこは、ズッ…と外側へ押し込むことができた。押し込んだ部分はギィ…と音を立てて扉のように開かれる。
ティナは覚悟を決めて柵の上に足をかけ、扉の先へと飛び込んだ。
壁を通り抜けた先には、先ほどの図書室の何倍もの大きさの棚と本が並ぶ―――『人間用の図書室』が広がっていた。
圧倒されて呆けそうになる顔を両手で叩き、次の段階へ取り掛かる。
『その先は、人間用の図書室。そこにある棚の2段目です。』
『先に記した道具を使って床に降り、隣の棚の下へ向かいなさい。』
ティナはふわりと広がったスカートの内側から、人間用の縫い針とリボンを取りだした。これらは物置部屋にまとめて置かれていたもので、手記によると目的地に辿り着くために必要な道具なのだという。
とりあえず床までの高さを把握しようと下を覗き込めば、手記に書かれていたことの意味はすぐに理解できた。人間用の棚は一段一段が高いため、ひとつ下に飛び降りるだけでも小人にとっては重症になりかねないのだ。
ティナはリボンを通して結んだ縫い針を、棚に向かって思い切り突き立てた。かなり古びた棚だからか、思いのほか簡単に刺すことができた。そのまま針から垂れ下がるリボンを伝ってするすると床まで滑り降りていく。
ついに床へと着地したティナは、隣の棚の下へと走り込んだ。かなり狭い隙間だが、少し屈むくらいで余裕をもって入れそうだ。
『そこに、真実の手がかりが置いてある』
手記に記された目的地へと辿り着いたティナは、薄暗がりの中、慎重に辺りを見回した。
しかし、何かがあるようには見えない。
図書室の隠し扉のように何か細工を探さなければならないのかもしれないと考えたティナは、床をコンコンと叩いてみたりして、必死に違和感を探し続ける。
そのとき、床に不可思議な模様が存在することに気がついた。
(―――ちがう。これは、床の模様じゃない。……紙?)
ティナが床だと思っていたそれは、展開された一枚の古びた紙だった。
紙の端に立ち、目を凝らして模様の全体像をつかんでみる。
(雲…のうえに、たくさんの、小さい…人…?)
点々とした模様は、抽象的ではあるが、よく見れば人のかたちをしていた。
地上を見下ろすように小さい人々が雲の上にひしめき合っており、その上から大きくバツ印が記されている。
暫くその抽象画を眺めて意味を考えるが、明確な答えを導き出すことはできなかった。
(…! もうすぐ、ケイと約束した時間)
しかと画の内容を頭に焼き付け、急いで戻ろうとティナは棚の下から出る。
だが、その場で立ち止まり、絶句した。
―――先ほど棚に刺しておいたはずの針とリボンが消えていたのだ。
あれがなければ、棚を登って帰ることができない。
早く戻らなければいけない焦燥感と、帰り道を失った絶望感。その板挟みでティナが固まっていた直後、背後から何者かに触れられた感触がした。
バッと身体を抱えられたティナは、一瞬のうちに向かいの棚の裏へと連れ込まれる。
突然の出来事に声も出せずに後ろを振り向くと、そこには―――青年の姿をした小人がいた。
思わず驚きの声が飛び出そうになったが、その前にティナの口は彼の手によってふさがれた。彼は、もう片方の手で口元に人差し指を立てている。
状況を読み込めず混乱していると、コツコツと人間の足音が近づいてきた。
そっと本の隙間から通路側を覗けば、革靴を履いた巨大な足が本棚の間を進んでいくところだった。
無事に通りすぎたのを確認して安堵していると、彼が急にパッとティナから手を離した。そのせいで、よろけてしまったが、とにかく助けてもらったお礼を言おうと口を開く。
「あ、ありが―――」
ティナの眼前に、鈍く光る針の尖端が突きつけられた。
それは、ティナが持ってきた針とよく似たものだった。
「…お前の名と、お前を担当している『こびと付き』の名を言え」
低く威嚇するような声で、目の前の小人はそう告げた。
徐々に首元へと近づく針に背筋を冷やしながらも、ティナは首を横に振る。
「い、言えない」
「なぜだ。何か後ろ暗いことでもあるというのか」
ティナは、図書室に来る前にケイと約束したことを思い出していた。
もしここで名乗り、この小人が本物のクリスティーナやケイについて知っていた場合、他の『こびと付き』に報告されてティナの立場が危うくなる危険性がある。そうなれば、ようやく見つけたクリスティーナの残した手がかりや、故郷を見つける悲願から遠のくかもしれない。
「…すべて吐かなければ、ここから帰すことはできない」
じりじりと迫って来る彼に、ティナは一歩、また一歩と後ずさりする。
「言え! どうやってここに来た」
威圧感の籠った声にびくりと肩を震わせたそのとき、ティナの服の裾から何かが床へと滑り落ちた。
「……っ、これは…!?」
ティナと彼の間に落ちたのは、クリスティーナの手記だった。
彼は驚いた反応を見せ、ティナと手記とを交互に見る。
そして、警戒心を保ったまま、針を持つのとは逆の手で手記を拾い上げ、ページをめくり始めた。
最初のページを見た瞬間、彼の表情が変わった。
「……。そうか、彼女は…」
手記を読み終えて深く溜息を吐いた彼は、ようやく針を下ろした。
もうその目に、敵意は感じられなかった。
「図書室までは、『こびと付き』と一緒に来たのか」
「う、うん」
「なら、そろそろ戻らないとまずいか」
途端に言葉の端に柔らかさを込めるようになった彼は、「ついて来い」と言って棚から抜け出した。
そのとき彼が歩く姿を見て初めて、彼が片足であることに気がついた。
彼は針を支えにして悠々と移動し、ティナが最初にやって来た棚の前まで来ると、手に持っていた針を横向きに差し、鮮やかな身のこなしでその上に立ってみせた。さらに背中に刺していた別の針を頭上へ刺して新たな足場とし、軽々と棚を一段登っていく。
その滑らかな動作に見惚れていると、彼はティナに目線で登ってくるよう促してきた。
彼が刺した一つ目の針に両手を伸ばし、腕の力だけで身体を持ち上げる。しかし針の上は不安定で、気をつけないとすぐに落下してしまいそうだった。バランスがとれているうちに急いで二本目の針に移る。ようやく棚の縁へ手が届くと、彼はティナの手をとって引き上げてくれた。
ティナが無事に登り切ったのを確認すると、彼は針に通してある糸とリボンを引っ張って針ごと回収する。
そのまま一緒に隠し扉を抜けて小人用の図書室へ戻ると、ティナは一気に緊張感から解放され、腰を抜かしてへなへなと座り込んだ。
「針は都度回収した方がいい。奴らに見つかる」
差し出された針とリボンを受け取りながら、たしかに針を刺したままにしたのは不注意だったと気づく。
「…それからこの隠し扉も、開けた後は必ず閉めろ」
「ご、ごめん、なさい」
「次から気をつければいい。それで、―――お前は誰だ」
先ほどと同じ質問を投げかけられ、ティナはきまり悪そうに針を握りしめる。
手記を見てからなぜか彼の雰囲気は柔らかくなった。しかし、このまま彼に名乗ってよいものか、見極めきれずにいた。
そんなティナの様子を見て、彼は問い詰めるのを諦めたように力を抜いて言った。
「…まぁいい。要はクリスティーナの後継なんだろ」
彼の言葉に、ティナは大きく目を見開いた。
「…クリスティーナさんを、知っているの?」
「あぁ、俺は彼女の仲間だ。―――話を続けたいところだが、どうやら迎えが来たようだな」
彼が図書室の扉へ目を向けてから数秒後、ケイの声が奥から聞こえてきた。
「ご主人様、お戻りの時間です」
ケイがこの小人の青年の存在に気づく前に自分から図書室を出なければならない。
数歩踏み出したところで、ティナは自分が勉強する本を探すためという口実で図書室へ来たことを思い出した。ケイに怪しまれないよう、近くにあった適当な本を数冊見繕ってから扉へと向かう。
ティナが扉を開ける前に、小人の彼はこう言った。
「また明日、ここに来るといい」




