【第2話】人間の嘘
「『クリスティーナ様』って、だれ…?」
ティナはこわばった姿勢のまま尋ねた。
「私が以前担当していた『こびと様』であり、先日不慮の事故で亡くなられた方です」
「亡くなった…その人の代わりを、私が……?」
戸惑うティナに対して、ケイはどのように説明しようか悩むように口元に手を当てた。
そんな彼の微笑んだ表情からは感情が読み取れず、笑顔も作られたもののようで気味悪く感じた。
「…あなた、なんでその人が死んだこと、隠そうとしているの?」
答えによっては今すぐここから逃げ出さねばならない。
ティナが警戒態勢をとったそのとき、書斎の向こうからけたたましいノック音が聞こえてきた。
「おい、愚弟。開けろ」
憎悪が滲むようなその低い声に、ティナは思わず身をすくめる。
「…申し訳ありません。すぐに戻ります」
ケイはそう言い残すと、隣の部屋へと戻っていった。
その隙に逃げ道を確保しようと部屋を見渡すが、天井近くに点々と存在する窓くらいしか出口はないようだ。到底届かない高さに位置する窓を見てティナは諦め、それなら少しでも情報を集めようと隣の部屋の会話に耳を澄ませた。
カチャリと鍵が外れる音がした直後に、バンと勢いよく扉を開けた男の高圧的な声が響く。
「聞いたぞ。お前、保身に走ったな?」
「何のことでしょう」
「ハッ…とぼけるな。お前んとこの『こびと様』が回復したんだって? つい先日の報告では、すでに治療法は尽きて死を待つほかないってことだっただろ。それが、奇跡的に生き延びたと?」
「はい、医師の献身的な治療によって―――」
「ふざけるな! そんなデタラメ誰が信じられる? …俺が直接確認する。通せ」
コツコツとこちらに向かって近づいてくる足音が聞こえ、ティナは急いで邸の裏に身を隠した。
しかし、一向に扉が開く気配はない。
「おい、どういうつもりだ? …離せ」
代わりに苛立つ男が威圧感を放つ声が届いた。
どうやら、ケイに行く手を阻まれているらしい。
「クリスティーナ様は容態が安定したとはいえ、まだ刺激を与えず、安静にさせなければなりません。…もし兄さんの行動で彼女の体調が悪化したら、父上はどうするでしょうね」
「……俺を脅しているのか?」
扉の先のピリピリとした緊張感がこちらまで伝わってくる。
その後しばらく続いた静寂は、男の嘲笑によって破られた。
「ハッ、まあ今日はいいだろう。どうせ、引き渡しの日はすぐに来る。『こびと様』が生き延びたっていうのが、ただの一時しのぎの嘘かどうかは、いずれ分かることだ」
「ご理解ありがとうございます、兄さん」
男はケイの態度が気に入らないとでもいうように、軽く舌打ちを残して去っていった。
「お話の途中で失礼いたしました」
ケイは平然とした顔つきでティナのもとへ戻ってきた。
「今のは、だれ?」
「私の義兄で、名をデレックと言います。ですが、記憶されなくても大丈夫ですよ」
彼とあなたが顔を会わせることはありませんので。と付け加えたケイの表情には、皮肉か敵意のような感情が一瞬だけ入り混じったように感じた。
「…さて、先ほどのご質問―――『なぜクリスティーナ様の死を隠し、あなたに成り代わってもらいたいのか』への回答ですが、実は先ほど義兄が言った通りなのですよ。一言で言うならば、私の体裁のためです」
まだケイの思惑がつかめず警戒するティナは、彼から目を逸らすことなく、無言で続きを促す。
「『小人保護機関』が『こびと様』と貴族をおつなぎする組織だというのはお話ししましたね? 私がお世話担当として保護先を探していたクリスティーナ様は、とても優秀な方だったので、保護を申し出る貴族の方がそれは沢山いらっしゃいました。そのためクリスティーナ様の案件は特例とされ、この件を無事にやり遂げれば、私の昇進が確実なものになるはずだったのです」
その約束された成功が、クリスティーナの突然の死によって、すべて消え去った。だから、都合よく現れたティナを使ってクリスティーナの死を隠蔽し、昇進の機会を取り戻したい。
彼が言っていることを一気に理解したティナは、急激に不信感と憤りを感じた。
行き場のないティナを都合よく利用しようとしている身勝手さ。そして何より、亡くなった小人をしっかり弔うことなく、替えが利く駒のように扱う不遜な態度。
すべてに拒絶感を示し、ティナはじりじりと後ずさる。
「不審に思っていらっしゃいますね? ですが、これが最善手なのです。―――あなたにとっても」
何か意味を含むようにそう告げたケイを訝しみ、ティナは鋭い視線を送る。
「それは、どういう意味?」
「…今日はもう遅いので、また明日にしましょう」
寝巻はベッドの上にご用意しております。と言いながら、彼はティナの了承を得ることもなく、部屋を照らしていたロウソクを吹き消していく。
「それでは、おやすみなさいませ」
そうして颯爽と彼が去ると、室内は静寂に包まれた。
先行きが見えない不安と恐怖に苛まれるティナを照らすのは、小さな窓からこぼれ出る淡い月明りだけだった。
「―――ナ、ティナ…!!」
無数の大きな破裂音がけたたましく響く中、誰かがティナの名前を呼んでいた。
焦りや不安とともに森のなかを走り抜けていたティナは、声のする方へ振り返る。
「ティナ、そっちへ行ってはだめだ…!!!」
その必死な叫び声が届いたのと同時に、足場が崩れて支えを失った身体が暗闇へと落ちていく―――。
ぱっと目を覚ましたティナは、見慣れない天井を見て、昨夜自分の身に起きたことを思い出した。
昨夜明らかになったケイの企みを思い出すだけでも気分が優れないのに、やけに焦燥感のある夢を見たことも加わって朝から疲労感を感じながら、ふかふかの布団から身を起こす。
ひらひらと揺れる透き通った天蓋をめくりベッドから足を下ろすと、香ばしい薫りがすっと鼻を抜けた。
「おはようございます、クリスティーナ様」
小人邸を出ると、いくつかの小さな皿が載ったトレーを携えてケイがそこに立っていた。
「……私の名前は、『ティナ』。クリスティーナじゃない」
「ですが、これからは『クリスティーナ』と名乗られるのです。早く慣れていただかなければなりません」
不快感をあらわにするティナを淡々と躱しつつ、ケイは小人邸の中のテーブルへ器用に朝食を配膳していく。
「森で助けてくれたことには、感謝してる。でも、私はまだ、あなたに協力するとは言ってない」
威嚇するようにティナはそう告げた。
今はまだ記憶を取り戻せていないが、ティナは自分がもといた場所に戻りたいと強く思っていた。
彼に利用されるためにここにいるのではないのだと、ケイを鋭く見つめる。
しかし、焼き立てのマフィンを前に空腹の体は正直な反応を見せた。小さな体から鳴った空腹を告げるその音に、ティナは思わず赤面する。
「…どうぞ、召し上がりながら私の話を聞いてください」
気恥ずかしさにムッと唇を引き締めつつも、ティナは綺麗な焼き目のついた生地に一口かぶりついた。
小人サイズであるが、外はさくっと中はふわっとしていて焼き加減が最高だ。
―――完全に胃はつかまれてしまった。
それでも、そのままケイに流されてはいけない。ティナは口をもぐもぐと動かして優しい甘みを堪能しながら、彼の話を真剣に見極める準備を整える。
「クリスティーナ様は、」
「ちがう。『ティナ』」
「……ティナ様は、ご自分がどのようにお生まれになったかご存じですか?」
その問いかけに、ティナは首を傾げた。
ティナは自分の出自について覚えていなかった。それがもともと知らなかったのか、記憶喪失によって忘れたものなのかは分からない。
「この世界では、『こびと様』は特別な花から生まれます。そしてその花の群生地は、すべて小人保護機関によって厳重に管理され、生まれた『こびと様』はすぐに機関の『出生局』という所で保護されるのです」
「……」
「つまり、この世界で生まれた『こびと様』はすべて機関が把握しているはずなのです……が、調べたところ、ティナ様に合致する『こびと様』の情報は一件も見当たりませんでした」
「……要するに?」
「ティナ様は、我々の管轄外で生きてきた、特殊な『こびと様』なのです」
それを聞いて、ティナはさらに深く首を傾げる。
自分が特殊なのだと言われても、いまいちピンとこない。
しかし、たしかに『小人保護機関』という名称を聞いても何も思い出せないため、以前のティナはその組織に何ら関わりのないところで過ごしていたのだろうとは考えられる。
そのようにティナが軽く考える一方で、ケイはこれを重大事項とでもいうように声を落として言う。
「こんな事例は前代未聞です。機関にあなたのことを伝えれば、連中はあなたを最重要研究対象とし、行動や居場所を生涯にわたって制限する事でしょう。…あなたは、それをよしとされますか?」
その問いかけに、ティナは即答した。
「ううん、できるなら全部思い出して…もといた場所…故郷に帰りたい」
「ならば、ここで正体を隠して地道に記憶を取り戻す方がよいはずです。私もできる限り助力させていただきます」
ティナの目に映るケイの見方が大きく変わった。
彼は一方的に自分を利用する人間ではなく、互いの利益のために助力しあうパートナーになりうる。
ケイは昇進のために。一方でティナは安全な所で記憶を取り戻し、故郷に帰るために。
ティナは彼を完全に信頼するわけではなく、取引相手として見ることを選んだ。
「これは、お互いに利のある契約関係です。どうか、協力しあいませんか?」
ティナはケイをしっかりと見据えて、その申し出に了承した。
決して外に漏らしてはならない、小人と人間の秘密の契約関係が成立した瞬間だった。
「―――と、このようにして『こびと様』の崇拝が始まりましたが、『こびと様』を無理やり連れ去り劣悪な環境下に閉じ込めた人々によって、もともと寿命が20年と短く繊細な『こびと様』の数は激減しました。それを救ったのが、現王家の創始者であるカイル一世………ティナ様、聞いていらっしゃいましたか?」
ティナは完全に集中力を切らしていた。目は教科書の文字をなぞるだけで、内容がまったく頭に入ってこない。
あの後、まずはお勉強からですと告げてきたケイによって、この大陸の歴史や文化を学ぶ授業が始まった。
しかし、どうにも今朝見た夢が勉強の合間にちらつく。何かを思い出せそうなのに、思い出そうとすれば鈍い痛みが頭に走る。そんな状態が続いていた。
「ティナ様、どうかしっかりとお勉強に臨んでください。本来3年かけて行う内容を2カ月で習わなければいけないのです。伯爵邸との契約に間に合うよう、ペースを早めませんと」
「…ごめん」
ティナを諭すケイの表情は曇っていた。
ティナだって、自分の故郷を探すためにもこの世界について学ばなければいけないことは分かっている。
しかし、昨日から多くの情報が流れ込んでいるティナの頭は、処理能力の限界を目前にしていた。
しゅんと落ち込むティナの様子を見て、彼は分厚い教本を畳む。
「…ですが、初日から根を詰めすぎるのもよくありませんね。今日はここまでにしましょう。お疲れになったでしょうから、ゆっくりとお休みください」
ケイが部屋を出ていった後、ティナはベッドに身を沈めてうなだれた。
早く勉強を進めなければならないのに…という自責の念と、ケイから習った内容とが、頭の中でぐるぐると渦を巻く。
教えられた情報は、どれも一度聞いただけでは覚えられなかった。
ティナがこれまでこの世界で生きてきたというなら、何かしら聞き馴染みのある言葉や、記憶につながる単語があるはずなのに、まったく引っかかるものはなかった。本当に自分はこの世界で生きてきていたのか疑わしくなるほどだった。
ただ、ふかふかとした枕を手でなぞるティナは、その慣れない感触に、少なくともこのような贅沢な暮らしはしていなかっただろうと思った。
勉強の疲れにより、だんだんと眠気が襲ってくる。
もう寝てしまおうかと、寝返りをうったそのとき。傍にある棚の下に、手帳のようなものが隠すように置いてあるのが見えた。
どうしてもその存在が気になったティナは、眠気を振り払って手帳を手繰り寄せる。
そして、その表紙を見て、鼓動が急速に速まった。
『Christina』
そこに記してあったのは、ティナが成り代わることになっている、あの小人の名前だった。
物置部屋に置かれた先住の『こびと様』の私物には触れないように。―――昨夜ケイからそう言われたのを思い出す。
しかし、ここは物置部屋ではない。それに、協力関係を結んだとはいえ彼への不信感は未だに拭えないし、クリスティーナという人物への純粋な好奇心もあった。
ティナはおそるおそる最初のページを開く。
『この手記を読むのが、どうか同志の「小人」でありますように。』
綺麗な筆跡で書かれた文章は、その一文から始まった。
『ただし、あなたが煩わしいことを知らず幸せに生きたいというのなら、これは忘れて処分しなさい。』
『もし、それでもすべてを知りたいというのなら、この先を読み進めなさい。』
1ページ目は、それで終わっていた。
何だか重々し気な内容に怯みそうになるが、深呼吸をしたティナは思い切ってページをめくり―――そこに記載された文章に目を見開いた。
『人間は、私たち小人に嘘をついている。』
『私は真実に気づいてしまった。だから、20歳になるのを待たず、自ら命を絶つことにする。』




