【第1話】美しい箱庭
「…お迎えにあがりました。『こびと様』」
深夜の冷たい雨が森に打ちつける中、地に伏した獣を一瞥して剣を納めた彼は、ティナと目線を近づけるように跪いた。
執事服を身に纏う、白金色の髪をもった青年。
美しい所作で屈む彼は、ティナの10倍以上の背丈を有していた。
自身よりも圧倒的な巨体を前にして、無意識にティナの身体は硬直する。
自分の頭一つ分に匹敵する、鋭い瞳。
自分の身体を一瞬で握りつぶせる大きさの、手のひら。
今すぐ逃げ出したい思いだったが、地面に投げ出された痛む四肢はティナの言うことを聞いてくれない。
徐々に眼前に迫りくる巨大な白い手袋に、思わずティナは呼吸を止める。
―――だが次の瞬間、その手はティナを繊細に抱えあげ、柔らかく温かな手の中へふわりと収めた。
身体に打ち付けていた雨の衝撃が消え、無意識に力を込めていた四肢も弛緩する。
「もうご安心ください。これからは、私たちがお守りいたします」
彼のその言葉を機に、ティナの意識は段々と遠のいていった。
「…それで? 今回の件についてどう責任を負うおつもりかしら」
ティナが次に目を覚ましたのは、そんな苛立ちを含む女性の声が聞こえたときだった。
しかし、視界は黒一色に包まれ、ここがどこなのか検討がつかない。
この場でティナが感じとれるのは、茶葉の薄らとした香りと、外から聞こえてくる話し声だけだった。
「わたくしは三年前からあなたがたに頼んでいましたよね。最上級の小人を手配するようにと。ようやく迎えられる段階になったと報せが来たときは、主人も非常に喜んでいましたのよ? ……それが数日前に誤って毒を飲ませ危篤状態? 貴族御用達の『小人保護機関』が聞いてあきれる、杜撰な危機管理ですわね」
ティナには、女性が話している内容の意味をすべて理解することができなかった。
ただ、彼女が非常に腹を立てているということだけは、その声色から十分に伝わってきた。
すると、先ほど森で聞いたのと同じ青年の声が聞こえてくる。
「その節につきましては、弁解のしようもなく…大変申し訳ございませんでした。現在、過失の疑いがある者を拘束し、取り調べにより事件全容の解明を急いでおります。彼につきましては、罪が確定し次第、厳重な処罰を下す所存で―――」
「わたくしは経緯や処罰などに興味はなくてよ。知りたいのは、迎えるはずの小人を失ったわたくしに、どのような償いを考えているのか、ですわ」
奥でピリピリとした緊張感が漂っているのを感じて、ティナは思わず息を呑む。
しかし、その空気は次に彼の発した一言で急変した。
「―――生きておられます」
「何ですって?」
「夫人が望まれていた『こびと様』は、生死の境をさまよっておられましたが、迅速な発見と医師の懸命な処置が功を奏し、現在体調は回復に向かっております」
「まあ…!!」
途端に場の空気が緩み、女性は心からの安堵と歓喜を表した。
「それはよかったわ…!! あぁ、そうならそうと早く申しなさいな。こんな夜更けに尋ねて来るものだから、わたくしはてっきり……悪い報告かと思ってしまったじゃないの」
「失礼いたしました。しかし、今回の件でわが機関の管理体制に問題が見られたのも事実であり、お怒りはもっともでございます。今後は二度とこのような事態が起こらないよう、より一層身を引き締めて参る所存です」
「…いいわ、気に入った。たしかに不手際はあったけれど、その迅速な発見と措置によって小人が助かったのも、また事実。あなたの腕は見込んでいるのよ。だから、予定通りあなたを『こびと付き』として招くことにするわ」
「寛大なお心に、深くお礼申し上げます。…それでは、また時期になりましたらご連絡を差し上げますので、本日はこれで失礼いたします」
「お目覚めになりましたか」
カチャと陶器のような音を立てて上の蓋が開き、青年が顔を見せたと同時に、外の冷たい空気が入り込んできた。雨はすでに止んだようで、月と星の淡い灯りも差し込んでくる。
仄かな光によって照らされると、ティナのいる空間の全貌が明らかになった。そこは、白い陶器の壁で囲われた狭い空間だった。よく見ると、天井の他にも壁に小さな穴が一つ空いている。
「申し訳ありません。手近にあったのがこのティーポットだけでして…。居心地が悪かったでしょう」
首を横に振ったティナは、そこで初めて青年に対して口を開いた。
「あなたは、だれ?」
巨大な身体をもつ青年に相対するのは、いまだ恐ろしくて肩が震えそうになる。
しかし、森の中で身動きがとれなくなっていた自分を救い、そして真摯な言動を見せる彼を、ティナは一度信頼してみようと思った。
すると彼は眉を下げて優しい声色で答える。
「…外は誰が耳を立てているか分からないので、詳しいことはまだ申し上げられません。屋敷に戻ってから、お話しいたしましょう」
ティナが頷いたのを見届けると、彼は「失礼いたします」と言って再びティーポットの蓋をふさいだ。
直後に始まった規則的な揺れが、彼が移動を始めたことを告げる。
その心地よい揺れに身を任せていると、ティナはだんだんと微睡み始めた。
だが、定期的にくるズキズキとした鈍い頭痛が寝付きを妨害するため、ただ月灯りの消えた薄暗い空間を見つめているしかなかった。
「ここが、私の暮らす屋敷です」
蓋の先で差し出された手にひょいと乗って辺りを見回すと、整理整頓の行き届いた書斎が広がっていた。どの本も、家具も、ティナの背丈よりはるかに大きいものばかりだ。
見るものすべてが巨大な空間に圧倒されていると、青年はティナを手に乗せたまま、書斎の端にある扉まで歩いていった。
「そしてこちらが、あなた様のお部屋になります」
扉が開かれ、燭台へぼうっと火が灯される。
すると、先ほどとはまったく雰囲気の異なる空間が現れた。
書斎よりは少し狭いが、とはいえティナにとっては小さな村一つ分ほどに感じられる十分な広さだ。
青年が扉から二、三歩進んだところには大きな段差があり、その上は柵で囲まれている。
ティナはその柵の中へ丁重に降ろされた。
この柵の内側が、ティナの居住空間のようである。
四方の壁には青空を背景に花や草木が精密に描かれ、まるで昼間の外にいるかのようだ。部屋の一角にある小さな花壇に生えた青々とした植物も、その感覚を強める。
一歩踏み出せば、足裏に柔らかな感触が走った。見ると、カーペットには煉瓦や石の模様が描かれており、整備された庭のような雰囲気を演出していた。
そんな空間の中心には、ティナにぴったりの大きさの邸が建っていた。
白い石造りの外壁に、若草色の屋根。
2階部分には緻密な窓飾りや上品で控えめなステンドグラス。
空間に馴染むデザインの邸は、まるで貴族が住むものかのような豪奢な構えをしていた。
ティナが外観に見惚れている横で、青年はその小さな邸に手を伸ばして玄関横の柱へと触れている。その様子はまるでドールハウスを扱っているかのようだった。
すると、柱の上部をいじっていた彼の手の内側から、カチャリと金具が外れる音がした。
ギィッと軽く軋む音が立ったかと思えば、邸の壁面が左右に分かれ、精密に作りこまれた中身があらわになった。
「わぁ…」
ロウソクを反射して淡く照らされた邸内は、ティナが思わず感嘆の息を漏らすほどに非常に心躍るものだった。
1階は3部屋に分かれており、メインルーム、ドレスルーム、パウダールームが並ぶ。
メインルームから階段によって繋がれている2階は、書斎と物置部屋の2部屋に分かれている。
「わが機関が抱える職人によって造られた、『こびと様』用のお屋敷でございます。浴室はございませんが、室外にご用意がありますので毎回定刻になりましたらお連れいたします」
青年の説明が聞こえたが、ティナの視線は邸内に釘付けだった。
机や椅子、その他の家具、扉、手すり、階段。
先ほど見た巨大な書斎とは異なり、ティナにぴったりのサイズのものが集まる空間に、非常に親近感と居心地のよさを感じていた。
それに大きさだけではなく、華やかな装飾にも惹かれていた。メインルームにある天蓋付きのベッド、ドレスルームの色とりどりの衣装、書斎の棚や本の背表紙。すべてがキラキラと輝いて見えた。
「緊急時でない限り、このように勝手にお邸を開けることありませんので、ご安心してお使いください。…ただ、今回は急なお迎えとなりましたので、以前の『こびと様』の私物が片付けきれていないことをご容赦ください。ですので、物置部屋のものには触れないようお願いいたします」
青年の忠告に頷いたティナは、物置部屋へと目を向けた。
色々な物が置かれているのに、華々しい雰囲気の他の部屋とは異なって、そこだけは妙にうら寂しく感じられた。
「さて、何からお話ししましょうか」
改めてというように青年はティナに向き直り、「まずは、自己紹介からでしょうか」と言うと、森で出会ったときのように跪き、ティナを見上げる姿勢をとった。
「私は、ケイ・フェアヴァルタ。あなたがた『こびと様』を守護し、保護を申し出る人間の富裕層の方々とおつなぎする『小人保護機関生活局』の一員です。―――どうぞ、ケイとお呼びください」
ケイと名乗ったその青年は、柔らかい笑みを浮かべた。
彼が言った『小人保護機関』という単語は、先ほど「夫人」と呼ばれていた女性も口にしていたものだ。
そんな未だに聞き慣れない単語を反芻しつつ、ティナは考えをめぐらせる。
(私が小人で、ケイたちは人間。『小人保護機関』は、私を守ってくれて、お金持ちと暮らす、手助けをしてくれるところ…?)
ズキッと再び走った頭痛に顔が歪む。
―――ティナは、森でケイと出会うより以前の記憶を失っていた。
彼の説明をかみ砕いて頭に入れようとするが、この世界の理を思い出し、理解するにはまだまだ時間がかかりそうだった。
眉を寄せて苦悶していると、ケイから尋ねられる。
「あなた様に、お名前はありますか」
「……ティナ」
「ティナ、様…」
彼はハッと息をのむように少し驚いた表情をしたが、すぐにまた平静な顔に戻して話を続けた。
「ティナ様は、ずっとあの森で生活されてきたのですか?」
「…ううん、違う」
「では、どのように暮らしてきたのかお伺いしても?」
「…分からない。あなたと会ったときから、ずっと頭がぼうっとしていて、これまでのこと、何も思い出せない」
「だれか一緒に生活されていた方は、いらっしゃいませんでしたか」
「…誰かがいた気がする。けど思い出せない。……目が覚めてから、何も分からない。なんで…あなたが私より大きいのかも、なんで私が小さいのかも、なにも……」
たどたどしく言葉を紡ぐティナを、ケイは柔らかく宥めた。
「大丈夫です、何も心配ありません。これから徐々に思い出していきましょう」
その言葉にティナはゆっくりと頷いて、彼と目を合わせた。
すべてが分からないことばかりだ。
けれど、ここにいるケイは自分を救い、こんなに素敵な部屋を与えてくれた。とにかく今は、彼を信用して一歩ずつ進んでいくしかない。
ティナは唇をぎゅっと結び、決意を固めた。
しかしその決意は、直後にケイが放った一言によって、一瞬にして砕け散った。
「ですが、これからは今のお名前をお捨てになってください」
ロウソクによって壁に映し出された彼の影が黒さを増していくような錯覚が走る。
「―――今後あなた様には、亡くなられた小人の『クリスティーナ様』に成り代わり、伯爵邸へと赴いていただきたいのです」
細まったケイの目が、怪しい光を放つ。
思わず一歩距離をとったティナへ向けて、彼は相変わらず柔らかい微笑みを浮かべていた。




