【第12話】新たな護衛
侯爵家の茶会から数日後。
ティナはようやく伯爵邸での生活に慣れ始めていた。
基本的に伯爵夫妻はティナによくしてくれるし過度に干渉してこない。
ケイについても日中はずっと傍にいるが、夕食を終えればティナは自由に動くことができる。
おかげで、リックとの密かな文通も非常にやりやすく、先日の茶会についても詳細に報告ができた。
初めての社交界では初めて知る情報も多くあった。聡い彼なら、それらの情報を活用する術を思いつくかもしれない。
そんなリックからの返信を待つだけの今日は、夫人と一緒に出かける予定もなく伯爵邸で静かに過ごしていたのだが、暇そうにしていたウルが遊ぼうとせがむので相手をしているところだ。
するとウルは、ふわふわの身体を床にへばりつけて、こちらをちらちらと伺ってきた。
「…? 背中に乗れってこと?」
「ワゥン!」
先ほどまでティナたちを微笑ましそうに見守っていたケイはどこかへ行ってしまっていた。
彼がいたら止めるだろうが、キラキラと輝くウルの目と、ふわふわ艶々の毛並みの誘惑に耐えかねて、ティナはウルの背中に足を乗せる。
「ワフ!!」
ティナが背中に乗ると、喜んだウルは急発進した。
ガクンと揺れた背中の上で必死にしがみつくが、今すぎにでも落ちてしまいそうだった。
「わ! ウルっ、ちょっとまっ―――」
「こーら、お嬢様を危ない目にあわせたら駄目だ!」
落下の衝撃に耐えようとギュッと目を瞑ると、ひょいっと誰かがティナと一緒にウルを抱き上げた。
そこにいたのは、見知らぬ男の人だった。
「はじめまして、お嬢様! あなたの新しい護衛に任命されました―――ノアベアトです!」
「の、のらばーと…?」
「ノアベアトです!!」
青年は栗色のくせ毛を揺らして、にぱっと笑う。
あまりに眩しい笑みに面食らっていると、後ろから現れたケイが呆れた声をかけながら近づいてきた。
「…急に来るというから門の前で待っていたのですが」
「ケイ兄さん! 実は、お嬢様に会うのが待ちきれなくて早めに来てしまいまして…。裏口をウロウロしていたところ、ちょうど伯爵邸で働く方々と出会って話しているうちに意気投合したんです。それで事情を話したら入れてもらえたんですよ!」
ケイが溜息を吐くと、「あ、身分証もちゃんと見せましたから、あの方々は怒らないであげてください!」とノアベアトは付け足した。
話を聞く限り、どうやらこの青年はかなり人の懐に入るのが上手い人物のようだ。
突如現れた剽軽な青年を冷静に分析しつつ、ティナは彼のケイに対する呼称が気になった。
「さっき、ケイのこと『兄さん』って呼んだ?」
「はい!! そうなんです、僕は―――」
彼は元気よく答えてぐいっと顔をティナに近づけてくる。そんな彼を「距離が近い」と制したケイは、咳ばらいをしてから代わりに答えてくれた。
「こちら、私の義弟―――ノアベアトです。これからはクリスティーナ様の護衛としてお傍で仕える者になります」
安全な場所に降ろされたティナは、遊びを中断されて不満気なウルを撫でながら彼らの話を聞いた。
どうやらケイはこれからティナの世話以外にも業務が重なって忙しくなるらしく、ノアベアトはそんなケイを補佐するために彼がいない日にはティナの護衛を担当するらしい。
今日はそれが決定した挨拶をするために来たのだという。
「のあば…のるべ…」
「頑張ってください! ノアベアトです!」
先ほどから同じようなやりとりを何度も繰り返しているが、ティナは一向に彼の名前を上手く発音できなかった。
「うーん…じゃあ、ノアはどうです?」
「ノア……?」
「はい! お嬢様!! ノアでございます!!!」
名前を呼ばれた嬉しさから、ノアベアトはパアッと表情を明るくした。
見知らぬ人が訪ねてきて興奮しているウルと同じように、彼がしっぽをブンブンと振っているような幻覚が見える。
ちらりとケイの方を伺うと、時折心配げな顔をしながらノアベアトのことを見ていたが、廊下から呼び出しがかかったようで部屋を出て行ってしまった。
「お嬢様、もう一度…!」
しつこく名前を呼ぶように催促するノアベアトにたじろいでいたところに、ケイが言伝とともに戻ってくる。
「ノアベアト、父上から呼び出しだそうです」
その言葉に、ノアベアトは渋い顔を見せる。
「げっ…」
「げっ…じゃない。スケジュールを無視した今回の行動をお咎めですよ」
「そんなぁ……」
先ほどの弾ける笑顔とは打って変わって、しょんぼりとした悲しい顔を見せるノアベアトに、ティナは思わず小さく笑みをこぼす。
「あ、お嬢様の笑顔! 初めて見れました!」
それを目ざとく見逃さなかったノアベアトに指摘されて気恥ずかしくなり咳ばらいをしていると、ケイが助け舟を出すように催促した。
「……ほら、早く戻ってください」
「ふふっ、今日はお嬢様の笑顔が見れたので満足です。それではお嬢様、また今度~!」
ノアベアトが去ると、急激に部屋が静かになった。
まるで嵐が過ぎ去ったあとのようだ。
「ケイ、これから仕事忙しくなるのよね」
二人きりになったところで、ティナは話を切り出した。
「ええ。…実は『こびと付き』としての階級が上がりまして」
「…! それってつまり、昇進…?」
頷いたケイを見て、ティナはその喜びを共有する。
「おめでとう」
「…ありがとうございます。これも、ティナ様のおかげです」
ついに彼の念願が叶ったのだ。
秘密の契約を交わした相手として、これを祝福しないわけにはいかない。
だが、喜ばしい報告のはずなのに、ケイの声には覇気がないように感じた。
「なんだか、あんまり嬉しくなさそうね」
「いえ、嬉しいです。これが私の望みでしたから。ですが……ティナ様のお傍にいられる時間が、これからかなり減ってしまうので」
ちらりとこちらの顔を伺う彼に、ティナは自信をもって告げる。
「大丈夫よ。あなたがいなくても、ヘマはしないから」
伯爵邸に来てから本物のクリスティーナではないと怪しまれたことはないし、先日の茶会も上手くこなすことができた。
ケイに心配される必要はないのだと主張するが、彼の意図は別のところにあったようだった。
彼は、こほんと咳ばらいをして言う。
「そうではなく…単純にお傍にいられなくなることが寂しいと言いますか…。ノアベアトと過ごす時間が増えたとしても…私のこと、お忘れにならないでくださいね」




