【第10話】伯爵家の人間
「ロートレック伯爵邸へようこそ。歓迎するわ、クリスティーナ」
仰々しい門を抜け、小さな町が入りそうなほど広い庭園の先に、ずらりと立ち並ぶ従者たち。
その中心で、鮮烈なドレスと濃い化粧を纏う夫人は、伯爵の横で両手を広げてティナの到着を歓迎した。
「お初にお目にかかります。クリスティーナと申します」
移動用の箱の前面を開けて伯爵夫妻と対峙したティナは、練習通りに挨拶をした。
「まぁ…! なんて愛らしいんでしょう…!! ね、あなた」
「あぁ、まったくだ。さあクリスティーナ、中へ案内しよう」
今のところ、夫妻はティナに好印象を抱いてくれているようだ。
最初の挨拶が無事にすんでほっと息を吐く間もなく、夫妻に案内されたティナはケイが持つ箱に乗ったまま伯爵邸へと足を踏み入れた。
「これが、あなたのお家よ。気に入ってくれるといいのだけど」
玄関ホールを抜けたすぐ目と鼻の先に、ティナの新たな邸が用意されていた。
これまでの邸の2倍はあるだろうか。
外観を見るだけでも、とても豪勢な造りをしているのが分かる。
「あなたを迎えられると決まってすぐ、国一番の職人に依頼したのよ」
「ありがとうございます。とても素敵です」
得意げに説明する夫人へ向けてティナが笑顔を見せると、彼女も紅をつけた口元を緩ませる。
「喜んでもらえたようで何よりだわ。さっそく中も見てほしいのだけど―――」
意気揚々と自慢の小人邸を紹介しようとする夫人に、これまで沈黙していたケイが口を開く。
「お話を遮り申し訳ありません。お二人とも、少々お耳をお貸しいただけますか」
ケイは、ティナを乗せた箱を別の侍従に丁重に任せると、夫妻の方へ近づいた。
コソコソと2人に耳打ちする内容はティナには聞こえなかったが、夫妻は少し驚いた表情をしていた。
「あら、そうなの」
「なら、仕方がないな」
ケイの話に納得したらしい夫人は、ティナに申し訳なさそうに告げる。
「ごめんなさいね。あなたの邸、少し移動させてもらうわ。中を紹介するのは後にしましょう」
そうして、ティナは夕食の場へと案内された。
細長いテーブルには、一羽丸焼きの鳥、色彩豊かな野菜のサラダ、海鮮をふんだんに使った米料理、艶のあるフルーツといった数々の料理が並ぶ。
ティナの席にも、それと同様のメニューがそっくりそのままサイズだけ小さくなって提供されていた。
「ふふっ。料理長が小人のための料理は小さすぎて難しかったと嘆いていたわ。でも、あなたと同じ食卓を囲みたいって無理を言ってお願いしたの。お口に合うかしら?」
「はい。とても美味しいです」
不慣れな料理人が作ったからか屋敷で食べていた料理に見た目は劣るが、さすがは伯爵家の料理長。量が多すぎるのが難点だが、どの品も非常に美味だ。
初めての夫妻との食卓に緊張しながらも、ティナは小さな口でパクパクと食べ進める。
その様子をじっと見つめている夫人は、ほおを緩ませた。
「わたくし、ずっと娘が欲しかったのよ。娘がいたら、毎日こんなに愛らしい姿を見られるのね」
夫人はそう言ってティナを暫くうっとりと見つめ続けるのだが、そのせいでとても食べづらく感じた。
夫人に愛想笑いを零しながらティナは考える。
たしか、伯爵家には娘はいないが、一人息子がいたはずだ。
「あの、伯爵家にはご子息がいらっしゃると伺いました。ご子息は今どちらに?」
「あら、嬉しい。わたくしたちのことを学んできてくれたのね。息子は独立して、別の領地を治めているの。今は主人と二人暮らし。……だから、小人を保護するための条件の一つ『当該家に15歳以下の子どもがいないこと、又はその子どもと別居していること』―――を満たして、晴れてあなたを迎えられたということなの」
そういえばケイから聞いたことがある。
小人保護制度が成立して間もない頃、人間の子どもがいる家庭に保護された小人が、子どもに振り回されて死亡した事例があると。
子どもは、両親の関心が小人に向くのが耐えられなかったり、力加減を制御できなかったりする。要するに、小人と人間の子どもの相性は悪いのだ。
この凄惨な事件の反省から、小人の保護先となる家の条件が厳しくなったらしい。
ともかく、現在のロートレック伯爵家には子どもは住んでおらず、これからティナが共に暮らすのは伯爵と夫人の二人なのだ。
「これからあなたは、わたくしたちの娘同然よ。あぁ、楽しみだわ! あんな服やこんな服も着せてみたいし、髪もアレンジさせてみたい…! 息子じゃできなかったこと、全部一緒にやりましょうね」
夫人は待ちきれないとばかりに、ティナと一緒にやりたいことを語り始める。
「ハハハ、そう焦るな。まぁ、娘だからこそ与えたいものがあるのはよく分かるがな。…やはり女の子は宝石がよく似合う」
伯爵はティナの胸元に輝く黄色の宝石を見て笑った。
あとから知ったが、この宝石の色はロートレック伯爵家の家紋と同じ色らしい。
「ええ、わたくしの見立て通り。でも……」
夫人は食器を置き、ティナの装いをじっと観察してから目を歪めて言った。
「そのドレスは趣味じゃないわ」
ヒュッと空気が喉を通り、ティナは言葉につまってしまった。
今着ているのは、ケイが作ってくれた中で一番お気に入りの青紫色のドレスだ。
斜め後ろに控えるケイへ困ったように視線を送るが、彼は泰然と立っているだけだった。
「これからは伯爵家の娘らしく、最高級品を身につけましょうね」
夫人の顔は笑っているが、そこには有無を言わさない圧のようなものを感じた。
ティナが戸惑いを押し殺して微笑んだそのとき、バンッと扉が開いたかと思うと、タタタッ…と何かが床を駆け回り始めた。
「あら、あなたもクリスティーナにご挨拶しに来たの?」
夫人がひょいと捕まえて抱えたのは、美しい毛並みのふっくらとした犬だった。
その犬は、夫人に答えるように「ワウッ!」と鳴いた。
「い、いぬ…ですか?」
「そう。こちらは、ウルよ。私たち家族の一員。ふふっ、これで今屋敷にいる家族が全員そろったわね」
ウルにぺろぺろと指を舐めさせてじゃれ合う夫人は、目を細めてティナを見据えた。
「改めてよろしくね、クリスティーナ。わたくしたち伯爵家に、これから沢山の幸せを運びこんでちょうだい」
「それでは、おやすみなさいませ」
「おやすみ、ケイ」
夕食の後、移動した小人邸の紹介をされたり身支度を済ませたりしていれば、もう就寝の時間だった。
なぜか玄関ホールから移動された小人邸は、以前伯爵の息子が使っていたという部屋に設置されることになり、理由を尋ねようと思ったが夫人の一方的な邸紹介の最中に質問を切り出す暇はなかった。
今日は新しいことばかりで慣れない一日だった。
伯爵夫妻は優しそうで安心したが、少し強引な気質のある夫人との今後には懸念もある。
そんな気苦労から眠気が襲うが、ティナには今からやらなければならないことがあった。
―――小人邸を抜け出して、リックとの連絡経路を確保することである。
リックとの手紙の送り合いを助けてくれる鳥のキョキョは、目印となる特殊な枝がある場所に降り立つらしい。
つまり、その枝を設置しなければ、いつまでたってもキョキョはやってこず、彼との連絡が行えないのである。
ティナが一人で自由に行動できるようになった今が、それを設置するチャンスだ。
だが、伯爵家には夜の見回り番がいるらしい。
小人邸がある場所は、見回り番が異常の有無を確認するために部屋の扉が常に開け放たれている。
今も、伯爵家の従者が定期的に部屋の前を行ったり来たりしているのが見えていた。
だが、見回り番が勝手に『こびと様』の邸を開閉することはないはずだ。
つまり、見られずに部屋を出ることができればこちらのものだ。
ティナは見回り番が姿を見せる間隔の隙を狙って、ひっそりと小人邸から抜け出す。
しかし予想外なことに、出た先には尻尾を振るウルが待っていた。
ワウッ!という元気な鳴き声が、静まり返った部屋の中に響く。
「しっ!」
その鳴き声で誰かに見つかってしまうのではないかと慌てるが、今は見回り番は離れたところにいるようで、特に駆けつける者は現れなかった。
ほっと息を吐いたティナは、くりくりとした目を向けてくるウルへコソコソと話しかける。
「あなたもお部屋を抜け出したの? でもごめんね。今は遊べないの」
ウルを気にかけるのもそこそこに、ティナは移動の準備を始めた。
近くの壁に針を刺し、勢いをつけて飛ぶ。伸縮性の高いリボンを駆使して踏み切った位置よりも高く舞い上がれば、無事に上部の壁の縁へ着地することができた。
それを何度か繰り返し、天井近くの縁を慎重に移動していくと、ちょうどよさそうな隙間を上に発見した。
下にいるウルの様子を再度確認すると、彼はしっぽを左右に揺らしながら前足を壁につけてこちらを見上げている。
「…騒がないで早く寝てね」
ティナはそう言い残して、隙間の中へと入っていった。
中は暗くてよく見えないが、おそらくここを上に抜ければ天井裏へ通じるはずだ。
ティナは上に行けそうな脆い部分に狙いをつけ、針を使って身体をねじ込めそうな隙間を作る。
何とか上に抜ければ少し広めの空間が現れた。おそらくはここが天井裏である。
そこには、少量の月明りが差し込んでいた。
以前リックが「屋根には隙間が空いていることが多い。特に煉瓦の間がねらい目だ」などと言っていたことを思い出しながら、ティナは光の位置と空気の流れを頼りに隙間を特定した。
屋根である煉瓦の隙間から顔を出すと、そこには外の世界が広がっていた。
ティナはすぐに持ってきた小枝と紐を取り出して、煉瓦の上に固定する。
そして小枝の先に、無事伯爵邸に着いたことを知らせる手紙と、キョキョの好物だという木の実を結び付けておいた。
これで、何日か待っていればキョキョが手紙を持って行ってくれるだろう。
「……した。………で、………のです」
無事に作業を終えた達成感を抱いて来た道を戻ろうとした矢先、下から薄らとケイの声が聞こえてきた。
誰と会話をしているのか気になったティナは身を乗り出す。
―――が、身体の重心がずれて屋根からゆらりと浮いた。
(…っ! まずい……!!)
咄嗟に針を構えて外壁にずりずりと押し付ける。
なんとか下にあった窓枠に針の先が引っかかり、落下を止めることができた。
(あ…危なかった……)
ドキンドキンと早鐘を打つ心臓を押さえていると、行きついた窓の中に人影が見えた。
先ほどよりも会話が鮮明に聞き取れる。
「…小人の警護というのはそんなに大事なのね。警備を増やしたとしても、邸を玄関先に置くのは難しいかしら?」
「はい。警備面だけでなく、クリスティーナ様の精神的にもよろしくないかと」
「そう…わかったわ。お客様からも見やすい位置がいいと思ったのだけど、そういうことなら諦めましょう」
ケイの話し相手は伯爵夫人だった。
小人邸の位置について話しているようで、邸を移動させたのはケイの進言によるものだったことが分かり、ティナは心の中で彼に感謝を伝える。
玄関先の目立つ場所に置かれたままだったら、今のように抜け出すのは困難を極めたことだろう。
「それにしても、あの子の元気そうな姿を見て安心したわ。…だけど、思ったより幼く見えるわね」
夫人が不思議そうに口にした言葉に、ティナは冷や汗をかく。
言葉遣いにも作法にもかなり気を引き締めていたのだが、本物のクリスティーナではないと気づかれてしまったのだろうか。
「事件のショックで、言葉数が少なくなっておりました。しかし、事件直後と比べるとかなり回復されているので、すぐに元に戻られるかと」
「そういうことね。なら仕方がないわ」
ケイが取り繕ってくれたおかげで夫人は納得してくれたようで、ティナは密かに息を吐いた。
今後はさらに意識して、大人らしく振る舞わなければならない。
「それから早速だけど、明日はクリスティーナを連れてお茶会に参加しよう思っているの。あの子のドレスは残念だけど注文が間に合ってないから…持参した中では今日着ていたものがまだマシね。同じものを着させておいて。あとは会場でのあの子のサポート、よろしくね」
「かしこまりました」
それ以降会話はなくなったため、二人は解散したようだ。
ただ会話を聞いていただけなのにドッと疲れを感じたティナは、来た時よりも慎重にゆっくりと気を配りながら帰路へとついた。
部屋に戻ると、ウルはまだそこにいた。
危険な作業から戻って見るウルの呑気な顔には安心感を覚えるが、彼はティナを見るなり部屋を駆けまわり始めてしまった。
「しっ! 静かにして! さっきも言ったけど今は遊べないって―――」
そう囁きながら下へ降りようとしたティナは、目標をやり遂げて緊張が緩んでいたのだろうか。
しっかりと刺さっていなかった針が抜け落ち、足を滑らせてそのまま壁から落下した。
先ほど外で落ちたときとは違い、針を刺し直すのも間に合わない。
浮遊する視界の中で、時間がゆっくりと流れるような感覚に襲われる。
(この感覚………知ってる)
身体を支えていた地がなくなり、重力に圧倒される感覚。
終わりが近づいていると悟り、肺からすべての空気が一気に漏れ出て心臓が縮こまるこの感覚。
視界がぼんやりと滲み、幻聴までもが聞こえてきた。
「大丈夫だ、ティナ。俺が…絶対に守るから」
「っ! …ティナを返せ!!」
「―――ティナ! そっちへ行ってはダメだ…!!」
流れ始めたのは、走馬灯らしき支離滅裂な光景。
もうすぐ、床に叩きつけられる衝撃がくる―――。
だが、そのときは一向にやってこなかった。
それどころか、ふわふわとした柔らかい毛に全身を包まれている感覚がする。
ゆっくりと目を開けたティナの前には、ぴょこぴょこと動く犬の耳があった。
ウルが、ティナの着地点に先回りして下敷きになってくれたのだ。
だが同時に、壁際に飾られていた小瓶が落下して、カコンと大きな音を立てた。
とたんに人の足音が駆け寄ってくるのが聞こえ、正気を取り戻したティナが急いで物陰に隠れようとする。―――と、下の毛がするりと滑り動き、廊下に飛び出た。
「わ! ウルじゃないか。『こびと様』のお部屋に忍び込んで! …っはは、そんなに舐めんなって、顔がびしょびしょになる。…ほら、戻るぞ。奥様に見つかったら大変だ」
その隙にティナは小人邸に駆け戻った。
直後、ウルを抱えた見回り番が部屋の中をちらりと確認しにくる。彼は床に落ちた小瓶を不思議そうに思いながらも元の位置に戻すと、小人邸の方を一瞥して異常なしと判断し、ウルを抱えて去っていった。
(…もしかして、あの子は私を見守ろうとしてくれてたのかな)
すべてを終えた安心感に包まれながら、小人邸のベッドに潜り込んだティナは、自分を助けてくれたウルについて思いを馳せていた。
もしかしたら、ウルにとってティナは、新しい伯爵家のペット仲間くらいの認識なのかもしれない。先住ペットとして後輩を助けようとしたのかも…。
もしそうならかなり心外ではあるが、この伯爵邸でもリックのように利害に関係なくティナの味方になってくれる存在がいるのかもしれない。
その夜、ティナは新たな家族のふかふかな毛並みの感触を思い出しながら、ぐっすりと眠りについた。




