【第9話】星の下の主従
伯爵邸に行く前日の夜。
明日への緊張で眠れなそうだと悩んでいたところにケイが訪れた。
そして、「前日だけ、許されていることがあるのです」と言ってティナを部屋から連れ出した。
箱に乗せられて着いたのは、屋敷の最上階に位置するバルコニーだった。
「晴れて門出のときを迎える『こびと様』に、この首都の景色をお見せするのが慣習なのです」
ケイはそう言いながら、ティナを降ろした机に小人用の椅子を設置する。
椅子の柔らかい感触に包まれながら正面に広がる景色を望むと、ティナの瞳に橙色の灯りがぽわっと広がった。
屋敷を囲む森林のはるか先。勾配の下に広がるのは、人間たちが暮らす巨大な都市だった。
「あちらの方角に、伯爵邸があります」
ケイが指さした方には、灯りが集まる邸宅街が見えた。
これから暮らすことになる場所を眺めながら、ティナは不安と希望を一心に抱く。昨日リックに「任せて」と豪語したが、これからは彼と離れた見知らぬ地で一人立ち向かわなければならない。そこに一抹の不安もないわけではなかった。
「正面に位置する一際大きな建物が王宮、城壁内には軍本部もあります。そして右の通りを進んだ先にある白い建物は教会です。さらに進むと侯爵邸が―――」
首都の主要な建物や貴族の邸を紹介していくケイ。
彼は、そんなティナの新たな生活を共にする唯一の存在だ。リックほどに信用できるわけではないが、彼は昇進という行動源のもとに動く人物だということは分かっている。少なくとも味方側ではある彼が一緒に来てくれるのは、心強く思う。
そんな彼は表向きいつも通りに見えるが、今日は声の調子が暗いように感じた。
晴れてティナの伯爵邸行きが実現し、ケイの願いである昇進が手に入るというのに、少し様子がおかしい。
「ケイ、調子悪い…?」
「いえ、そんなことは…。ご心配をおかけするような顔をしていましたか」
「少しだけ」
…緊張かもしれませんね。彼はそう言うと、空へと視線を上げる。
夜空には、ゆったりと流れる河のように星々が広がり、美しくきらめいていた。
「これまでに、何か思い出すことはできましたか」
しばらく続いた静寂のなか、そう切り出したケイに対して、首を横に振る。
「…ううん。全然」
人間である彼には、すべてを打ち明けることはできない。
そもそも、クリスティーナの死の原因をティナにも偽っていると思われる彼を、完全に信用できる日が来ることはないのかもしれない。
だがこれまでの日々でケイが見せた、ティナの好みを懸命に探る様子、ティナをからかうお茶目な様子、本気でティナの身体を気遣う様子。
そんな側面を見ているうちに、彼を信頼したいという思いが一度も芽生えなかったわけではなかった。
そんなティナの心情を知ってか知らぬか、ケイは誘惑めいた言葉をかけてくる。
「―――無理に故郷を探さずに、ずっと私と共にいてくださったっていいんですよ」
その言い草は、まるで本当にティナを慈しんでいるかのようで、心が揺れ動いてしまいそうだった。
「…本当に心からそう思ってる?」
「もちろんです。私は昇進さえ実現するなら、あとはティナ様と幸せな普通の日常を送ることができれば、それが一番ですから」
それは、表向きの主従関係からくる社交辞令なのか、本気でそう願っているのか。ティナには判別できなかった。
腹の奥底が見えないケイから目をそらし、ティナは街並みをぼうっと眺めながら問いかける。
「なんで、ケイはそんなに昇進にこだわるの?」
「……詳しくはお答えできませんが……立場を得なければ、知りえないことがあるのです。―――ティナ様こそ、故郷にこだわる理由はおありですか?」
「…ただ知りたいだけ。自分が何者なのかを」
「つまり私たちは同じです。『知りたい』が行動力の源ですね」
ケイは自分からティナの視界に入るように腰を曲げて、美しく弧を描いた口元を見せた。
そして、一歩後ろに下がると胸に手を当てて礼をとる。
「ですが、お忘れなきよう。私があなたを裏切ることは決してありません」
目の前にいる青年は、ティナと秘密の契約関係を結んだ人間。
ティナとの間に自ら一線を引いているのに、ティナを心から大切にしているような思わせぶりな言動もとる。完全には信頼できない怪しい人物。
だが、きっとティナがケイをそう見ているのは、言葉にせずとも彼はわかっているはずだ。
2人の関係は、お互いに利用し利用される、歪なものなのだから。
あと数時間もすれば、そんな彼とともに未知の世界へと旅立つことになる。
ティナは天を見上げた。
点在する星々に見守られながら、緊張も不安もすべて受け入れ、薄雲の先に存在するかもしれない故郷へと思いを馳せていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
次話から「第2章:伯爵邸編」! 書きあがり次第、順次更新します!




