【第8話】小人の別れ
「少し日が空いたな」
「うん、久しぶりだね」
「出立は、明後日の朝…だよな」
月日は流れ、2人の小人が協力関係を築いたあの日から約2か月後。
その晩、ティナは燭台から続く通路を伝い、リックと図書室の隠し部屋で秘密裏に会合していた。
ついにティナはふた月を過ごしたこの屋敷を離れ、伯爵家へと向かう日を目前にしていた。
「明日、最後に会えそうか?」
「…ううん。明日は朝から晩まで出発前の最終確認をすることになってる。多分、抜け出すのは難しい」
明日は忙しくなると言っていたケイの顔が思い浮かぶ。
屋敷を発つ前日にリックと最後の別れを惜しみたいのはやまやまだが、如何せん明日はケイの目が光るため、それは叶わないだろう。
気を落としていると、リックはそんなティナの顔をじろじろと見つめた。
「…お前、変わったよな」
「そう?」
「言葉とか、所作とか。出会った時とは大違いだ」
「…きっと、厳しい私の『こびと付き』のおかげね」
話し方、立ち方、座り方、歩き方、食べ方―――。
ケイとの勉強や特訓を経て、ティナはたしかに自分の成長を感じ取っていた。
「だけど、その変化は大事なことだ。―――俺たちの次の目標に近づくためにも、な」
***
時はさかのぼり、2人が志をともにして固い握手を交わした後のこと。
「でも、これから、何をすればいい…?」
空に小人の秘密があるかもしれないことは分かった。
だが、クリスティーナの手記は途切れていて、それ以上に得られる情報がない。
つまり、完全に次にとるべき行動が不明な状態なのだ。
すると、リックは手記を渡すよう要求し、ペンを取りだしてそこに何かを書きこみ始めた。
「そうだな、俺たちの大目標を決めよう。―――『国王』に近づくことだ」
空白だった手記のページに、『王』という文字と王冠のマークが軽快な筆致で描かれる。
「…なんで、王様?」
この人間の国には、王がいる。
利己主義で癖の強い貴族たちを取りまとめ、小人保護制度を後押しする賢君。
ティナがケイから聞かされた王に関する情報は、それだけだった。
画の出所を見る限り、昔の国王が天空について何かを知っていたのは確かだろう。しかし、その王はとっくの昔に寿命を迎えているはずだ。
本当に王を目標とすべきなのか疑念をもつティナの横で、リックは画を指さした。
「このバツ印、ここだけ妙に色が鮮やかだと思わないか」
それは、雲の上に描かれた人たちの上を覆うようにして記された印だった。
瑠璃色で描かれたそれは、たしかに劣化して黄ばんだ周囲からは浮いているようにも見える。
「この瑠璃色……これは神聖な色として、王族や神官だけが記述に使うことが許される色だ。それに、このインク線の精緻さ…こんな辺鄙な成り上がりの屋敷では用いられていない、高価な筆によるものだろう」
つまり…と、リックはニヤリと口の端を上げる。
「この画がここに持ち込まれたのは近年のことで、その間に王族の目に触れた可能性が高い。…今生きている王族の中に、天空の国に関する事実を知る者が存在するかもってことだ。―――現状、これが唯一残された手がかりだな」
「でもどうやって、王様たちに近づく?」
「…まずは、伯爵邸に行って模範的な小人を演じることだ。王宮では、王の気に入った小人とその小人を保護する貴族だけを招いた夜会が開かれることがあるらしい。まずは、そこを目指すんだ」
***
「まぁ、かなり無茶な計画だってのは百も承知だが……他に頼れる情報がない以上、手探りしていくほかない」
彼の意見にティナはこくりと同意するが、一つ気がかりなことがあった。
「でも私が伯爵邸に行った後、どうやってあなたと連絡をとるの? 手紙…とか?」
「ちょうどそれを教えようと思ってたんだ。移動しよう。少し道のりは危険だが……まぁ、お前に出した宿題の成果を確認するのにちょうどいいな」
そう言うと、リックは隠し部屋の床に敷いてあった布を無造作にバッと取っ払う。
彼が布の下にあった取っ手を引くと、暗い縦穴とそれに沿って下へ続く梯子が現れた。
「…まだ隠し通路があったの?」
こんな日になるまで教えてくれなかったなんて…と、彼の隠し事を咎めるようにティナは唇を尖らせた。
「俺が何年この屋敷に住んでると思ってる? その間に増えた抜け道は山ほどあるのさ。お前に紹介しきれないくらいにな」
そう言って穴の下へと消えていった彼に続いて、ティナも梯子を下りる。
その先では狭い道がひたすらに続いていた。時折かなり道幅が狭い箇所もあるため、伏せて身体を引きずりながら通ったり、飛び出た角材に躓かないように足元を注視したりして進んでいく。
しばらく歩くと、少し開けた空間に出た。しかしながら足場はそこで途切れ、深い谷のような暗闇を挟み、離れたところに次の足場があった。
「さぁ、お前ならどうする?」
ずっとティナの前で先導していたリックが後ろに下がった。
どうやら彼はここでティナを試そうとしているようだ。
迷うことなく前に出たティナは、針を横の壁に刺し、そこに通した新しいリボンを手に握って足場を踏み切った。ヒュッと弧を描くようにして谷の中間点を過ぎた瞬間、クイッとリボンを下に引く。リボンは伸縮性を発揮してティナの身体を反動で持ち上げ、見事に目標地点へと送り届けてくれた。
「上手くなってんじゃないか」
リックは向かい側で満足そうに頷いた。
まるで師匠のような顔をする彼を見て、思わず笑みがこぼれる。
「たくさん練習したからね」
「ああ。やはり、お前はクリスティーナに比べると小柄だし力も弱い。だが、その分小回りが利く。…俺の見立て通り、そのリボンと相性がよさそうだ」
以前よりもしなやかな動きを実現するこのリボンは、リックが提案したものだった。
これまでは物置部屋に置いてあったリボンをそのまま使っていたが、体格に合ったものを使ったほうがいいという彼の意見を採用して、これまたドレス選びの際ケイが持参したリボンの中から選んだのだ。
「さあ、ここを越えればすぐそこだ」
難所を越えて着いたのは、モノトーンのシンプルな部屋だった。
しかし、ティナはこの部屋の構造に見覚えがあった。
入口付近に段差があり、その上が柵で囲われ、中心に小さな邸が位置する―――。
「ここって…」
「俺の部屋さ。『こびと付き』は滅多に来ないから、小声じゃなくて平気だ」
天井近くの壁の縁を移動しながら、リックはそう明かした。
「私の部屋と、雰囲気が全然違うのね」
「内装は『こびと付き』次第だな。この部屋に限っては俺の趣味も少し反映されているが」
可愛らしく明るいティナの部屋に比べて、ここは落ち着いた大人の雰囲気が感じられた。一方で、観葉植物が多く配置されており、心地よい清涼感もある。
部屋をちらちらと観察しながらリックの後についていくと、天井近くに位置する小さな窓際に辿り着いた。
すると彼は、固定されているはずの窓ガラスをいともたやすくパカリと開く。
「…なんで開けられるの」
「少しいじったことがあってな」
「これなら、あなたいつでも簡単に逃げられるじゃない」
「まあ、その気になればな。でも逃げたところで外は巨大生物の巣窟だぞ? 逃げ場はないさ」
窓から冷たい風が流れ込んでくる。
この屋敷に来て以来、初めてティナは外に出た。
そこから見えたのは、鬱蒼と茂る森林のみだった。ざわざわと風に揺れる木々の音しか聞こえないので、おそらくここは郊外なのだろう。
ティナが久しぶりの外の空気を胸いっぱいに吸う横で、リックは空に向かって口笛を吹いた。
少し待つと、一羽の鳥が翼をはためかせてこちらに向かって降りてきた。
「こいつが、伯爵邸に行くお前と俺をつないでくれる」
「か、かわいい…」
木の葉のような色と斑点をもつ、ふわふわの鳥。
ぽってりとした胴体の上に乗る頭を傾げ、「キョッ」と鳴く姿は非常に愛らしいものだった。
「こいつは特別な訓練を受けた鳥だ。手紙を秘密裏に運んでくれる」
リックに首元を撫でられると、つぶらな瞳は細い弧を描く。
なぜリックがそんな鳥を手なずけているのか不思議に思っていると、彼はすぐに補足した。
「俺は月に一度、こいつを使って小人保護機関の本部へ手紙を出すことが義務付けられている。内容は、どんなふうに過ごしたかとか…まあ日記みたいなもんだ。本部の抜き打ち調査的なもので、屋敷で小人が無下に扱われていないか、環境に問題がないかを調べているらしい。保護先がなく長年この屋敷にいる俺みたいな小人がその対象にちょうどいいんだろうな。―――まあ、とにかく言いたいのは、こいつが運ぶ手紙なら誰にも見られず情報共有できるってことだ」
「でもそれならこの鳥は機関から来た子ってこと? …信用して大丈夫?」
「その点は心配ない。この鳥の主は俺で、機関の連中にこいつを手懐けてるやつはいない。月一回の仕事をする以外は、その辺りの森で自由に暮らしているんだ」
それを聞いてティナは安心した。
小人保護機関の抜き打ち調査で使われる鳥というのは驚きだったが、たしかにリックによく懐いているのを見る限り、彼らの信頼関係は確固たるもののようだ。
この鳥になら、秘密のやり取りの仲介も頼めそうである。
ティナは、新たな仲間に親しみをこめて声をかける。
「よろしくね。…ええと、お名前は?」
「特にないな。決めてもいいぞ」
「うーん……じゃあ、キョキョはどう?」
ティナがそう言った瞬間、ふわふわの口元からキョッという鳴き声があがった。
気に入ってくれたのかもしれないと嬉しく思いながらその羽毛に触れると、キョキョは気持ちよさそうに身をよじった。
リックは暫くその様子を微笑ましそうに見つめ、そして神妙な面持ちで口を開いた。
「こいつを介したやり取りを含め、俺は最大限お前をサポートするつもりだ。…でも実際に危険に飛び込むのはお前で、俺はここで待つことしかできない」
彼の雰囲気が変わったのを察し、ティナはキョキョを撫でる手を止めた。
「もし、もう無理だと…手に負えないと判断したら、真っ先に自分の安全を優先しろ。この計画をすべて忘れたっていいから―――」
彼が言い終える前に、ティナはそっとリックの手を包み込んだ。
もう仲間を失いたくない。彼の手の震えが、そんな悲痛な思いを伝えているように感じた。
「必ず、生きてくれ。――――ティナ」
ティナは目を細めて頷く。
「任せて。絶対、生きてまた会おう」
その言葉を聞いたリックは肯定も否定もせず、冷たい風に髪を靡かせながら、ただただ優しく笑っていた。




