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第11話 「山神さまとハル(前編)」

山の奥、

霧に包まれた小さな御堂。


あの日のことを、

山神さまは忘れていない。


⸻否、

忘れることなどない。


その御堂の前から、

赤子の鳴き声が聞こえてくる。


「……うるさい」


不機嫌そうに覗くと、

赤子がひとり置かれていた。


この山奥へ来ようとする者など、

そうそういない。


御堂を守る源蔵じいさんくらいのものだ。


それが、赤子。


⸻わざわざ捨てに来たのだ。


山神さまの眉間に

しわが寄る。


「人のすることは、分からぬ」


泣き声はやまない。


霧が濃くなる。


遠くで人の気配がする。


山の空気が、ぴんと張りつめる。


「近づくな」


突風が吹く。


人間はよろめき、

御堂に寄れない。


それでも赤子は泣き続ける。


夜になっても、

泣きやまない。


山神さまはため息をつく。


山の気を寄せ、

冷えぬよう包む。


それでも

不機嫌な顔のまま。


「……面倒なものを置いていく」


泣き声が、

少しだけ弱くなる。


山神さまは

しばらく赤子を見下ろしていた。


源蔵じいさんが

御堂に通い、手を合わせる日々が続く。


「山神さま、

どうかあの子に食べるものを」


その祈りは、

途切れることがなかった。


はじめは鬱陶しそうに

眺めていた山神さまも、


次第に突風を起こさなくなる。



赤子はよく眠り、

よく泣き、

やがて、よく笑うようになった。


霧の薄い日には

御堂の前を小さな足で

よちよちと歩き回る。


山の光を受けて笑う顔は、

やけに明るい。


山神さまは

それをじっと見る。


「……騒がしい」


そう言いながら、

抱き上げる手はやさしい。


しばらく腕の中で

赤子の顔を眺め、


ぽつりと言う。


「お前はハルだ」


風がやわらかく吹く。


「ハルという名だ」


その日、

山の霧は

いつもより早く晴れた。


まるで山が、

名を覚えたかのように。

お読みいただきありがとうございます。

次回は4月29日に、最終話「山神さまとハル 後編」です。

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