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最恐魔人、勇者(♀)のペットになる3 ~ 古代文明の謎 ~  作者: 神凪 浩
第一章 魔人と勇者の奇妙な旅路
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第四話 雨宿りの廃屋

 ポツリ、ポツリ。

 不穏な黒雲から落ちてきた雨粒は、またたく間にその勢いを増し、さらに数分後には、世界を白く染め上げるほどの豪雨へと変貌していた。


 ザアアアアアアアアッ!


 滝のような雨が、容赦なく大地を叩く。

 時折、ピカッと空が光り、遅れて腹の底に響くような雷鳴が轟く。


 ゴロゴロ、ドガァァァン!


「ひゃああっ! すごい雨ですね、アビスさん!」


 リディア・クレセントは、フードを頭からかぶり、泥濘んだ山道を走っていた。

 先ほどまでのハイキング気分はどこへやら、今は自然の猛威との戦いだ。

 リュックの中のアビス(犬)は、防水加工された布の下で、不快そうに身を縮めていた。

(……チッ。最悪だ。犬の嗅覚だと、雨の匂いが鼻について仕方ねえ)

 アビスは心の中で悪態をついた。

 犬の体は、濡れると独特の獣臭さを発する。

 高貴なる魔人である彼にとって、自分の体が「濡れた雑巾」のような臭いを発するのは、耐え難い屈辱だった。

 それに、寒い。

 小型犬の体積では、体温を奪われるのも早いのだ。

「アビスさん、大丈夫ですか? 濡れてませんか?」

 リディアが走りながら声をかけてくる。

 自分はずぶ濡れになりながら、背中の荷物アビスだけは必死に守ろうとしているのが分かる。

(……俺様の心配より、自分の足元を見ろ。転ぶぞ)

 アビスが忠告しようとした、その時だった。

 稲光が走り、闇の中に一つのシルエットが浮かび上がった。

 森の開けた場所に、古びた建物が建っている。

「あ! あそこに建物があります! 雨宿りさせてもらいましょう!」

 リディアは希望を見出したように声を弾ませ、その建物へと駆け込んだ。


 ◇


 そこは、廃屋だった。

 かつては(きこり)か猟師が使っていた小屋なのだろうか。

 屋根は半分腐り落ち、窓ガラスは割れ、壁には蔦が絡まり放題になっている。

 入り口の扉は蝶番が外れかけ、風が吹くたびにギィー、ギィーと不気味な音を立てていた。

 どう見ても、幽霊屋敷である。

 あるいは、三流ホラー小説の冒頭に出てくる「絶対に入ってはいけない場所」だ。

(……おい、待て。嫌な予感がする)

 アビスは警告を発したが、ずぶ濡れのリディアには届かなかった。

「お邪魔しまーす! すみません、雨宿りさせてくださーい!」

 リディアは元気よく挨拶をして(誰もいないのに)、廃屋の中へと足を踏み入れた。

 中は薄暗く、埃とカビの臭いが充満していた。

 床板は腐って穴が開き、天井の隅には巨大な蜘蛛の巣が張っている。

「う~ん、誰も住んでいないみたいですね。ちょっと散らかってますけど、雨風は凌げそうです!」

 リディアはポジティブに解釈し、比較的床がしっかりしている暖炉の前にリュックを下ろした。

 そして、中からアビスを取り出す。

「アビスさん、寒くないですか? すぐに乾かしますね!」

 リディアは、自分の服から滴る水を絞るのも後回しにして、タオルを取り出し、アビスの体を丁寧に拭き始めた。

 ゴシゴシ、ワシャワシャ。

(……おい、やめろ。耳を強く拭くな。痛い)

 アビスは抗議したが、リディアの手は止まらない。

 彼女の手は冷え切って震えていたが、アビスを拭くその動作には、確かな愛情と気遣いがこもっていた。

「よし、これで大体乾きましたね! ……クションッ!」

 リディアが大きなくしゃみをした。

 彼女自身は、頭から爪先までぐっしょりと濡れている。

 薄手の旅装束が肌に張り付き、唇は紫色になりかけていた。

「うぅ……寒いです……。火を熾さないと……」

 リディアは震える手で、暖炉の中に残っていた古い薪や、部屋の隅にあった木切れをかき集めた。

 そして、火打ち石を取り出し、カチカチと打ち鳴らす。

 だが、湿気を含んだ空気と、濡れた手元のせいで、火花は散るものの、なかなか薪に燃え移らない。

「くっ……つきません……。湿気ってる……」

 カチッ、カチッ。

 焦りと寒さで、リディアの手元が狂う。

 火種は生まれても、すぐに消えてしまう。

(……不器用な奴だ。魔法の一つも使えれば楽なんだがな)

 アビスは、乾いた毛並みを取り戻した体で、じっとその様子を見ていた。

 勇者の血統は、魔力耐性は高いが、魔法の行使は苦手な傾向にある。

 リディアもその例に漏れず、魔力はあるのに「放出(ぶっ放す)」しかできないタイプだ。

 火を熾すような繊細な魔法は使えない。

「うぅ……ごめんなさい、アビスさん……。私がもっと、手際が良ければ……」

 リディアは、何度も失敗し、ついには力尽きたように肩を落とした。

 極度の疲労と寒さが、彼女の体力を奪っていたのだ。

 ワイバーン戦での激しい運動、その後の山歩き、そしてこの雨。

 さすがの勇者の末裔も、限界だった。

「……少しだけ、休憩します……。目が覚めたら、また……火を……」

 リディアは、暖炉の前の冷たい床に座り込み、膝を抱えた。

 濡れた服のまま。

 意識が朦朧としているようだ。

「……おやすみなさい、アビスさん……」

 数秒後。

 彼女の呼吸は、静かな寝息へと変わった。

 だが、その体は小刻みに震えている。

(……おい。ここで寝るな。死ぬぞ)

 アビスは、リディアの鼻先を前足でペチペチと叩いた。

 反応がない。

 完全に寝落ちている。


 ゴロゴロ……ドォォン!


 外では雷鳴が轟き、隙間風がヒュウと吹き込んでくる。

 室温はどんどん下がっていく。

 このまま濡れた服で寝続ければ、間違いなく低体温症になるか、酷い風邪を引くだろう。

(……面倒なことになりやがった)

 アビスは、リディアの震える背中を見つめ、思案した。

 放っておくか?

 いや、それはマズい。

 こいつが倒れれば、俺様の「移動手段」がなくなる。

 それに、食事の世話や、呪いを解くための旅もストップしてしまう。

 それは、俺様の「世界征服計画(準備中)」にとって大きな損失だ。

(……あくまで、俺様のためだ。勘違いするなよ)

 アビスは、誰に言い訳するでもなく、心の中で呟いた。

 そして、周囲の気配を探った。

 この廃屋に、他に生物はいない。

 外は豪雨。誰も来るはずがない。

(……使うか。本日の「三分間」を)

 アビスは、深く息を吸い込んだ。 体内の魔力回路を解放する。

(……解呪(ディスペル)ッ!)

 闇色の光が、廃屋の中を一瞬だけ満たした。

 犬のシルエットが弾け飛び、その場に長身の男が姿を現す。

 漆黒のロングコート。

 銀色の長髪。

 そして、深淵を映すような赤い瞳。

 魔人アビス、降臨である。

「……ふん。カビ臭い部屋だ」

 アビスは、顔をしかめた。

 人間(魔人)の姿に戻った彼は、まず自分のコートの襟を正し、冷え切った室内を見渡した。

 そして、足元で丸まっているリディアを見下ろす。

 彼女は、子供のように小さくなって震えていた。

「……世話の焼ける飼い主だ」

 アビスは、呆れたように吐き捨てると、右手を暖炉にかざした。

「……種火(イグニス)

 ボッ。

 彼が指を鳴らすと、湿気っていたはずの薪が、まるでガソリンでもかかっていたかのように、一瞬で爆発的に燃え上がった。

 オレンジ色の炎が、パチパチと音を立てて踊り始める。

 部屋の中に、暖かな光と熱が広がっていく。

 だが、これだけでは足りない。 リディアの服は濡れたままだ。

「……チッ。サービスだ、受け取れ」

 アビスは左手をリディアに向けた。

乾燥(ドライ)

 掌から、温風のような、目に見えない魔力の波動を放出する。

 生活魔法の一種だが、魔人が使えば業務用乾燥機以上の性能を発揮する。

 リディアの服から、白い湯気がモワモワと立ち昇る。

 数秒後には、彼女の服も、髪も、靴の中敷きに至るまで、完全に乾いていた。

 さらに、空気中の湿気すらも追い出し、乾燥機をかけた後のような快適な状態に仕上げる。

「ん……んぅ……」

 リディアの震えが止まった。

 彼女の表情が和らぎ、安らかな寝息へと変わる。

 心地よさそうに身じろぎをするその顔は、無警戒すぎて、見ているこっちが心配になるほどだ。

「……まったく。危機感のない女だ」

 アビスは、近くにあった壊れかけた椅子に腰を下ろした。

 残り時間、あと二分。

 火は点けた。服も乾かした。

 あとは、こいつが風邪を引かないように、もう一押ししておくか。

 アビスは、「亜空間ポケット」から、上質な毛布を取り出した。

 これは、彼が野宿用(自分用)にこっそり持ち出した私物だ。

 肌触りの良いビロード製で、王侯貴族が使うような高級品である。

「……貸してやるだけだぞ。涎を垂らしたら殺す」

 アビスは、文句を言いながら、そっとリディアの上に毛布をかけてやった。

 隙間がないように、肩までしっかりと。

 ついでに、硬い床で首が痛くならないよう、自分の予備のコートを丸めて枕代わりにして差し込んだ。

 至れり尽くせりである。

 これでは悪の魔人ではなく、ただの過保護な執事だ。

「……何やってんだ、俺様は」

 アビスは、我に返って頭を掻いた。

 魔人としての威厳はどうした。

 こんなところを他人に見られたら、一生の恥だ。

 だが、安らかに眠るリディアの顔を見ていると、不思議と悪い気はしなかった。

 パチパチ、と薪が爆ぜる音だけが響く。

 外の嵐の音は、結界魔法(こっそり張った)のおかげで、遠いBGMのようにしか聞こえない。

「……お前のご先祖様(初代勇者)も、こんな風に無防備な顔で寝ていたことがあったな」

 アビスは、遠い過去を懐かしむように目を細めた。

 かつての宿敵。

 自分を封印した憎き相手。

 だが、その勇者もまた、戦いの合間には、ただの人間としての顔を見せることがあった。

 この少女は、本当によく似ている。

 あの馬鹿正直で、お人好しで、どこまでも眩しい「光」に。

「……早く強くなれよ、リディア」

 アビスは、小声で呟いた。

「俺様を倒せるくらいにならなきゃ、俺様の呪いは解けねえし……世界も守れねえぞ」

 それは、激励なのか、それとも魔人としての挑発なのか。

 彼自身にも分からなかった。


 パリンッ。


 時間切れの音が響く。

 三分間は、あまりにも短い。

「……さて、店仕舞いだ」

 アビスは立ち上がり、枕にしていたコートを引き抜こうとして……やめた。

 無理に抜けば、彼女が起きてしまうかもしれない。

 それに、もう解呪の効果が解ける。

 コートも一緒に消える(亜空間に戻る)わけではないが、まあ、今夜くらいは貸しておいてやってもいいだろう。


 ―――プンッ。


 視界が反転し、世界が巨大になる。

 黒い毛玉(犬)に戻ったアビスは、ブルブルと体を振った。

 そして、毛布にくるまったリディアの顔のすぐ横、一番暖かい特等席に潜り込んだ。

 リディアの体温と、暖炉の熱。

 心地よい温もりが、犬の体を包み込む。

(……フン。これなら、俺様も風邪を引かずに済みそうだ)

 アビスは、自分にそう言い訳をして、目を閉じた。

 リディアの手が、無意識に伸びてきて、アビスの体を抱きしめた。

 その温かさに、アビスは抵抗することなく、深い眠りへと落ちていった。


 ◇


 翌朝。

 嵐は嘘のように去り、小鳥のさえずりが朝を告げていた。

 廃屋の隙間から、眩しい朝日が差し込んでいる。

「ん……んん……」

 リディアは、ゆっくりと目を開けた。

 寒くない。

 それどころか、ポカポカと暖かい。

 彼女は体を起こし、自分の状況を確認して驚いた。

「あれ……? 私、乾いてる?」

 ずぶ濡れだったはずの服はパリッと乾き、体には上質な毛布がかけられている。

 枕元には、黒いコートが畳んで置かれていた(朝起きたアビスが畳んでおいたのだ)。 そして、暖炉には、燃え尽きた薪の灰が、まだ微かに熱を帯びて残っている。

「どうして……? 昨日は火がつかなかったのに……」

 リディアは不思議そうに首を傾げた。

 そして、足元で丸くなって寝ているアビスを見た。

 アビスは、まだ夢の中だ。

「アビスさん……?」

 リディアは、状況を整理しようと頭をフル回転させた。

 自分が寝てしまった後、誰かがここに来た?

 火を熾し、服を乾かし、毛布をかけてくれた?

 でも、こんな嵐の中、こんな廃屋に?

 それに、この黒いコートは……どこか見覚えがあるような……?


 数秒の沈黙の後。

 リディアの中で、一つの「真実(勘違い)」が導き出された。

「……はっ! わかりました!」

 リディアは、パッと顔を輝かせた。

「ここは、やっぱり幽霊屋敷だったんですね!」

(……そっちかよ)

 狸寝入りをしていたアビスは、心の中で盛大にズッコケた。

「きっと、この家に住んでいた住人の霊が、雨宿りに来た私たちを不憫に思って、助けてくれたんです! なんて親切な幽霊さんなんでしょう!」

 リディアは、天井に向かって手を合わせた。

「幽霊さん、ありがとうございます! おかげで風邪も引かずに済みました! このコートと毛布もお返ししますね!」

 彼女は、アビスの私物であるコートと毛布を丁寧に畳み、部屋の隅(元々何もなかった場所)に「お供え」のように置いた。

(……おい、それ俺様のなんだけど。置き去りにするな)

 アビスは慌てて起きたフリをして、「ワン!(それ持ってくぞ!)」と吠え、コートを咥えて引っ張った。

「あれ? アビスさん、そのコートが気に入ったんですか? ……ダメですよ、幽霊さんの遺品ですから。バチが当たります」

 リディアが諌めるが、アビスは離さない。

 これは俺様の愛用品だ。置いていってたまるか。

 アビスは必死に抵抗し、最終的にリディアが「しょうがないですね、幽霊さんも『犬にあげよう』って言ってるかもしれませんし」と折れて、回収することに成功した。

「さあ、幽霊さんに挨拶して、出発しましょう!」

 リディアは、スッキリとした顔で立ち上がり、廃屋の入り口で深々と一礼した。

「お世話になりました! 成仏してくださいねー!」

 アビスは、やれやれと首を振った。

 まあ、「三分解呪」がバレるよりはマシだ。

 親切な幽霊(?)の加護を受けた一人と一匹は、爽やかな朝の光の中、再び旅路へと戻っていった。

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