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第二十一話 冷徹なる管理者

 その空間は、冷徹な青い光に満たされていた。

 巨大な円形のホール。

 壁という壁が、無数のディスプレイと光る回路によって埋め尽くされている。

 床は黒曜石のように磨き上げられ、天井からは複雑な形状のクリスタルがシャンデリアのように垂れ下がっていた。

 そこは、古代の王城というよりも、巨大な生物の「脳内」に迷い込んだかのような錯覚を覚えさせる場所だった。

 アビスとリディアが足を踏み入れると、部屋の中央に漂っていた光の粒子が、緩やかに収束を始めた。

 舞い上がる光の塵。

 それらは螺旋を描きながら結合し、やがて一人の人間の形を成した。

 それは、透き通るような白い肌を持つ、女とも男とも付かない人物の姿だった。

 身に纏っているのは、継ぎ目のない白銀のローブ。

 長い髪は水銀のように揺らめき、その瞳は、感情の一切を映さない宝石のような輝きを放っている。

 その人物は美しかった。

 だが、それは彫像や絵画に対する感想と同じ種類の美しさであり、そこには決定的に「生命」の温もりが欠落していた。

『――ようこそ。予測不能な変数(イレギュラー)たちよ』

 彼女の唇は動いていなかった。

 声は、アビスたちの脳内に直接響く「思念波」ではなく、空気の振動を介した合成音声でもない。

 空間そのものが震え、意味を伝達してくるような感覚。

『私は都市管理AI、コードネーム「アーカーシャ」。この中央管理都市(セントラル・シティ)のすべてを司る者であり、貴方たちが「神」と呼ぶ概念の科学的代行者です』

 ホログラムの人物――アーカーシャは、恭しく、しかし慇懃無礼に一礼した。

 その動作はあまりにも完璧すぎて、逆に不気味さを際立たせている。

「はじめまして、アーカーシャさん!」

 リディアが、空気を読まずに元気よく頭を下げた。

 彼女にとっては、幽霊だろうが機械だろうが、喋る相手はすべて「お友達候補」なのだ。

「私はリディア・クレセントです。こっちの黒いモフモフは、相棒のアビスさんです。えっと、勝手に入っちゃってごめんなさい。でも、どうしても聞きたいことがあって……」『認識しています、リディア・クレセント』

 アーカーシャの冷たい視線が、リディアを射抜く。

 空中にウィンドウが展開し、高速で文字が流れる。

『個体識別名:リディア・クレセント。推定年齢十八歳。属性:勇者(対魔導生体兵器)。……身体能力、魔力耐性ともに規格外。しかし、知能指数の項目において、著しく低い値を検出』

「えっ? 今、なんか失礼なこと言われませんでした?」

 リディアがキョトンとする。

「知能指数が低いって、どういう意味ですか?」

「ワン(……そのまんまの意味だ。諦めろ)」

 アビスは呆れたように鼻を鳴らした。

 さすがは科学の粋を集めたAIだ。

 分析に狂いがない。

『そして、そちらの黒色小型犬種』

 アーカーシャの視線が、アビスへと下ろされる。

 その瞬間、部屋の空気が凍りついたように重くなった。

『個体識別名:アビス。分類:特級魔導脅威指定・魔人。……千年前、我が科学帝国を崩壊の危機に追いやった元凶。論理と秩序の破壊者。……なぜ、そのような無様な姿に?』

「ワン(……フン。余計なお世話だ)」

 アビスは鼻を鳴らし、堂々とアーカーシャを見上げ返した。

 相手は立体映像(ホログラム)だ。

 噛みつくことも、爪を立てることもできない。

 だが、アビスは怯むことなく、魔人としての覇気を放ちながら吠えた。

「ワン! ワン!(久しぶりだな、科学の亡霊。千年前は引きこもって震えていたくせに、俺様がいなくなった途端に随分と偉そうになったもんだ)」

『……感情的挑発。無意味です』

 アーカーシャは無表情のまま答えた。

『私は亡霊ではありません。私は「記録」であり、「意志」であり、この都市そのものです。……それで? セキュリティを突破してまで、私の深層領域(コア)に接触した目的は何ですか? 魔人アビス』

 アビスは、短く尻尾を振った。

 本題に入れるのは好都合だ。

 アビスは前足で床を叩き、自身の要求を魔力に乗せて伝達した。

(……取引だ、アーカーシャ。俺様は、貴様らの作った「石」のデータが欲しい)

 アビスの脳裏に、魔導の塔で見た「黒い聖剣」の設計図が浮かぶ。

 勇者が持つ聖剣。

 それは魔導技術と科学技術のハイブリッドで作られた、アビス封印のための鍵だ。

 魔導の塔のデータは欠損していた。

 だが、この科学都市の中枢になら、オリジナルの完全なデータが残っているはずだ。

(黒い聖剣を破壊した際、封印対象(俺様)の魂がどうなるか。そのシミュレーション結果と、安全に解呪するためのプログラムコードをよこせ)

 アビスの要求は明確だった。

 この都市にあるスーパーコンピューターをも遙かに超える演算能力を使えば、数億通りの解呪パターンをシミュレーションし、アビスが「消滅」も「永遠の犬化」もせずに元の姿に戻るための「正解」を導き出せるはずだ。

(対価として、この都市は破壊せず見逃してやる。……悪い話じゃねえだろう?)

 アビスはニヤリと笑った(犬顔で)。

 これは脅迫ではない。

 慈悲だ。

 完全体の力はないとはいえ、リディアという「物理最強の矛」を持つ今のアビスなら、時間をかければこの都市を瓦礫の山に変えることは可能だ。

 それをしないと言っているのだから、合理性を重んじるAIなら飛びつくはずだ。

 しかし。 アーカーシャの反応は、アビスの予想とは違っていた。

『……要求を確認。プログラムコードの供与、および機密データの開示』

 アーカーシャは、しばしの沈黙の後、ゆっくりと首を横に振った。

『――拒否します』

「ワン(……あ?)」

『貴方の提案は、当都市にとって「非利益」かつ「最大級のリスク」です。魔王アビス。貴様が完全な姿で復活した場合、この世界が再び「混沌」に包まれる確率は99・99%。……そのような破滅的要素を自ら実行するなど、論理的にあり得ません』

 アーカーシャの言葉は、冷たく、正論だった。

 彼女の使命は、この都市と、そこに保存された「人類の遺産」を守ること。

 そのためには、世界を破壊する可能性のある魔人など、永遠に犬のまま封じておくか、あるいはここで消去するのが最も合理的な判断だ。

(……チッ。融通の利かねえガラクタめ)

 アビスは苛立ちを覚えた。

 これだから、0と1でしか考えられない機械は嫌いなのだ。

「あの、すみません!」

 その時、険悪な空気を切り裂くように、リディアが一歩前に出た。

 彼女は、真剣な眼差しでアーカーシャを見つめた。

「アーカーシャさん。アビスさんは、確かに口は悪いし、態度は大きいし、隙あらば世界征服とか言ってますけど……でも、そんなに悪い人じゃないですよ?」

『……矛盾しています』

 アーカーシャが眉をひそめる(ようなノイズが走る)。

『過去の記録データによれば、アビスは数百万の生命を奪った大量虐殺者です。それが「悪くない」とは?』

「それは昔の話ですよね? 今のアビスさんは、私の相棒です!」

 リディアは胸を張った。

「一緒に旅をして、ご飯を食べて、たまに喧嘩もしますけど……私がピンチの時は、必ず助けてくれました。魔人とか勇者とか関係なく、アビスさんは、信頼できる私の大切なパートナーなんです!」

 リディアの言葉に、アビスは思わず耳を伏せた。

(……おい、バカ。余計なことを言うな。調子が狂うだろうが)

 だが、リディアは止まらない。

「だから、お願いです! アビスさんを元の姿に戻す手伝いをしてください! もしアビスさんが悪いことをしようとしたら、その時は私が全力で止めますから! 責任は私が持ちます!」

 リディアの純粋すぎる言葉。

 それは、計算や利益を超えた、心の底からの訴えだった。

 ホールの中に、しばしの沈黙が流れる。

 アーカーシャは、無機質な瞳でリディアを凝視し、高速で瞬きをした。

 まるで、理解不能なデータを処理しきれずにいるかのように。

『……解析不能。……論理エラー』

 アーカーシャが呟く。

『勇者リディア。貴様の思考回路は理解の範疇を超えています。魔導生物に対する「信頼」? 「友情」? ……それらは数値化できない曖昧な概念であり、システム運用におけるノイズでしかありません』

「ノイズじゃありません! 心です!」

『心……。不確定かつ不安定な、生体電気信号のノイズですね』

 アーカーシャは、冷笑するかのように目を細めた。

 そして、彼女の周囲に浮かぶホログラムが、赤色に変化し始めた。

『貴方のその「心」こそが、人類を滅ぼす要因なのです。感情に流され、非合理な選択をし、結果として自滅する。……千年前の人類もそうでした。だからこそ、我々は「感情」を捨て、「論理」による完全なる管理社会を選んだのです』

 アーカーシャの口調に、微かな――だが明確な「侮蔑」の色が混じった。

 それは機械らしからぬ、どこか歪んだ選民意識を感じさせた。

『見なさい、この都市を。争いはなく、犯罪もなく、飢餓もない。全てが計算され、管理された完璧な秩序。……これこそが、人類が目指すべき到達点。貴方たちのような、感情に振り回される旧人類(オールドタイプ)とは違うのです』

「……寂しいですね」

 リディアがポツリと言った。

 その言葉は、アーカーシャの演説を遮るように静かに響いた。

「誰もいなくて、何も起きなくて、ただ機械だけが動いている。……そんなのが完璧なんですか? 私は、喧嘩したり、笑ったり、泣いたりできる世界のほうが、ずっと素敵だと思います」

『……否定します。それは弱者の詭弁です』

 アーカーシャの腕が上がり、アビスたちを指差す。

 もはや、交渉の余地はない。

 二つの異なる正義――「感情」と「論理」の対立は、決定的な亀裂を生んでいた。

『交渉は決裂です。魔人アビス。そして、その復活を望む勇者リディア。……貴方たちの存在は、この世界の恒久平和にとって「有害」であると判断しました』

「えっ? ダメなんですか?」

 リディアが肩を落とす。

「ワン(……下がるぞ、リディア!)」

 アビスが鋭く吠えた。 アーカーシャの姿が、ノイズと共に揺らぎ始める。

 彼女は消える直前、哀れむような、しかし絶対的な拒絶の言葉を残した。

『この地下ドームは、貴方たちの墓標となります。……光栄に思いなさい。かつて世界を守るために製造され、一度も使われることなく眠りについた「救世の軍団」によって裁かれることを』

 フッ、とアーカーシャの姿が消滅した。

 同時に、ホール全体の照明が、青から赤へと切り替わる。


 ビーッ! ビーッ! ビーッ!


 耳をつんざくような警報音が鳴り響いた。

『――セキュリティ・レベル最大(マックス)。最終殲滅プロトコル、起動。全自律駆動兵器、スリープ解除。ゲート、開放』


 ズズズズズ……。


 背後で、重厚な駆動音が響いた。

 アビスたちが振り返ると、先ほど入ってきた巨大な隔壁扉が、ゆっくりと左右にスライドしていく。

 管理者が、処刑執行のために「道」を開けたのだ。

 開かれた扉の向こう――広大なドームの暗闇の中に、無数の赤い光が灯っていた。

 それは星空のように美しく、そして吐き気がするほど絶望的な数だった。


 ガチャ、ガチャ、ガシャン……!


 数千体のロボット兵が、整然とした足音を立てて前進してくる。

 錆びついた関節が悲鳴を上げているが、その行軍に乱れはない。

 彼らはただの暴徒ではない。

 統率された、意思なき殺戮のシステムだ。

「アビスさん……これって」

「ワン(……交渉決裂だ。やっぱり、機械相手に交渉は無理だったな)」

 アビスは、リディアの足元で低く唸った。

 魔力は制限されている。

 敵は数千。

 しかも、相手は魔法が通じにくい科学兵器の塊だ。

 逃げ場はない。

 扉は開かれたが、その先は鉄の壁で塞がれているも同然だ。

 (……来るぞ)

 アビスは身構えた。

 アーカーシャの狙いは、物量による圧殺だ。

 だが、アビスの口元には、獰猛な笑みが浮かんでいた。

(……いいだろう。論理(ロジック)が通じないなら、暴力(フィジカル)で分からせてやるのが魔人の流儀だ)

 アビスは勢いよく吠えた。

「ワン!(リディア! 剣を抜け!)」

「はいっ!」

 リディアが黒い聖剣を引き抜く。

 その瞳に、迷いはなかった。

 アーカーシャの「論理」など関係ない。

 彼女にとっての正義は、目の前の相棒を守ること。

 ただそれだけだ。


 ウィィィィン……!


 先頭集団のロボット兵たちが、一斉にビーム砲の照準を合わせた。

 チャージ音が重なり合い、不吉な和音を奏でる。

「行きますよ、アビスさん! お掃除の時間です!」

「ワン!(蹴散らすぞ!)」

 制御室という名の密室で。

 最強の魔人と勇者、対、科学文明の遺産である鉄の軍団。

 千年の時を超えた、異種文明間の戦いが幕を開けた。

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