第二十話 地下への入り口
都市の中央広場は、静寂に包まれていた。
かつては数多の市民が行き交い、最新の科学技術を謳歌していたであろうその場所は、今や風の音さえしない無人の空間と化していた。
広場の中央には、枯れ果てた噴水跡があり、その脇に、地下へと続く階段の入り口が口を開けていた。
それは、ごくありふれた「地下鉄の入り口」のような外観だった。
透明な強化ガラスで覆われたアーチ。
派手な装飾はなく、ただ機能性だけを追求したデザイン。
だが、その階段の前には、目に見えない強固な壁――セキュリティゲートが存在していた。
「……ここが入り口でしょうか?」
リディアが恐る恐る近づくと、空中に青白い光が走った。
何もない空間に、ホログラムのインターフェースが浮かび上がる。
『通行止め』を意味する赤いアイコンと、ID提示を求める文字。
『警告。これより先は「特別管理区画」です。市民IDを提示してください』
無機質な電子音声が響く。
リディアが「わっ」と驚いて後ずさる。
「アビスさん、通してくれません。お化けじゃなくて、機械みたいですけど……」
「ワン(……セキュリティゲートだ)」
アビスは鼻を鳴らし、ゲートの前へと歩み出た。
探知魔法を、極限まで細く、糸のようにして伸ばす。
都市全体を覆う「対魔断絶結界」は健在だ。
不用意に大きな魔力を使えば、即座に感知され、警報が鳴り響くだろう。
だが、この程度の端末への干渉なら、やりようはある。
(……この都市のシステムは、魔法を異物として排除する。なら、魔法だと思わせなければいい)
アビスは、自身の魔力波長を、このゲートが発している微弱な電流と同じ波長に同調させた。
擬態だ。
システムの一部になりすまし、内側から鍵を開ける。
アビスは前足を上げ、ホログラムのパネルに、ちょんと肉球で触れた。
『生体反応ヲ検知。……エラー。ID未登録。アクセスヲ拒否シマ――』
(……甘い)
アビスの瞳が、一瞬だけ鋭く光った。
彼の脳内で、ゲートの論理構造が瞬時に視覚化される。
0と1の羅列。
複雑に絡み合った条件分岐。
凡人なら眩暈がするような情報の奔流だが、アビスにとっては「魔法陣の術式」を読み解くのと大差ない。
構成要素が魔力か電子かの違いだけだ。
そして、どんなに堅牢な城壁にも、必ず継ぎ目はある。
(……見つけたぞ。認証プロセスの穴)
おそらくは設計上のミスだろう。
データベースへの照会結果が返ってくる直前に、外部からの信号を受け付けてしまう極小の脆弱性。
アビスはそこへ、魔力で生成した偽の「承認シグナル」を、針の穴を通すような精密さでねじ込んだ。
ピピッ。
赤い警告灯が、瞬時に鮮やかな緑色へと変わった。
『――認証完了。オ通リクダサイ』
プシュウゥゥ……。
空気の抜けるような音と共に、見えない壁が消失した。
自動ドアのように、スムーズに道が開かれる。
「えっ? 開きました! すごい、アビスさん! 何をしたんですか?」
リディアが目を丸くして拍手する。
「ワン(……ただの鍵開けだ。構造が分かれば、力づくで壊す必要はない)」
アビスは涼しい顔で尻尾を振り、階段を降り始めた。
警報は鳴らない。
追跡システムも作動していない。
完璧な「合法的な立入り」だ。
これなら、都市の管理者であるAIにも気づかれずに、中枢まで近づけるはずだ。
階段を降りると、そこは長く続く地下通路だった。
壁面にはパイプラインが張り巡らされ、一定間隔で非常灯が明滅している。
空気は地上よりも重く、少しだけカビ臭い。
カツーン、カツーン……。
二人の足音だけが、静寂の通路に響く。
リディアは緊張した面持ちで、聖剣の柄に手をかけていたが、襲ってくる敵はいなかった。
アビスのハッキングにより、監視カメラもセンサーも、二人を「正常な立入者」として認識し続けているからだ。
「……静かですね」
リディアが小声で囁く。
「もっと、怖いロボットとかがいっぱいいるのかと思ってました」
「ワン(……ここまでは、な)」
アビスは警戒を解かなかった。
今は騙せている。
だが、この通路の先――都市の心臓部にあたるエリアには、独立した別の監視系があるかもしれない。
あるいは、管理AIの直轄領域に入れば、小手先の偽装など通じない可能性が高い。
やがて、通路の突き当たりに、巨大な隔壁扉が現れた。
ここも、アビスのハッキングですんなりと開く。
分厚い扉が左右にスライドし、その奥に広がる空間が露わになった。
「うわぁ……」
リディアが息を呑んだ。
そこは、広大な地下ドームだった。
天井の高さは数十メートルはあるだろう。
その空間を埋め尽くすように、無数の「ハンガーラック」が並んでいた。
まるで食肉加工場のフックのように、天井から吊り下げられた無数のシルエット。
それらは人間ではなかった。
鈍い銀色に輝く骨格。
剥き出しの配線。
無機質なレンズの目を持つ、人型の戦闘機械たちだ。
数百、いや数千体ものロボット兵が、あるものは直立不動で、あるものは膝を抱えるようにして、沈黙の中に吊り下げられている。
かつてアビスが蹂躙した際、出撃することなく眠りについた「鉄の軍団」の残骸か、あるいは予備戦力か。
いずれにせよ、壮観にして不気味な光景だった。
「人形……ですか? すごい数です……」
リディアが圧倒されたように呟く。
「みんな、死んでるみたいに動きません」
「ワン(……スリープモードだ。死んでるわけじゃない)」
アビスはドーム内を見回した。
ここにも、人の気配はない。
あるのは、埃を被った殺戮兵器の山だけだ。
天井のレールには、給電用のケーブルが繋がっており、微弱な駆動音が聞こえる。
彼らは死んでいない。
ただ、命令を待って眠っているだけだ。
もしここで警報が鳴れば、この数千体の鉄塊が一斉に目を覚まし、二人を挽肉にするだろう。
アビスは、リディアに「静かに歩け」と目配せをした。
二人は、眠れる軍団の間を縫うようにして、さらに奥へと進んだ。
足音を忍ばせ、無数のロボット兵の直下を通り抜ける。
リディアは時折、頭上のロボット兵を見上げては、身震いしていた。
レンズの奥は暗い。
だが、その無機質な瞳が、今にも赤く光り出しそうな恐怖があった。
(……だが、妙だな)
アビスは歩きながら、違和感を覚えていた。
ハッキングが成功しているとはいえ、順調すぎる。
ここは都市の最重要区画だ。
物理的なトラップや、もっと原始的な警備システムがあってもおかしくない。
まるで、誰かがわざと道を開けているかのような――。
ドームを抜け、さらに奥へ進むと、一つの巨大な扉に行き当たった。
これまでの実用的な隔壁とは違う。
幾何学模様が刻まれた、祭壇の扉のような荘厳なゲートだ。
その中央には、科学帝国の紋章――「歯車と杖」が描かれている。
「……ここが、一番奥でしょうか?」
リディアが尋ねる。
「ワン(ああ。この奥に、都市の『脳』があるはずだ)」
アビスが扉の前に立つ。
再びハッキングを試みようと、前足を上げたその時だった。
ズズズズズ……。
アビスが触れるよりも早く、重厚な扉がひとりでに動き出した。
ゆっくりと、左右に開いていく。
「えっ? アビスさん、まだ触ってませんよね?」
「ワン(……チッ。やはり、お見通しか)」
アビスは舌打ちした。
ハッキングで騙せていると思っていたのは、こちらだけだったようだ。
家主は、最初から二人の侵入に気づいていた。
気づいた上で、ここまで「泳がせて」いたのだ。
開かれた扉の奥から、冷たい風が吹き抜けてくる。
その風に乗って、どこか懐かしく、そして絶対的に異質な「声」が響いてきた。
『――ようこそ。予測不能な変数たちよ』
その声は、女とも男ともつかない中性的な声だった。
感情の一切ない、透き通るような美声。
地下ドームのスピーカーからではなく、直接脳内に語りかけてくるような響きがあった。
『IDの偽装、見事でした。……ですが、私の目は欺けません。古代の魔人アビス、そして聖剣の担い手よ』
「……バレてましたか」
リディアが苦笑いする。
アビスは不敵に牙を見せた。
招かれたのなら、遠慮する必要はない。
「ワン(……挨拶はどうでもいい。顔を見せろ、引きこもりAI)」
アビスは吠え、堂々と開かれた扉の中へと足を踏み入れた。
リディアも慌ててその後に続く。 二人の背後で、巨大な扉がズズズ…と重い音を立てて閉ざされた。
そこは、青白い光に満ちた円形のホールだった。
壁一面に無数のスクリーンが配置され、高速で流れるデータが表示されている。
そして部屋の中央に、光の粒子が集まり、一人の人間の姿を形作ろうとしていた。
戦闘のゴングはまだ鳴らない。
まずは、「対話」の時間だ。
アビスは待ち構える「管理者」を見据え、その正体を暴くべく目を凝らした。




