第十九話 沈黙の摩天楼
荒野を切り裂くように疾走していた無人列車が、長い減速音と共にその速度を落とし始めた。
車窓の外を流れる景色が、赤茶色の荒野から、無機質な灰色の壁へと変わっていく。
トンネルのようなチューブの中を滑るように進み、やがて視界が急激に開けた。
「わあ……! アビスさん、見てください! すごいです!」
窓にへばりついたリディアが、感嘆の声を上げた。
彼女の視線の先にあったのは、天を突くようにそびえ立つ、巨大な建造物の群れだった。
太陽の光を反射して輝くガラスのビル。
複雑に立体交差する空中回廊。
雲を突き抜けるほどの高さを持つ摩天楼が、まるで針山のように地平線を埋め尽くしている。
それは、剣と魔法の世界に生きてきたリディアにとって、想像の範疇を遥かに超えた異界の光景だった。
「こんな高い建物、見たことありません……! 王都のお城よりずっと高いです!」
(……フン。相変わらず趣味の悪いデザインだ)
一方、アビスは座席の上でふんぞり返り、冷ややかな視線を送った。
かつての「科学帝国」が誇った、完全管理都市。
効率と論理のみを追求し、自然の不確定さを徹底的に排除した人工の楽園。
魔導を極めたアビスにとって、この風景は生理的な嫌悪感を催すものだった。
ここには「揺らぎ」がない。
風のささやきも、精霊のいたずらも、魔力の脈動もない。
あるのは、死んだような静寂と、規則正しい機械の駆動音だけだ。
かつて、千年前のあの日。
世界を恐怖のどん底に叩き落としたアビスは、大陸全土を蹂躙し、数多の国を滅ぼした。
だが、この都市だけは破壊しなかった。
いや、正確には「破壊する価値すらなかった」のだ。
当時、全能の力を誇っていたアビスが、この都市の上空に飛来した時のことだ。
彼は、都市全体を覆う不可視のドーム――「対魔断絶結界」の存在に気づいた。
科学文明が、魔法という理不尽に対抗するために全精力を注いで開発した、絶対防御の殻。
無論、アビスが本気を出せば、力技で結界ごと都市を消滅させることは可能だった。
だが、そのコストパフォーマンスは最悪だ。
魔力の消費が激しすぎる上、何より――中身が既に腐っていた。
結界の隙間から覗き見た都市の内部は、地獄だった。
アビスが手を下すまでもなく、行き過ぎた科学実験の暴走、未知のウイルスの蔓延、あるいはAIによる「効率的な人間排除」によって、人類は自滅の道を歩んでいたのだ。
「愚かな人間どもめ。俺様が手を下すまでもなく、自分たちの作った玩具に殺されたか』
当時、空からその様を見下ろしたアビスは、嘲笑と共に攻撃の手を止めた。
既に死に絶えようとしている虫かごを、わざわざ踏み潰してやる義理はない。
むしろ、この無機質な塔の群れをそのまま残しておいた方が、人類の愚かさを後世に伝える「最高の墓標」になる。
そう判断した彼は、あえてこの都市を見逃し、他の国へと飛び去ったのだ。
(……俺様の読み通り、立派な墓場になったようだな)
アビスは、千年経ってもなお朽ちることなく立ち続ける摩天楼を見て、皮肉げに鼻を鳴らした。
プシュウゥゥ……。
空気が抜けるような音と共に、列車が完全に停止した。
「中央ターミナル」と思われる巨大なドーム状の駅構内。
スライド式のドアが開くと、ひんやりとした空気が車内に流れ込んできた。
「行きましょう、アビスさん! ここが旅の目的地……答えがある場所ですね!」
リディアがリュックを背負い、意気揚々とホームへ降り立つ。
アビスもまた、短い脚でぴょんと飛び降り、彼女の後に続いた。
ホームは広大だった。
床は鏡のように磨き上げられ、天井からは幾何学模様の照明が、影のない均一な光を投げかけている。
だが、何かがおかしい。
圧倒的に、何かが欠けている。
(……誰も、いねえな)
アビスは鼻を鳴らした。
これほどの巨大都市だ。かつては数百万、いや数千万の人間が暮らしていたはずだ。
だが、視界に入る限り、動くものは何もない。
駅のベンチにも、改札にも、売店にも。
人の姿どころか、死体一つ転がっていない。
ただ、掃除ロボットだけが、誰もいない床を永遠に磨き続けている。
まるで、人間だけが神隠しに遭い、都市機能だけが主の帰りを待ち続けているかのような、不気味な静寂。
「……静かですね。誰もいないんでしょうか?」
リディアもその異様さに気づいたのか、声を潜めた。
コツ、コツ、と彼女のブーツの音だけが、無人の構内に反響する。
二人は駅を出て、大通りへと足を踏み出した。
街並みは、美しかった。
道路には塵一つ落ちておらず、街路樹として植えられた人工植物は、永遠に枯れない緑を保っている。
空中のスクリーンには、何かの広告映像がノイズ交じりに流れていた。
だが、そのすべてが空虚だった。
「……なんだか、寂しい街ですね」
リディアがぽつりと漏らす。
「建物はこんなに立派なのに、生活の匂いがしません。……まるで、街全体が大きなお墓みたいです」
(鋭いな。……その通りだ)
アビスは心の中で同意した。
ここは墓場だ。
行き過ぎた科学文明が、自らの首を絞めて滅んだ後の、巨大な墓標。
アビスが探知魔法を広げようとするが、大気中の魔力が極端に薄く、うまく術式が構成できない。
この都市には、魔法を阻害するフィールドか、あるいは魔力を吸収するシステムが働いているらしい。
「――ぐぅぅぅ~」
その時、静寂を破る間抜けな音が響き渡った。
リディアが顔を赤くして、お腹を押さえている。
「あ、あはは……。そういえば、列車の中で何も食べてませんでしたね。お腹と背中がくっついちゃいそうです」
「ワン(……色気のない音だ)」
「むっ! 失礼ですね! 勇者は燃費が悪いんです! ……そうだ! ここは大きな街なんですから、お店だってありますよね?」
リディアはきょろきょろと周囲を見回した。
すると、通りの向こうに「RESTAURANT」という古びた看板が掛かったガラス張りの建物が見えた。
中の照明はついている。
「ありました! 行ってみましょう、アビスさん!」
リディアは小走りで店へと向かった。
アビスは溜息をつきながら、その後ろを追う。
(……開いている店があるわけがないだろう。千年だぞ?)
しかし、リディアが自動ドアの前に立つと、ウィーンという音と共に扉が開いた。
中から、妙に明るい電子音声が響く。
『イラッシャイマセ。中央都市第三エリア、ファミリーレストラン「ユートピア」へヨウコソ』
店内には、やはり客はいなかった。
だが、入り口に一台の人間大のロボットが立っていた。
円筒形のボディに、ウェイターのような蝶ネクタイがペイントされている。
「わっ、ゴーレムさんですか? こんにちは!」
リディアが挨拶すると、ロボットの頭部にあるカメラが彼女を捉え、赤いレンズを明滅させた。
『オ客様、一名様ト、ペット一匹デスネ。禁煙席へご案内シマス』
「ペットじゃありません! 相棒です!」
「ワン!(誰がペットだ!)」
『カシコマリマシタ。デハ、コチラノお席へドウゾ』
ロボットは滑らかな動きで二人を窓際の席へ案内した。
リディアが座ると、テーブルの上のディスプレイが起動し、メニューが表示される。
だが、そこに並んでいる文字は、現代の共通語とは異なる古代文字だった。
「えっと……なんて書いてあるんでしょう? 全然読めません」
リディアが困り顔でアビスを見る。
アビスはテーブルに前足をかけ、画面を覗き込んだ。
科学帝国の言語など、彼にとっては基礎教養だ。
そこには『合成ハンバーグ』『培養ステーキ』『完全栄養パスタ』といった、食欲を減退させる単語が並んでいた。
(……どれもこれも、ろくなもんじゃねえな)
アビスは適当に、一番上のメニューを肉球でタップした。
『チュウモンヲ承リマシタ。「日替わりランチ・デラックス」デスネ。タダチニ調理シマス』
ロボットが奥の厨房へと消えていく。
ガシャン、ガシャン、ジジジ……。
厨房から、何かが激しく稼働する音と、不穏なスパーク音が聞こえてくる。
数分後。 ロボットが銀色のトレイを持って戻ってきた。
『オマタセシマシタ。「日替わりランチ・デラックス」ニナリマス』
コトッ。
テーブルに置かれた皿を見て、リディアの表情が凍りついた。
アビスもまた、無言でそれを見下ろした。
そこに乗っていたのは、黒い炭の塊だった。
いや、正確には「かつてハンバーグだったかもしれない有機物」と、「パンだったと思われる粉末」と、「サラダの形をした灰」だ。
強烈な腐敗臭……ですらなく、完全に風化しきった乾いた埃の匂いがする。
「……えっと」
リディアが引きつった笑みを浮かべる。
「これ、食べられるんですか?」
(……食えるか。死ぬぞ)
アビスは短く吠え、前足で皿を遠ざけた。
ロボットは首を傾げた。
『オ口ニ合イマセンデシタカ? 申し訳アリマセン。デハ、食後ノデザートトシテ、特製アイスクリームヲ……』
ロボットが再び動こうとした瞬間、ガガッ、という異音がして、その動きが止まった。
首から上がポロリと落ち、床に転がった。
胴体からは煙が上がり、完全に沈黙した。
「あ……壊れちゃいました」
リディアが残念そうに呟く。
「せっかくのご飯だったのに……」
結局、二人は店を出て、手持ちの保存食(干し肉と堅パン)をかじることになった。
摩天楼の影が落ちるベンチで、リディアは堅パンをガリガリと噛み砕きながら、ため息をつく。
「科学の街って、すごいのかすごくないのか、よく分かりませんね」
「ワン(……便利なだけで、豊かさとは程遠い場所だ)」
アビスは干し肉を飲み込むと、鋭い視線を周囲に向けた。
腹ごしらえも済んだ。
遊覧は終わりだ。
ここへ来た本来の目的を果たさねばならない。
(……この都市の構造。そして、魔力の流れ)
アビスは目を閉じ、微かな魔力の痕跡を辿った。
地上に立ち並ぶビル群は、確かに巨大だ。
だが、それらはただの「端末」に過ぎない。
電力、情報、そして都市を管理する意思。
その全てが、一点に向かって収束している。
上ではない。
空を突くビルの上ではなく、もっと深く、暗い場所。
(……やはりな)
アビスは目を開き、立ち上がった。
そして、都市の中央広場の方角を鼻先で指し示した。
「ワン! ワン!(リディア、行くぞ。あっちだ)」
「え? もう場所が分かったんですか?」
リディアが慌てて立ち上がり、リュックを背負い直す。
「どこにあるんですか? あの高い塔の上ですか?」
アビスは首を横に振り、地面を前足で叩いた。
「ワン(下だ。地面の下だ)」
「下……? 地下ってことですか?」
リディアの問いに、アビスは頷く。
(この都市の心臓は、地下深くに埋まっている。……そして、俺たちが探している「答え」も、そこにあるはずだ)
アビスの勘が告げていた。
この地下には、単なる管理システム以上の「何か」が眠っている。
それは、彼自身の呪いに関わる重要な鍵か、あるいは触れてはならないパンドラの箱か。
「分かりました! 地下迷宮の探検ですね!」
リディアは「迷宮」という言葉に、なぜか目を輝かせた。
「遺跡探検といえば、やっぱり地下ですもんね! 隠し扉とか、宝箱とか、あるかもしれません!」
(……能天気なやつだ)
アビスは呆れつつも、内心では警戒を強めていた。
先ほどのロボットは、単なる老朽化で壊れた。
だが、都市の中枢を守る防衛システムが、同じようにポンコツだとは限らない。
むしろ、重要であればあるほど、完璧な状態で維持されている可能性が高い。
(……来るなら来い。科学の番人ども)
アビスは不敵に牙を剥き出しにした。
たとえ魔法が制限されようと、俺様にはこいつがいる。
物理最強の「矛」と、知略最強の「盾」。
このコンビに突破できないセキュリティなど存在しない。
二人は、沈黙する摩天楼に見下ろされながら、都市の中央広場へと歩き出した。
その足元深くに眠る、巨大な「脳」の存在など、まだ知る由もなく。




